もちろん、断種法がアウトなのはよくわかる。産む側、親の明確な人権侵害だ。ただ、断種は優生思想の実現方法の一つでしかない。優生思想は一般にアウトとする理由がよくわからない。
確かに、野田洋次郎のツイートはいまいちだと思った。「一部の親の生殖を奨励することで、奨励されて生まれた子供とそれ以外の子供で命の価値の不平等が生じる」ってのはまあ理解できる。一方で、「人間の価値は変動するから」「人間という種の生存戦略として不適だから」みたいな意見を読んだけど、じゃあ普遍的な価値を持った遺伝子が見つかったり、生存戦略として適切であるような方法が見つかれば、優生思想はOKなのか?と問い返されてしまうのではないか。
安楽死の話はそもそも優生思想は関係ないはずだ。優生学は「生殖の制御」が必須の要素で、今後生殖しないであろう高齢者の安楽死を認めようが認めまいが(他の倫理的な問題はもちろんあっても)優生学とは無関係だ。言い換えれば、「誰が生きるべきか死ぬべきか」ではなく、「誰が生まれるべきか」を考えるのが優生学だ。
自由恋愛云々は更に無関係だ。個体の自由意志で生殖した結果、集団として形質に偏りが生じる、というのは進化論レベルの話だ。現代社会で、「生殖したくてもできない集団がいる」という問題は明らかに解決不可能だし、それを「優生思想的だから」といって問題視する理屈もよくわからない。もちろん断種法のように、無能である(とされる)個体の生殖を積極的に禁止したら人権侵害だ。それは優生思想的だからというより、(不当に個人の自由を侵害するという)人権侵害であることが問題だ。
雑な言い方をすれば、はてなユーザを無能コンプレックスから守るための便利ワードとして、「優生思想」が使われている気がしてならない。優生思想の何が問題とされているのか、ちゃんと理解されているんだろうか。
普通に生きていても事件や事故で全身まひや、納税額より税金からもらう金が多い状態に、老人じゃなくてもなるだろうに なんで自分を都合よく対象から外したり、老人になったとき云...
わかりにくい文で申し訳ないけど、「安楽死を認めるべきかどうか」は一つも議論してなくて、「優生思想への批判を、安楽死の是非の根拠とするのは妥当か」という議論をしてます。...