たぶん居ない
友達という定義が、どうしても学校という特殊環境下でのもので思考ロックされてしまったと思う
たまたま同一の場所に毎日居て、同じ所属で、同じ文脈を持っていて、年が似ていてるみたいな
こんなの、大人になると滅多に発生しない
友達をそういう風に定義してしまうと、友達ができないと悩んでしまう
何か動機がないと人ときちんと知り合って話すことはほとんどない
それは所属かもしれないし、何かのサークルかもしれないが、とにかく自分に動機があるため偶然性は薄い
大抵は上下関係か、お互いのグループ内での立場があって、年も違うし文脈もさほど共有していない
会社は少し学校に近いが、上下関係という点においては他の自然な出会いよりも友達化が難しい
だから本当は
デフォルトで関係が既にある状態とか、利害関係がある状態とか、薄い文脈とか、共通項が特定の一つしか無いとか、年齢差とか
どうしても学校という特殊環境を最初に持ってこられるから訓練ができない
学外活動をたくさんしてる人はまだ訓練をつめるかもしれないが
というか大人になると分かるが必ずしも学校のような友達が必要ではない
学校の友達は戦友に近い、狭いコミュニティ内で信用できるのがそいつしかいないから、全部をそいつに背負わせる
テニスが趣味ならテニス仲間を見つければ良く、腐れ縁にわざわざテニスを叩き込む必要はない
おそらく誰しも狭義の友達と広義の友達の定義を自分の中に持っていると思う
広義の友達は「特定の関係性以外で遊ぶ人は全部友達」といった、「その他としての友達」の定義だろう
「知り合い」ではかなしい、もう少しフレンドリーな名称があれば、そこを増やすことを目指すだけで大人はほとんど十分だと思うが
小学六年生病やでキミ