はてなキーワード: うつつとは
組合が、政治活動にうつつを抜かしているうちに、組合員は離れていった。
組合が、平和活動にうつつを抜かしているうちに、組合員は離れていった。
組合が、人権問題にうつつをぬかしているうちに、組合員は離れていった。
そんな色々なことに手を出しているうちに、一般の組合員は
「なぜこんなことをしなければならないのか?」と混乱し
組合活動から離れていったわけです。
組合活動についてしっかり勉強し理解した方々は、これらの運動の意味も分かるでしょうが
日々仕事に終われ、時間に終われている一般人は、わざわざ理解することはないのです。
組合活動が盛んだった、経済成長していた、日々の生活が苦しかった
また、明らかに資本家に給料が搾取されていると感じられた頃は、まだ熱心に活動していたわけですが
そもそもが、もう満たされ、豊かになり、生活も十分出来る現状では
わざわざ組合活動に参加する方は、まれだ。
不況を超え、好景気になり、今若干落ち込んでいるものの、企業が儲けていた時に
何も勝ち取れなかった組合の弱さはひどいものだ。
トヨタが世界一の会社になったにも関わらず、若干は給料が上がったものの
「不況時に備えなければならない」とする当局に何も抵抗できない組合は無力だ。
組合が弱体したのは、この時に何も勝ち取れなかったからだ。
これらの取り組まなければならない大事なことを差し置いてでも
それだけをするべきだったのだ。
人はそれほど賢くもなれないし、努力はしないし、満たされれば満足するものだ。
こうして弱体したのだ。
単にIT関係者の視野が狭いというだけの話。
奴らは「エンジニア」とか「開発」とか「システム」という言葉を断りもなく自分たちの特殊な文脈で使うからな。
他の分野の感覚で言うと、論文を書けとは言わないがせめて読んで理解して応用できるレベルじゃないとエンジニアなんて恥ずかしくて名乗れるわけがないんだが、そういう謙虚さが足りないんだよな。で、謙虚さが足りないから誇りも足りなくて、コンサルとか成金の眉唾な話を信奉して「ライフハック」にうつつを抜かしてる。
そんな奴を大量に抱え込んでる業界のレベルが低いのなんて当然すぎる話。
そもそもどうして法人向け情報システムだけがITと呼ばれるのか俺は理解できないけどね。しかも、その基盤になってるハードウェアやミドルウェアの開発をしてる人はなぜかいわゆるITエンジニアの領域に入らないらしい。不思議なもんだよ。
頭にタオルを巻いて、白い生地にワッペンがついた帽子を上から被って、あご髭がDQNでダンディーな彼氏は推定20歳。
一方妹は今年春に短大入学を迎える18歳。髪の毛は程よく額から天辺まで30センチ(推定)はあろうかという明るい茶色の巻き巻き頭。人工的に3センチ(推定)ほど延ばした睫毛と人工的に濠を巡らした卑小なお目目は、最早人のモノではない。
彼氏『こんちゃーっす。"妹"さんと仲良くさせてもらってますっ。』
顎を前に出して、帽子も脱がずに、お前より(おそらく)5年も長く生きているお兄様に向かって"こんちゃーっす"とは何事だ。おまえが俗にいうゆとり世代の日本代表か。横柄にもほどがある。
起きっぱなしのパジャマで食卓に座って朝ご飯のロールケーキを頬張っていた俺に母から怒号が飛ぶ。
母『あんた。働きもせんと、昼まで寝よってからに…。春の決算で不良債権処理されたなかったら、二人にお茶いれてあげるとか、なんもせーへんねやったら、二階の自分の部屋戻っとり!』
母よ、俺は何か、焦げ付いた債権か。もうちょっと暖かくなったら本気出すゆうてんのがわからんのか。
裾を引きずって階段を上る背後で、妹の楽しそうな声が聞こえる。フライパンの上で母が焼くベーコンのはじける音が聞こえる。二年前から壊れっぱなしの風呂場の外窓から風の抜ける音が聞こえる。二言目には"マヂッスか"と母の言うことに相づちを入れる彼氏の声が聞こえる。
