2023-08-31

友達とは何だったのか??

俺には友達ほとんど居ない

たぶん居ない

月に1回以上遊ぶ人間10人以上いるが

そいつらが友達かどうかはよくわからない

 

友達という定義が、どうしても学校という特殊環境下でのもの思考ロックされてしまったと思う

漫画映画も、どうしても学校文脈が残ってしまっている

 

学校での友人関係は非常に特殊

たまたま同一の場所毎日居て、同じ所属で、同じ文脈を持っていて、年が似ていてるみたいな

お互いにつるむ理由の前に、すでに文脈を共有する存在なんだ

こんなの、大人になると滅多に発生しない

 

友達をそういう風に定義してしまうと、友達ができないと悩んでしま

学校以外の人間関係はより自然

何か動機がないと人ときちんと知り合って話すことはほとんどない

それは所属かもしれないし、何かのサークルかもしれないが、とにかく自分動機があるため偶然性は薄い

大抵は上下関係か、お互いのグループ内での立場があって、年も違うし文脈もさほど共有していない

一歩踏み出してお互いの文脈を広げないと関係構築は難しい

会社は少し学校に近いが、上下関係という点においては他の自然出会いよりも友達化が難しい

 

から本当は

デフォルト関係が既にある状態とか、利害関係がある状態とか、薄い文脈とか、共通項が特定の一つしか無いとか、年齢差とか

そういう環境下でも相手と仲良くなる訓練が最初必要なのに

どうしても学校という特殊環境最初に持ってこられるから訓練ができない

学外活動をたくさんしてる人はまだ訓練をつめるかもしれないが

 

というか大人になると分かるが必ずしも学校のような友達必要ではない

学校友達は戦友に近い、狭いコミュニティ内で信用できるのがそいつしかいないから、全部をそいつに背負わせる

でも社会は人がたくさんいるから、適材適所で人を選べば良い

テニス趣味ならテニス仲間を見つければ良く、腐れ縁にわざわざテニスを叩き込む必要はない

 

おそらく誰しも狭義の友達と広義の友達定義自分の中に持っていると思う

狭義の友達は非常にハードルが高いだろうが

広義の友達は「特定関係性以外で遊ぶ人は全部友達」といった、「その他としての友達」の定義だろう

本当は「その他としての友達」のような名称がほしい

「知り合い」ではかなしい、もう少しフレンドリー名称があれば、そこを増やすことを目指すだけで大人ほとんど十分だと思うが

どうしても学生の頃の記憶を引きずって、十徳ナイフのような友達という存在を求めてしま

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