2019-05-04

ああ、結局「ホモ」は「ゲイ」に負けたのか

彼女が好きなものホモであって僕ではない」がNHKドラマ化したら「腐女子、うっかりゲイに告る」になった件。


タイトル理解は正しくなくて、「僕」から見たら主人公は「ホモ」だけど、「腐女子から見たら「ゲイ」だということで、なんの齟齬もない。

しろ原題をそのまま使うのは難しいことから彼女目線タイトルに変えることで作者の意思をうまく尊重したのだという考え方すらできる。


それでも、という話。

この作品主人公はどこまでも「ホモ」で、「ゲイ」じゃない(肯定的意味でも否定的意味でも)。

何の違いか、というのを端的に言うと、ゲイとしてゲイコミュニティに何の違和感もなく馴染めるゲイとそうじゃないホモということで、

これは俺定義ではなく原作者自身がそうツイートしている。

原作者BLで目覚めて後からゲイパレードを始めとするゲイ文化を知り、愕然としたというバックグラウンドがあるらしい。

BL対象となる「ホモ」と現実存在する「ゲイ」という対比、ニュアンスもある、はず)


ヘテロにとっちゃどうでもいいことだろうと思うが、いわゆる「新宿二丁目」なゲイ像を男性同性愛者の全体が受け入れているということではない。

しろ、ああい雰囲気を移されないようあえて遠ざけているという人間さえいる。


作者のこだわりというが、自分もとても共感していた部分だったのでドラマ原題が最終的に「ゲイ」になったのが残念でしかたない。

もちろん、ホモなんて言葉を入れるわけにいかないことはわかっているけども。


ホモであってゲイでない」というのは非常に難しいし、

「ただの同族嫌悪と何が違うんだ」「選民思想に溺れているんじゃないか」と謗られても説得力のある反論は思いつかない。

「そんなつもりじゃない」ぐらいしか言えない。

実際、自己肯定なのか自家中毒なのかわからない執着を抱えながら「ホモ」で居続けることが素晴らしいことだなんて思わない。


それでも、「ああ、一括りなんだな」という残念さが消えない。

女を「ババア」と呼んで勝手に親近感を持ったり、オネエ言葉を使ったりすることはアイデンティティとして受け入れられないんだよ。

そういうプロトコル内面に持っていたくない。

一緒にされたくない、というのが偽らざる本音だ。


…というモヤモヤ気持ちをうまく表現できないので増田に投げておく。

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