海部内閣末期に最大派閥の経世会から総裁選出馬を打診されるが、若過ぎることと持病を理由に断る。この時受け入れていれば総理の座は確実だった。その後自民党を離脱し、政権交代を2回プロデュースした。
将来の総理大臣の最有力候補と期待されていたがゼネコン汚職で逮捕。自民党を離党。実刑判決を受け議員資格を失うが、刑務所から出てすぐ再当選。その後も当選を続け、いまだに現役の議員。しかし失脚後は本会議での発言回数が20年間ゼロで、ある意味表舞台から姿を消している。最近は立憲民主と国民民主の合併の橋渡し役になり、石破茂にも接近しているという。眠れる獅子が黒幕として目を醒しつつある。
河野太郎のパパ。
小沢一郎らの離脱により自民党が下野した頃の自民党総裁。その後与党に復帰するものの総理の座は連立パートナー社会党の村山富市へ。村山総理も途中で河野に総理の座を譲ろうとするが、小渕恵三の反対で頓挫。総理にはなれなかったが河野談話というレガシーは残した。
90年代末『総理に一番近い男』と言われていた。しかし森政権を倒閣しようとして失敗(加藤の乱)。自民党は創立当初から保守本流(ややリベラル)と保守傍流(タカ派)の二大潮流があり、代わる代わる総理を輩出していたが、加藤の乱により加藤紘一率いる保守本流の最大派閥宏池会は分裂し、自民党はそれから20年間タカ派の清和会(森、小泉、安倍、福田)が優勢になった。ちなみに今の宏池会のトップは安倍首相に忠誠を誓い総理の座を禅譲してもらおうとしている岸田文雄。
苦難の時期を耐え、やっと自民党が与党に復帰するタイミングで派閥の子分である石原伸晃が勝手に総裁選に出馬したことで出馬断念。涙を飲んで石原伸晃に派閥の票を一本化したが、とうの石原伸晃は福島第一原発を「福島第一サティアン」と言い間違える痛恨の失言で総裁選レースから脱落。その後谷垣禎一は自転車事故で政界引退。
二時🕑🌈。。