BLジャンルの(大抵の場合NLと比較して)優れている点を主張する声が時々界隈から飛び出してくるが、そこでよく出てくる「障害がある方が恋愛は燃える」っていう主張が気になっている。
例えば、同性愛者の男と異性愛者の男がいて、異性愛者の方が当初自分に向けられた好意に困惑しつつも段階を踏んで理解を深めていく、とか。
自分のことを異性愛者だと自認していたけれど、恋愛的に好きになった相手が同性で、自分の中での葛藤に苦しむとか。
性自認が女性・性志向が男性で、肉体が男性である人が、異性愛者の男性を好きになるけど自分の肉体が男性であることにあれこれ思い悩むとか。
そういうストーリーの展開だったらよく分かるんだけれども、一般的なBLって割と男性同士が普通に愛し合ったり絡んだりしてるのが主流じゃない?
そうなると、言うほど障害無くないんじゃないのという疑問が浮かんで仕方ない。
現代って、同性間の合意の上での恋愛関係がそこまで大きな問題や障害になる世の中だろうか?
BLの良いところとして恋は障害があるほど燃える理論を持ち出すのは、2、30年ぐらい昔の価値観であって、価値観のアップデートが求められる考え方な気がする。
恋は障害があるほど燃える理論について、一番話として説明しやすいのは身分違いの恋だろうか?
古くはシンデレラとか、ロミオとジュリエットとかで有名なアレ。
両作品は話の展開こそ違うが、立場の違いというのをストーリー上のギミックとして活用してカタルシスや悲劇性をうまく表現している。
でも身分違いの恋というと、現代を舞台にした話では中々活用しにくいギミックだろう。現代でも、経済的格差であったり地域性の違いであったり、相手との差を感じる事はあるかもしれないが、障害として機能するほど身分の違いは重みになりにくい。
それも現代にいたるまでの価値観の変化の結果であり、価値観がアップデートされた前例といえるのではないか。BLにもそういう流れが来ている気がする。
とここまで書いたけど私は二次創作のBLしかよく知らないので見当違いなことを言ってる気がする。
そして多分、障害があるから燃えると主張する界隈の人たちもそこまで考えてないと思うよ案件だとは思う。
二次創作BLって自分が楽しいシチュエーションを好きなキャラの皮着せて演じさせて楽しむファンタジーみたいな所あるし、原作あるものの性自認や性志向を捻りまくって創作するのも難しいし。
そんなこと言われてる時代は平成で終わっただろ なぜ脳内の偏見を修正しようとしないのか