妹よ、そんな彼氏の何処がいいのだ。
歳を取って疎遠になってきたが、今でもかわいい妹だ。このあいだも、郵便受けに入っていた俺宛のAmazonからの箱を勝手に開けて、中に入っていた限定版らきすたDVDを手に取って俺の目の前に差し出して、
妹『おい、秋葉系。こんなDVDに何千円も出して、アホちゃうか。絵の女にうつつぬかさんと、現実見んかい変態。』
と、かわいい声で俺を罵ってくれたじゃないか。
妹よ。ピンクでふりふりのついたあんなにかわいいパンツをもっている前が、ダイソー(推定)で買ったタオルを頭に巻いている男とつき合っているなんて…。
部屋で二度寝していると、妹とDQNな彼氏が俺の隣の妹の部屋に戻ってきた。笑い声の混じった、恋人然とした会話が聞こえてくる。
妹『"彼氏"君絶対…私そんなんゆーてへん……だから…』
彼氏『この前難波行った時…横の席でお前が寝ぼけとったから…』
しばらくすると、耳をそばだてていても聞こえにくいぐらいに二人の声が小さくなっていった。
妹『あかんって、そんなとこさわらんといて…。』
ぅぉぃ、妹。そんなとこってどんなとこやねん。あかんってなにがあかんねん。あと、開けたばっかりのティッシュの箱どこやねん。
妹『あっ…あっ…あっ…。"彼氏"君…やさしく…』
聞いた事の無いような妹の声が聞こえた。壁越しに、女の吐息が聞こえた。
興奮すると同時に、底知れない、胸を締め付けるような寂しさを感じた。
彼氏『かわいいやん。ご主人様、て素直なとこが。』
どうやら、コスプレの話しのようだ。妹が、巻き髪で、ツインテールで、男のナニをナニして如何して。けしからん。
興奮しすぎた俺は、盗み聞きの体制を整えるために足を一度組み替えようとした直後、壁にど頭をぶつけた。ゴン、と音がした。
彼氏『何今の?』
妹『わからへん…。気持ち悪いなぁ。でも、ここやと家族おるから落ち着かへんし、駅前のラブホ行かへん?』
俺の大失態で二人のラブゲームの第一セットは終了した。あぁ妹よ。おそらく、今の男の他にも何人にも抱かれている妹よ。お兄ちゃん、下着だけじゃ寂しいです。
そして昨日、友人宅で"徹夜でモンハンナイト!"の準備のために洗面所で身支度をしていた俺に母からまたもや怒号が。
母『"増田"!もう12時やから、"妹"おこして!』
Don't openと書かれた札を横目に、おもむろにドアを開けて、妹に"朝やぞ"と声を掛けようとしたら、ベッドの奥にある開いたままのクローゼットが目に飛び込んだ。真っ先に目についたのは、他の服から少し離れたところでハンガーにかかっている白のふりふりがついた、所謂メイドさんのコスチューム。
"お前その服…"と声を掛けようとした瞬間、茶色い髪をかき乱して妹が
妹『な、何勝手に入ってきてんねん。あ、そ、その服は、あ、あんたのために買ったんとちゃうんやから!か、感違いすんなアホ兄貴!!』
うーん、マンダム。
死ぬのが怖い。ただ、死ぬのが怖いってなに?意識の不連続が怖いの?でも明日目が覚める保障は何処にもないのに眠るよね。むしろ自発的に寝たりするよね?すぐ意識がはっきりしないで、人の話も夢うつつで、昨日の晩飯も思い出せないくせに。意識は不連続で、実はその間に何回も死んでんじゃないかって思ったり。そんなことある訳ないけど。
じゃあ痛いのが怖いの?痛いのは怖いよね。死ぬほど痛いって想像するだけでやだ。首を絞められるとか。絞められて、息ができなくて、首が切れそうで、何か体が動かなくて(ほんとは途中で意識が飛ぶらしいけど。)。刃物で切られるのもやだ。心臓が動かなくなるのも。デモそれってホントに死ぬのが怖い理由なのかな?
何か違うキガスル。なんだろうこの違和感は。うまく言語化できない。
死ぬのが怖いのって、ここにある世界が終わってしまうことが怖いのだろうか。
自分自信が存在しなくなることが怖いのだろうか。
人以外にも死ぬのが怖い生き物がいるのだろうか。
死ぬのが怖いってなあに?
