アラサーの私は会社の同僚や取引先の人、友人や彼氏に「増田って優しいね」とよく言われる。
最近だと友人と待ち合わせをしていたんだけど、待ち合わせの時間を15分くらい過ぎて友人から「ごめん、今着いた!どこにいる?」とLINEが来た。
すぐに合流できて、「遅れてごめん!」と謝られたので「いいよいいよ、無事会えたんだし」と返したら「ほんと増田って優しいよね。怒ったりしないの?」と言われたので、曖昧に濁した答えをここに吐き出しておく。
私は優しくなんてない。
ただ、相手への期待をしていないだけなんだ。
もちろん、遅刻するなら連絡してよ、車で来てる訳じゃないんだし…と思わない事もないけど、その友人と待ち合わせをする事になった段階で「この人は時間にルーズだから店は予約しない方が動きやすいな」等と頭でイメージしているので、当日遅刻されても「会えて嬉しい」としか思わない。
彼氏もそう。
私は愛情表現は割としたいタイプで、好きとか会いたいとか尊敬してるとか、その場でストレートに言うし、手を繋ぎたくなったら相手に言う。その方が自分が後悔しないし素敵だと思うから。いつ自分や彼が死ぬか分からない、という一種の諦め?もあるのかもしれない。
一方彼は好きとか会いたいという言葉は言ってくれない。手を繋ぎたいと言っても大体はぐらかされる。
自分が手繋ぎたいな~と思っても、「彼がそうしたいと思ってないのに強制するのも嫌だな」と我慢する事も多い。その我慢した事を彼本人にふとした拍子に言うと、「そういう所、優しいよね」と言われる。
優しいんじゃなくて、諦めてるんだよ(^^)
よく、人間は言葉では嘘をつけるけど行動では嘘をつけない。と言うけど、本当にその通りだと思う。
私は
行動を見て→評価して→期待値を修正する→行動を見る(以下繰り返し)
を割ときちんとやっているんだろうな。
意識してなかったけど、改めて考えてみると、期待値修正という名の諦めをしているから、どんな事でも許せてしまう。
相手の行動が自分の期待値以下だったらそれは考慮すべき事情があるか自分の読みが甘かったかの2択となり、相手を責めるという発想にならないみたい。
ちなみに、私は高校生くらいの恋愛を覚えたての時にはもっとドラマチックでハイカロリーな恋愛をしていた。
ヤキモチとか脈アリサインとか追わせる小悪魔テクニックとかそういうワードは大好きだったし、自分の思う通りにいかないとイライラしていた。
しかし、アラサーとなった今、仕事においてもプライベートにおいても【円滑】【ストレスフリー】という環境を重視するようになった。
泣きながら雨の中を走ったり、一世一代の大勝負に出るなんて事はもう出来ない。恥ずかしいからとかじゃなくて、頭が自動的に現実的な最適解を導き出してしまう。
高校生の時のハイカロリー恋愛と、今の優しい恋愛、どっちも経験できてラッキーだ。
寝よ。
そんなことより高校生とアラサーの恋愛が読みたい
こうして失敗の経験値だけが貯まっていくのも人生やな……