「感情に振り回されている」とはよく言われる言葉だ。しかし現代人はむしろ、無感情に振り回されている。
感情に振り回されるのが良くないように、無感情に振り回されることも同じくらい、ダメなことなのだ。
DXは人の感情を数値化し、適切にアプローチできるシステムを作り上げた。ガッツで回っていた営業は、今やシステムの奴隷となり、営業マンは無感情にそのシステムの手先となる。
パワハラに人事は厳しくなり、感情は病気だといわんばかりに、感情的になった人間は会社から排除されるようになった。
1つ1つを見れば、実際は素晴らしいことだ。ゴマすりや口先だけの社会派消えて、権力者の感情によって人の人生が壊されることも少なくなった。
自分らしい目標、自分らしい感情を持って働けるようになった、はずだった。
しかし現代人は本当に、自由でのびのびとした生活を送れるようになったのだろうか?
かつてクリエイティブと呼ばれていた職業は、数字に従う奴隷に成り下がった。今や感情や表現を商品として売れるのは、一部の天才の特権だ。
多くの職業で、「正解」が見えるようになり、僕らはただ数字を重ねるだけの機械になった。まるでベルトコンベアで包装されるのを待つパンのように、
自分の職業がいつしかAIに置き換わるのを待つだけの、ともすれば無意味に感じる人生を送るようになってしまった。
現代では、感情を排し、合理的な判断を下すことが重要視されている。感情を表現して褒められたり肯定されることはなくなった。
ただ虚ろな目で、ただ正解の行動をし、期待値が低ければ挑戦をやめ、生ぬるい不幸感に浸りながら緩やかな自殺を送る人間のなんと多いことか。
アニメで主人公が怒る理由が理解できない、どこか茶番に感じる、なぜ人が人を好きになるのかわからない。
アニメを見るのをやめ、人と関わるのをやめ、夢を持つのを辞めた。
現代人は「無感情に振り回されている」。無感情も感情の1つだ。感情は行動を変え、自分の人生を形作る。
僕らは無感情に振り回されて、人としての人生をスポイルしてるんじゃないか。
せめて、笑いたい時は笑おう。泣きたい時は泣こう。会いたいと思ったら会おう。時には感情のままに動こう。