始めてその場所に来た僕は右も左もわからず、ただ周りに圧倒されるばかりだった。
大勢の人がそこにはいたし様々な会話が飛び交っていたが、僕は参加できず独り言をつぶやくばかり。
定型的な、たとえば挨拶だとか、そういうことはしていたが、特に親しい人はいなかったし、いつも孤独でいつ逃げだそうかとも思っていた。
そんなある日、彼女は僕に話しかけてくれた。
考えてみればその場所でまともに話をしたのは、彼女が始めてかもしれない。
きっかけは些細なこと。
今日はなにを食べたとか、好きな映画の話とか。そう、とても些細な会話だったのかもしれない。
しかし、孤独だった頃の僕には、彼女はそう、まるで女神のようだった。
彼女と話すようになってから、そこでの友人は増えた。
僕は水を得た魚のようにいろんな人と話をした。有名人にも会えた。技術的な話で夜を明かしたこともあったし、時にはふざけあって周囲に怒られた時もあった。
とても楽しい日々を送っていたが、多くの人と話すことによって、次第に彼女とは話さなくなっていった。
それでも僕はあの場所が好きだった。
しかし、それは急に現れた。
あまりに楽しい日々にうつつを抜かして、日常生活に支障がでたのだ。
僕は帰らねばならない。小鳥のさえずるあの場所、彼女と出会ったその場所から距離を置くことにした。
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それからいくつかの月を経て、僕はパソコンを買った。白くてリンゴのマークが愛らしいラップトップ型のパソコンを買った。
僕はブラウザを立ち上げた。そう、以前あの場所であった人たちとまた楽しい会話が出来ることを夢見ながら。
しかし、僕が思い描いていた場所はそこにはなかった。
以前よりも人が増え、周囲の声は届きにくい、とても楽しい場所とはいえない、そんな場所になっていたのだった。
大勢のなかを探すと、以前話した人がいた。
「おひさしぶりです。おぼえていますか」
しかし、返事はなかった。
周囲の雑音にまみれ、小鳥のさえずりさえ聞こえない、ネコの鳴き声も聞こえない、ただ大勢の会話が多く、ノイズが多く。
僕は決心した。やはり、ここにはいるべきじゃなかった。最初から「逃げ出して」いればよかったんだと。
それっきり、白いリンゴのパソコンに電源を入れることは無かったし、ましてブラウザを立ち上げることなんて。
ある時、友人に柑橘類の香りがする、そんな場所を紹介してもらった。
そこには大勢の人がやはりいたが、それぞれが「部屋」と言う概念で仕切られ、空気が透きとおった場所で、僕の声はみんなに届いた。
会話をするのは得意ではなかったが、あの場所での経験を生かし、なんとか周りにもなじめた。
そして、彼女がそこにいた。
僕は目を疑った。
一度は仲良くなったものの、自分で距離を置いたようなものだったので、彼女に声をかけるのはとても出来なかった。
そんなことを考えていると、彼女の方から声をかけてくれた。
「おひさしぶりです、おぼえていますか」
自分が男に生まれていればなぁ、と思うことがよくある。人にも、特に男性に「どうしてきみは男に生まれてこなかったんだ」と言われる。いつもそう言う上司がいるのだけれど、実はその人に限らず、中学のころの同級生やら、もと同居人やら、仲良くなった男友達にはたいてい言われる。そう言われると、嬉しい。男の子の仲間に入れてもらった気分。
中学高校の同級生の男友達にも「女がいないからいえるけどさー」みたいな会話の時にも仲間に入れてもらったし、今でも、夜遊びに行くときに、ボーイズナイトとかいって男だけで女の子を引っ掛けに行く夜遊びにも混ぜてもらえる。仲よしの男友達に彼女ができても嫉妬はしないけれど、自分みたいに男友達みたいにつるむような女友達ができたら、たぶんちょっと嫉妬すると思う。
自分の中に、理想の女性像みたいなのがあって、今の自分はそれの対極にいる。これは間違いがない。ただ、それだからといって、その理想から対極にいる自分が嫌いか、というとそう言うわけではなく、自分が男だったらなぁ、と思うのだ。
素敵な女性がいると、ああ、素敵だなぁ、と思う。自分のなかの理想の女性像に近いような人がいると、ああ、なんて素敵なんだろう、と、その人を眺めてしまう。自分がそうなりたいのか、というとそうではないのだ。ああ、素敵なひとだ、と思うだけなのだ。
逆に、素敵な男性がいると、わたしはその人のようになりたい、と思う。その人とあれこれしたい、じゃなく、そのひとみたいになりたい、と思ってしまう。だからどんどん男性化してしまうし、一緒になって遊ぶし、男だったら許されるけれど、自分の理想とする女性像からかけ離れた行為をしている自分に、はっときづき、あ、わたしは男じゃなかったんだ、と、がっくりする。ふと気づくと、ますます男らしくなった自分がいて、ああー、なんで男じゃないんだろう、と思う。
わたしがイマイチ男性とうまく恋愛をしていけないのは、自分が男だからなんじゃないかと思ってきた。すごくすごく好きな男性=そうなりたい、という尊敬の対象、になる。だから、それは恋愛ではなくて師弟愛みたいになってしまう。いっしょになってくっついているわたしを女性としてではなくて、そのひとの仲間、みたいな、なんというか、可愛がってくれると、すごく嬉しい。
いつも、自分のことを好きになるような男性は好きになれないのだと思っていたけれど、なんか違う気がしてきた。わたしのことを、男友達や、弟子のように見てくれる人が好きで、わたしを女の子として見るひとには「やめといたほうがいいって、あいつ(自分)は友達にしといたほうがいいって、絶対」と、自分を好きになってくれるひとなのにツッコミを入れてしまう。だって、女じゃないモン。こんな女にうつつを抜かすような男は問題外、だ、と思ってしまう。同じ人でも、他の女の子にうつつを抜かしているのを見ると、なんだかほほえましくさえ思える。
だから「わたしのことを女性として好きになってくれるひと」=一緒につるみたいひと、ではない。それまで男友達みたいにつるんでいた人から、女性扱いされたとたん、あんたどうしちゃったのよ、と思う。だから、友達から恋人に発展するというパターンはないんだ、わたし。
その逆はあり。恋人から始まってすごくすごく尊敬するようになると、ああ、この人みたいになりたい、と思って、恋愛関係でいるのが嫌になる。師弟愛のほうがいい、と思ってしまう。女性としてその人を見ているのではなく、男性、或いは一人の人間としてその人がすごく好きなだけで、もし自分が男に生まれていても、同じように慕うだろうな、と思ってしまうのだ。もし男に生まれていたら、わたしはホモになっていたと思う。
自分のセクシャリティがよくわからなくなってきた。
たぶん、女より男が好きだ。でも、その好きになっている主体の自分は、女ではなくて男のような気がする。女の子をみるときも、だから、女の子らしい女の子が好きだ(自分とは正反対)。可愛い子がいると、単純に、あーかわいい! と思うし、女性らしいしぐさを見ると、素敵だなぁ、と思う。
それに、わたしはけっこう女の子とも一緒につるめる。女同士のだらだら会話だって楽しめるし、実はもう長いこと女の子とシェア生活をしている。でも、もし、彼女が男でも、同じように暮らせるだろうし、女同士でまったくなにも問題がない。女だけしかいない家って気楽でいい。「女だけの生活」って「わたしを男扱いする男友達との関係」と似ている。ぜんぜん違うんだけれど、すごく似ている。
男になりたい、というか、なんで男じゃないんだろう、と思う。だから、男友達みたいにつるんでくれる人がいるとすごく楽しい(だいたい自分の男友達はそう)。でも、トムボーイ願望はないし(スカートとかハイヒール好きだし、毎日スカートで出勤してるし、レースもピンクも大好き)、女性に対して性欲を覚えるというのは多分ない(男性に対してもあんまりないけど)。
自分の周りにも、ゲイとかレズビアンとかいるけれど、彼らみたいに確信を持って、そこまでじぶんが非へテロだとは思えない。でも、ヘテロである確信もない。
男の人に抱きしめられたらどきどきするけれど、女の子にされてもすごくどきどきする。相手が男だからどきどきしているわけではなくて、抱きしめられるとか、そういう行為にどきどきしているだけのような気もする。
ジーンズを履いていると、すわるとき足を広げてしまう。喋り方も男っぽくなる。男友達とつるむときには、ジーンズで行った方が、一緒に肩を組みながらビールを煽れる。スカートでハイヒールで行くと、なんとなくまたちょっと気分が違う。男性と肩を組んでビールを酌み交わす女性というのが、女性としてはとってもはしたなく見える。でも、自分が男のつもりの時は、むしろそうするほうが自然なのだ。
「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言われる反面、すごく女性的だとかいわれることもある。両極端らしい。不思議と、女の子扱いされるのも好きなのだけれど。なんだか、洋服にしてもしぐさにしても、コスプレ気分なのかもしれない。女の子っぽい格好のときは、女の子にみられると、今日のコスプレ成功、みたいな。
一番いいのは、「どうして男に生まれてこなかったんだ」と言ってくれるようないつもつるめる男友達と、擬似夫婦になることかもしれないなぁ、と思う今日この頃。30になっても嫁の貰い手なかったらもらってやるよ、と言ってくれた友達が数人いたけれど、もうすぐ30。最近、なかよしの男友達と、20年後くらいに結婚しようか、なんて話をしたりもする。それはなんというか、男友達みたいなこの関係を続けたくはあるけれど、一応結婚もしといたほうがいいよな、という、ある種の、偽装結婚のようなものを想定しているわけですが、でも、そういう事を言ってくれるような、いつもつるめる友達だったらうまく行くような気がする。
つまり、恋愛はしていないんだけれども、それぞれに恋人や配偶者ができて、それが原因でつるみ続けることができなくなるのであれば、まぁ、つるめるあいだはつるんどいて、それが不自然な年齢になったら偽装結婚でもすりゃいいじゃんよ、というような。実際、そう言う友達というのは、一緒にいないというのが不自然なくらいであって、ただ、でもそこにはロマンチックな恋愛はないだけ。もしくはそれがわたしの恋愛の形なのか。とすると、一人に絞るのは難しいなぁ、みんなだいすきだもん。
わたしのことを女性として見る人には、ちやほやしてくれるぶんにはすごく楽しいけれど、実際付き合うとかなると、わたしが嫌気を覚えてしまうか、相手が物足りなくて去ってしまうか、どちらが先に来るかの違いでしかなく、いずれ破綻するような気がする。
レズビアン、ではないと思うのだけれど、ノンケとも違う気がする。いうなれば、ホモ。でも、自分の性別はやっぱり女なので、外から見るぶんには、ノンケ。でも、ノンケじゃないの。なんといったらいいのかな、こういうの。
夢を見ました。娘の。
