2019-08-15

から不安を感じやすい質で、年を経るごとにその傾向が強まっている。

社会生活を営み続けると、どうしても自分注視すべき管理箇所は増加する。よって管理コスト肥大化し、精神疲弊する。

それどころか、たとえ社会活動を何もしなくとも、ある管理箇所について考えを巡らせるだけで、そこから枝分かれするように管理箇所が増えてしまう。

結果心配事が無制限に増加してしまう。

もちろん枝分かれして出来る類の管理箇所は、大抵自分の力が及ぶ範囲を超えている。

からこそ、この思いを人に話すとき相手からは「心配のしすぎ」「杞憂」と言われてしまう。

それでも考えてしまう。考えても仕方がないことを考えてどうする、と自分を律しようとしても、考えることを止められない。

"変えられないものと変えるべきもの区別する賢さ"が自分には無いのだ。

不安に思うことを止める」という抜本的解決策がとれないとき次点で挙がるのは「不安ごまかす」という手法だ。

ということで、自分楽しいと思うことを列挙していこうと思う。

なにかの本にも、精神的に疲弊しているとき自分幸せに感じる具体的に行動を列挙し、上から順に実施するといったことが推奨されていた記憶がある。

とりあえず列挙し、記載したアクションを上から順に行動。それによって不安が解消されれば一見落着だし、解消されないようでれば記載を削除して次項目に移る。

こうしていけばそのうち不安は解消されるという寸法だ。ということでつらつらと書いていく。

1. ポテチをしこたま食べる。(これは体重へのインパクトが大きいため最後の手段

2. 1万円以上の寿司を食べる。(これは貯蓄へのインパクトが大きいため最後の手段

3. 1万円以上の天ぷらを食べる。(これは貯蓄へのインパクトが大きいため最後の手段

4. 焼き肉を食べる。

5. 10万円以上の時計を買う。(これは貯蓄へのインパクトが極めて大きいため最後の手段

6. 店で生ビールを飲む。

7. 爆音高校時代に好きだった音楽を聞く。

8. ボードゲームをする。ボードゲームは新しいものならなんでもよい。

9.時間眠る

10. スーパー銭湯に行く

11. 近所を散歩する

12.


ここまで記載したが、全然駄目だな。そもそも最後の手段が多すぎる。

加えて、おそらく本当に不安を感じているときはきっと何もできない。

将来を考えるとあまりお金を使うことや、健康へのインパクトがあることは、いくら不安解消のためとはいえやりたくない。

とまあここまでいろいろと書いてきたが、若干ながら不安が軽減されてきた。

結局のところ、思いをなにかに書き出すこと自体精神安定に良いのかもしれない。

自分主観から客体に置くことで、不安自分ごとではなくなるからだろうか。

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