学生時代の友達と久しぶりに会って飲んだ。おきまりの「あの人は今どうしてる」という話になっていろいろな人の近況を聞いた。そのときに名前が上がらなかった人、一人の先輩のことをそれから時々思い出す。
先輩が死んでしまってからずいぶん時間がたつけれど、やっぱり切ない、やるせない、なんでそんな若くして死んでしまったんだと私は思う。親密といえる関係ではなかったのに、思い出すと不意に悲しさが来る。それなのに、自分でも驚いたけど、彼の名前を忘れていた。
先輩は私が学部生時代の院生だった。今考えれば私たちの年齢は近く、2人とも今の自分よりずっと年下の若者だ。でもそのころ、先輩はずいぶん大人に見えた。知識の量や洞察の深さはもうプロの世界に足を踏み入れていたわけだし、自分の研究テーマを持っていた。
悩みの深さも私とはまるで違っていた。先輩は精神科に通っていると言っていた。「長いこと薬のんでる。酒と一緒に飲んだらダメなんだけどね」と言いながら、ラムを飲んでいた。果汁をしぼったライムが、背の低いグラスの中にごろっとあったのを覚えている。
先輩の表情も覚えている。簡単に思い出すことができる。なぜならいつも同じような顔をしている人だったからだ。影がある顔と言えば陳腐だし、苦悩がにじみ出た顔と言っても大げさ過ぎる。なんというか、心から楽しい!と思ったことはもう何年も前だというような顔。目線はだいたいいつも下を向いていて、時に落ち着きなく動く。でも口元というか、口角だけはいつもキュッと上がっている。いつもそのままキープしている。「人前にいるときにはそうすべき」と自分に課したルールでもあるのだろうか?と思うくらい。
私は先輩のプライベートにはほとんど入ったことがなかったから、本当にリラックスしているときに口角がどうなるかは知らない。今は、あのキュッと上がった口角が、どんな状況でもリラックスできない(かもしれない)先輩の内面を象徴するような気もする。本当のことはわからない。もう彼に会って確かめることはできない。ただ、当時の私はその表情に安心感をもっていた。「この人は私の話を聞いてくれる」という勝手な信頼感。
2人だけで喫茶店に行ったことがある。なんの行きがかりか忘れてしまったけど、学内で会って話しているうち(私の卒論についてだったような気もする)、コーヒーでも飲みながら話そうという話になったんだと思う。店のセレクトも当時の私よりずっと大人だった。学部生たちが試験前に徹夜するために行く24時間営業の店ではなくて、こだわって仕入れた豆で丁寧に淹れたコーヒーを出す店だった。何を話したのか覚えていない。コーヒーの味も覚えていない。あれから私はたくさんのコーヒーを飲んだから。覚えているのは、下を向きながら頻繁に動く目線と、それに伴って動く長いまつげと、そして上がった口元だ。先輩の名前は忘れてしまった。
名前が思い出せないまま数週間がたった。でも今朝、地下鉄の駅から地上に上がるとき、先輩とそっくりな顔をした人が上から階段を下りてきて、すれ違った。その瞬間に思い出した。「あ!」と声が出そうなほど似ていて、驚いて二度見してしまった。私は先輩の名前を思い出した。すっきりしたとか、階段を降りてきた人は実は……というような何かオチがあるわけでもなく、なんでもない出来事だけど、書いておきたくなって書いた。
村上春樹で読み飽きたんだごめんな
それだけ濃い思い出があるのに名前だけするっと抜け落ちるものなんですね。 若いときのコミュニケーションなんて案外名前知らなくても成り立つ。