夢の中の娘は四歳ぐらいで、とてもかわいらしかった。手は小さくて、足も小さくて、輝いた瞳をつねにこちらへ向けてきてくれました。
けれど……
ふと気付くと、娘は小学生の高学年くらいに成長していて、私の方ばかり見ていることはなくなります。すっと別の部屋に行ってしまいました
それを追いかけて、私もその部屋を出ました。出るとそこはダイニングキッチンで、高校生になった娘が制服姿で流しに立っていました。
周りを見渡すと、整理整頓されているとは言いかねる状態でした。私は少し気になって、放り投げられていた洗濯物を拾うことにしました。
電話が鳴って、娘が取りました。「え? 父が?」
私は顔をあげました。娘はしばらく受話器の声に耳を傾けた後、無造作に受話器を置くと、慌てた様子で玄関から外へ出ていってしまいました。
急いで追いかけようとして私は、……そこで目覚めました。
目が覚めてから、夢うつつのまま身支度を整え、一階に降りると、いつも通り母が台所で朝ご飯の用意をしていました。降りてきた私に気付くと、おはようと声をかけてきます。
おはよう、と返した私は、食卓につきながら、今朝見た夢について考え始めました。
考えてから、思わず母に、父のことを訊ねようとしましたが、母の背中を見ている内にその気はなくなってしまいました。
ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。
80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコン、ホビーパソコン
要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。
もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。
しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然と言語を取り扱えた。いきなりバイナリでコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。
そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本のソフトウェア産業のレベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。
怪しい部分はいろいろある。
8bitパソコンにうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。
また、90年代の停滞だ。Macintoshの廉価版と続くPC/ATとWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォームが現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。
思うに、80年代のパソコンと90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。
そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログインで伊藤ガビンがPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。
特に当時は計算能力に限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。
ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshやPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。
そしてこれはコミック(60年代??)、アニメ(70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本のサブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。
だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。
よく何も知らん非モテがイメージだけで「女は奢ってもらえて云々」なんていうけどそんな事今時あんまないし(ていうかそもそも奢るのは女がそうねだるのではなく男が勝手に見栄でそうするパターンが多いんだけど)、奢ってもらえたとしてもよほど金持ちの彼氏でもない限り、たいていの場合たいしたところではないからメリットになるほどではないわな。セックス大好きな女性ならメリットありそうだけど、特にセックスも好きなわけじゃないし……って人には正直メリットないね。てかだから現に減ってるんじゃないの?恋愛にうつつを抜かす人って。結婚する人も減ってるくらいだし。メディアは盛んに女性=恋愛というレッテルを貼って色々売り出そうとするけど、今の若い女性って一部を除いて結構普通に冷めてるよね。恋愛だの占いだのスイーツだのなんだの、本気でそんなもん喜んでる女はそうはいない。実際あなたみたいな女性結構いるんちゃう?まあ私もどっちかといったらそうだし。付き合う(女友達の意味ね)層を変えてみたらそういうお仲間にたくさん会えるかもよ。
最近ふと気付いた
生まれてこの方、男子と業務連絡以外まともに喋ったことがほとんどないという事に
いや小中高全部共学だったけどね
いやつーか寧ろ皆いつ話してたんだ?
