そりゃあ結婚して子どもをもうけて仕事やりきって死ぬのが個人としても社会としても理想的な人生のひとつだということはわかる。大卒で安定職についており、それなりの外見である以上、それは可能なのかもしれない。
ただこの時代のこの社会に生まれ、自分の遺伝子が入っている子どものことを思うと、あまりに不憫だ。
まず、時代や社会についていえば、今後この国に少なくとも50年くらいは素晴らしい成長を見込めない。幸せをもたらすのは恋愛とは限らないという風潮が広がるくらい産業がもれなくニーズを拾ったので、成長余地がないのだ。
また、勝者はますます勝者になる仕組みであるため、格差は開く一方。その流れに乗れれば問題ないのだけど。
更に、未成年の頃はまともな生活にありつくための準備で振り回され、社会に出たら本番はよりしんどいことに気付く。
おまけに、人間の欲望は個人が抱える最後の差別化要因である、容姿からなるルッキズムを浮き彫りにしている。容姿はどうしようもない。整形でもしないと。とはいえそれは倫理にもとるけど。
また、個人についていえば、今の職業以外、世間から誉められる要素は何も持ち得ていない。こんな人間が次世代を残す意味。社会としては納税者や消費者が増えるメリットはあるが、生まれる個人としては勝つべきだけど勝てる可能性が低いガチャが多すぎる気がするのだ。人間が身につける好ましい要素は遺伝子でなく環境に依存するものもそれなりにあると言われても、その環境すらネットで散見するハイスペカップルに勝てるとは思えない。
負ける可能性が高い、そもそも不利と判っているのに、性欲に負けて出産させるのは許可できない。
こうしてxvideosは繁盛するのだ。