カラオケの精密採点が広く流行ってから、歌を「技術」で評価するスタンスは世に広まったと思う。
たしかに、カラオケの精密採点ではリズムや音程に加え、しゃくりやビブラートも評価軸にあり、なかなか良くできた仕組みであることは間違いない。
これらを自分が趣味で歌う上の遊びのツールとして使うのは良いだろう。
しかし、この視点を持って音楽を聴くことは、あなたの音楽体験を著しく損なう。
歌に限らず、ギター・ベース・ドラム・バイオリンといったありとあらゆる楽器に共通する特徴だが、
楽器において技術力というのは「足切り」としてしか機能しない。
楽器がどれだけ上手くても、音楽の魅力に繋がる要素は限定的である。
これは大学受験で共通テストの点数ばかり良くても、二次試験で点が入らなければ大学に合格できないのと似ている。
音楽の魅力は何か。
これは語り出すとキリがない。ジャンルやリスナーによって大きく異なるが、
ざっくりいえば、何らかの感情の揺さぶりを生むことができるのが魅力だ。
平たく言えば「ノレる」「アガる」「泣ける」などといったものが音楽の魅力と言って良いだろう。
歌が「ノレる」状態を目指すには楽曲の理解、ひいては楽曲に合わせた歌い方をしていく必要がある。
「ビブラートがない方がよりノレる。」
すなわち、音楽において、楽曲に跨って共通する「技術」で解決できる問題は微小であり、
ミュージシャンが楽曲ごとに、一見して技術が低く聴こえるスタイルをとることは日常的にある。
にもかかわらず、リズムや音程といった普遍的な技術にこだわって聴く行為は、こうした表現の許容幅を自ら狭める行為であり、
百害あって一理なしだ。
表現としての音程ズレなどに対し、「今音程外したね〜w」などといったコメントをすれば、
という負け惜しみ。