いつ彼氏とか作ってたの?
休み時間なんか、男子って結構グループ組んでて近寄りがたいオーラ発してるし近寄れないじゃんよ
勿論まぁ教室でぼけーっとしてても男子がよってくるわけもなく
一人教室の隅でけん玉やってたり盲牌の練習をしてたわけだけど
そしたらいつの間にか高校卒業時には友達の8割に彼氏が出来てました
出来てない子も好きな子はいるとかいう状態
え、ちょっおま何それ
聞いてねーよ!
いつの間に!?
「ていうか、気付いてなかったの?あの二人仲いいじゃん。明らかに」
とか言われてもクラス内で出来たカップルにその手の話に鈍すぎる私が気付けるわけもない
いつの間にか友人たちの会話に少しずつ男の会話が混じってきている
何この置いていかれた感……
つーかなんか寂しい……友が男にうつつをぬかすというのはなんだか寂しい……
この間友人と遊んだら、夕方になって「ごめんもう行かなきゃ」
「え?なんで?いつもまだ遊んでくじゃん」
「いや、これからカレシと会うんだわ」
彼氏じゃなくてカレシっつったよこの人……マジかよ
道理でやけにオシャレしてんなと思ったよ
いつも何も塗ってないくせに爪に絵が描かれてるよ
おいおいネイルアートってやつですか
あんなしちメンドクサイやつ誰がやんだ?全体像で見たらほとんど見えないだろとか言って一緒に笑ってたお前が……お前が……
なんか咄嗟に
「彼氏より私の方がお前を喜ばせてあげられる!」といいそうになったよ
つーか何この感情
単にオイラの読解力が無いだけかもしれない、という言い訳から入るけど。
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20070211/p1
別に『賃金水準は、絶対的な生産性で決まるんじゃない。その社会の平均的な生産性で決まるんだ。』って部分にそんな文句はないけど、とにかく煽りすぎだろこれwwwww
前回述べたように、こうした企業が高い生産性を実現できるのは、その他の人々の支えがあればこそ、ではある。そうはいっても、やっぱり肝心なのはすさまじい労働生産性を達成している製造業なんだよ。
とりあえずこれを信じることにして(http://anond.hatelabo.jp/20070212044554って意見はあるけど)、これと
実はサービス業の多くは、あまり生産性が高くないんだよ。(中略)でも、だからこそ第三次産業/サービス産業は雇用吸収力がある。
これで、何故
になるのかさっぱり分からん。教えてエロイ人。
はてなに巣くうお気楽大学生どもが、バイトで途上国の高級官僚の何倍ものお金を稼げるのも、究極的にはシャープやソニーやスズキのおかげなんだよ。腐ったアーティストだの、エコロジストだの、勉強不足の新聞記者だの大学教師だのが高い給料をもらってのほほんとして、大企業批判にうつつをぬかしていられるのは、実はかれらが往々にして忌み嫌う大企業の大量生産システムのおかげなんだ。2ちゃんねるに巣くう(一部の)くされニートどもだって、その安楽な生活はかれらがとかく批判したがる大企業が高い生産性を実現している余剰にたかっているだけなんだよ。
んじゃもう、生産性的に(比較的)労力の無駄食いが多い部分なんてゴリゴリカットして、99%ってのは多少言いすぎにしても、これからは大企業様の恩恵を賜りながら僕ら皆でニートしてりゃいいんじゃね。マジで。出来ればその方がシアワセだと思うよ、僕は。
後どうでもいいかもしれないけれど
もっと卑賤なほうへ! メイド喫茶の女中さんがいる。日本の女中どもは、やはりメイド喫茶のあるタイの女中さんの数十倍の時給だ。どうして? 日本の女中さんはなんか手際がいいの? 目にもとまらぬはやさでオーダー取るとか? 「お帰りなさいませご主人様」というのを 100 倍の速度で言えるとか? 日本ならタイの女の子の 100 倍の媚びを売って、萌え度 100 倍、タイの女中喫茶なら平気なキモヲタくんが、アキバの女中喫茶だと店に入った瞬間に萌えオーラでいきなり射精とか? ねーよ。
ここの小見出しが『生産性の国際比較――サービス業は世界的に大差ありませんわよ』なんだが、サービス業をこんな感じで比較することに意味があるのか?よくわからん。タイでティーポット傾けられても、日本のご主人様のティーカップには一滴たりともお茶は入ってこねーべ。
あー、感覚的に世界を縮めまくってるとか?
