例えるならCCさくらやセーラームーンのような、かつて人気があった作品の復刻タイトルだ。
公式が自分のために時間を割いてくれるのが嬉しく、界隈者が見て・つながってくれるのも大変嬉しい。
そして元々小説を書きたくなるような作品でなく、この作品に憧れた当時の女児~少女達は一生懸命模写していただろうから、
男性で描ける人は極端にうまい有名人ばかりなので古の過疎村に留まってはいない。
ここで常連と化す人達は差はあれど、みんな他所では目立たない画力へたれである。
ふと、フォロワーがある一人を除いて全員『描ける人達』だということに気付いた。
イラスト垢をフォローしていったわけではなく、私もイラスト垢ではない。
今熱をあげて最新の話ができているアカウント自体、描ける人達に偏ってしまったのだろう。
そこからあぶれたその人もペンタブを使いここ数年練習し続けている。
……描けない人ってここまで描けないんですね。小学校の図工の授業も得手不得手激しかったもんな。
公式一覧で表示される、熟成発酵へたれ達に混ざった、本当に描けていない一人。
だが本人はどんどん傷付き、みるみる病む。
自分も底辺ヘタレなので常々感じるのだが、下手な絵をほめるのは相当にしんどく、ほめられた本人は疑心暗鬼になる。
公式が動くたび「公式とぼく」の距離感を呪うようになったのだ。メンヘラ彼女か。
だがこの古いジャンルが盛り返してるのは公式担当者さんの愛の力であり、公式を閲覧しないと新情報も流れてこない。
絵はやめていない。目立つところに出すのをやめた。
それでいいと思う。できないことで虚勢を張っても辛いだけだ。
描けない人視点で公式のことを愚痴ったが、公式担当者さんの手腕は実際には非常にすばらしい。