2022-01-04

自死した父親との向き合い方が未だにわからない

自分気持ちを整理したくてこの文章を書いています自分気持ちの整理なので、言葉をあまり選んでおりません。もし、この文章を見て不快になった方が居ましたら申し訳ありません。

父親自殺してもう何年か経ちました。何年か経ったという曖昧な書き方は、本当に何年経ったのかわからいから。

何十年も経ってない。成人式には一緒に写真を撮ったので、多分8年とか7年とか、それくらいだと思う。そんな事もわからないほど、私は自殺した父親の事を考えないようにして生活してきた。

どうでもいいからではなく、逆で、考えてしまったら生きていられないくらいだから

父親が亡くなって、最初の数年は命日も覚えていたし、毎日のように父親の事を想って悲しくて泣いていた。めちゃくちゃ辛かったけど、父親の事を忘れてのうのうと生きていくのは違うと思ってた。それと、その頃父親の死がきっかけで、もともと不仲だった母親や妹などの家族との仲も悪化して、自分が家を出て行く形になり、その頃はもう二度と母親や妹に会わないつもりくらいでいたので、父親の事を記憶以外で思い出せないようになったら、本当に何も無くなってしまいそうで怖かったから。写真の1枚も持ってなかった。なので当たり前に動画も何もなくて、声も思い出せないし、顔もそのうち忘れてしまうかもしれないし。

から、忘れないようにほぼ毎日父親の事を思い出しては、悲しくて泣いてた。

そんなふうに、毎日毎日泣いてた自分に当時から付き合っていた人が「泣かないで」と言ってきた。私を想ってのことだろうけど、私のことをあまり配慮してるとは思えない言葉だったと今になって思う。その人が周りの人に言いふらして、周りの人からも「泣くな」と言われ、泣かない為には父親の事を考えることができなくなった。

そうして、私は父親の事を考えなくなった。

それからもう何年経ったのかもわからなくなってしまった。命日も覚えていない。なんとなく9月だったと思う。父親の事は顔ももう思い出せない。声も思い出せないし、どんな人だったのかも思い出せない。

そうしたら、もう本当に泣かなくなった。毎日泣かずに生活できている。でもずっと、うすい膜みたいに希死念慮がまとわりついている。

父親が亡くなった日、亡くなった家で寝転びながら、もうここで死にたいなと明確に思った。今から行けば、まだ追いつけるかなと思った。

それからずっとずっと、死にたくてしょうがない。

今でも、父親という文字を打つだけで泣けてしまう。おとうさん、と呼んでいた。おとうさんと文字で打つだけで泣いてしまう。それくらい、整理が未だついていません。

もっとちゃんとずっと、父親の事を考えて、覚えていて、整理をつけるべきだったのだろうかと思う。それとも、もう忘れてしまって楽しく生きて行くべきなのだろうかとも思う。でも、後者を選んだけど、それは叶わなかった。

父親の事を忘れたけど、楽しくは生きられなかった。

それからずっと死にたいと書いたけど、死にたい漠然と思っているだけで、明確なきっかけなど無いので実行する事もなく。しかし無理やり楽しく生きようとする人生なので、意味とかないから終わってもいいかなという状態

そこそこ年齢も重ねてきたので、たまに身体に今まで体験した事のないような異常が起こったりするんだけど、そういう時、やっと死ねる?と思ってすこし嬉しくなってしまう。

死ぬ理由が欲しい。父親の事を普段忘れてしまっているので、本当に意味もなくただ、漠然死にたいなと思って生きている。理由のある希死念慮なら、解決策ってありそうなんだけど(例えば、借金が…とかそういうの)本当になんの理由もなく漠然と生きていたくないのでどうしようも無い。

どうするべきなんだろうか。もう疲れてしまった。母方のおばあちゃんがまだ存命なので、おばあちゃんだけは悲しませたくないなという思いだけはあるので、それが最後ストッパーになってる。

自分は長女だった。多分、父親は長女の私の方がかわいいと思っていて妹よりも可愛がってくれようとしていたが、妹からすればおもしろいはずもなく、私も妹に気を遣い父親に甘えられずにいた。今更、もっと父親に甘えておけばよかったと思う。未だに父親に甘えたい子供のままになってしまっている。ずっと進めない。

どうしたら楽になるんだろう。ずっと苦しいし、解決するはずもないし。

父親の事を忘れた自分のことも許せないし。

誰も助けてくれるはずもないし。

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