それなんてストレイト・クーガー。
たとえば、ぼくは先日、ウィリアム・バロウズ&アレン・ギンズバーグ『麻薬書簡』という本を訳した。所要時間は一日半。しかも品質最高。一方、この本には既訳があって、某大学の先生がどっかに缶詰にされて「たった二週間で仕上げた」と自慢し、しかも「やっつけ仕事だ」と自負なさるとおり、目を覆うばかりのまちがいだらけ。この場合、ぼくの生産性と、この大学の先生の生産性のちがいは簡単に計算できる。時間だけで見ても、ぼくの翻訳の生産性はこの先生の 10 倍弱。品質を考慮すれば 20 倍以上だろう。
どれだけ数量作れたって、価値が無けりゃ意味が無いんじゃないんですか先生(いや、別に翻訳本に価値が無いって言ってるわけじゃないです)。生産性って生み出した物そのものによるのか?生み出した価値によるんじゃないのか。
上のメイド喫茶の話でもそうだけど、なんかこの辺りが(主に僕の中で)よく分からんことになっとる気がする。タイで「お帰りなさいませご主人様」って言われても、その笑顔も見えなきゃ声も届かない日本のご主人様にとってはほぼ無価値だもんなぁ。
すっかり侍キャラと化してしまった。これでも女子である。
なぜ代弁しているように見えるかと申せば、貴殿が「彼氏が思っていそうだ」と感じてそのように観察し記述した情報から得られた通り素直に具現化したためである。
(Φ皿Φ)キーッ!! このエスパー!! くやしいッ!! 何が悔しいかって本当に彼奴が言いそうなのが悔しいッ!!
ちょこれいとをおなごからげっとする予定が無いとの事なので、空から親方女の子が降って来る事を、こっそり拙宅にてご祈祷をご奉仕致します。しかと受け止めよ。
泣いてもよろしいか。
ならぁーーんッ! 勝負はこれからであろうに!! 漢が泣いて良いのは産まれた時と親が死んだときと股間をしたたかに打ちつけた時のみッ!! ……というのも男性蔑視かつ時代錯誤なので、勝負に負けた場合ひっそりと男泣きなさるが良い。目が充血した時は冷たいタオルで目を覆うと腫れがスムーズにひくであろう。次の日に他人に己の悔しさを悟らせない、それがうつつに生きるもののふたるものの嗜みかと。
http://anond.hatelabo.jp/20070131170345
ここは匿名だからあなたの年齢なんてだれも気にしてないよ。年もないからみっともないもくそもありません!なにそのみっともないとか言う概念、すごくつまらないよ。
まあ、私もつまらない大人になったということだなw
でも、通常、年を取るとそれ相応の義務や別の問題が浮上してくるものだ。
そして、その結果、米国でヒッピーをやっていた若者も、日本で学生運動していた若者もつまらない大人になった。
例えば、私は50代で社会的責任を果たさずに、恋愛ごとにうつつを抜かすのはみっともないと思う。もっとも、みっともなくても生きていけるし、生きているだけで十分かも知れないけれど。