2019-05-11

まだ雌性配偶子にさえ接触していない自分の雄性配偶子の将来について

そりゃあ結婚して子どもをもうけて仕事やりきって死ぬのが個人としても社会としても理想的人生ひとつだということはわかる。大卒で安定職についており、それなりの外見である以上、それは可能なのかもしれない。

ただこの時代のこの社会に生まれ自分遺伝子が入っている子どものことを思うと、あまり不憫だ。

まず、時代社会についていえば、今後この国に少なくとも50年くらいは素晴らしい成長を見込めない。幸せをもたらすのは恋愛とは限らないという風潮が広がるくらい産業がもれなくニーズを拾ったので、成長余地がないのだ。

また、勝者はますます勝者になる仕組みであるため、格差は開く一方。その流れに乗れれば問題ないのだけど。

更に、未成年の頃はまともな生活にありつくための準備で振り回され、社会に出たら本番はよりしんどいことに気付く。

おまけに、人間欲望個人が抱える最後差別化要因である容姿からなるルッキズムを浮き彫りにしている。容姿はどうしようもない。整形でもしないと。とはいえそれは倫理にもとるけど。

また、個人についていえば、今の職業以外、世間から誉められる要素は何も持ち得ていない。こんな人間次世代を残す意味社会としては納税者消費者が増えるメリットはあるが、生まれ個人としては勝つべきだけど勝てる可能性が低いガチャが多すぎる気がするのだ。人間が身につける好ましい要素は遺伝子でなく環境依存するものもそれなりにあると言われても、その環境すらネット散見するハイスペカップルに勝てるとは思えない。

負ける可能性が高い、そもそも不利と判っているのに、性欲に負けて出産させるのは許可できない。

こうしてxvideosは繁盛するのだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん