仕事の関係でよく小学校に出入りするんだけど、貼ってある目標とかがあまりにもきれい事すぎて胡散臭い。理想論であることは重々承知のうえでうたい文句としてそう書いてあるならまぁしようがないけど、本気で教育の力でそういうことを実現できると思っているのならその教員の頭の中はお花畑ではないかと思う。
典型的なのが「みんな仲良く」。子どもが幼ければ幼いほど、友達には自分と同質であることを求めるので、結果としては異質な人間を排除していじめる方向に行ってしまうと思うんだが。
教えるべきなのは「人にはそれぞれ個性があり、どうやっても自分と気が合わない人というのが存在する」ということと、「どうしても気が合わない相手と無理に仲良くしようとしても無駄なので、ほどほどに距離をおいた付き合いをする方が上手くいく」ということではないだろうか。
大人だって価値観が違う人間が無理に仲良くしようとするとトラブルを起こすというのに、子どもにそれを求めるのが無理というもんだろう。まず、世の中には自分と違う価値観や環境で育てられた人がいて、自分と価値観が一致する人の方が少ないということを認識するのが重要だろう。
それに「友達100人できるかな🎵」という歌(タイトルは忘れた)が代表するように、小学校で「友達が沢山いる子が偉い」「友達ができないのはダメな子」みたいな価値観を植え付けることによって、個性が強くて(あるいはコミュ力が低くて)仲間がいない子の自己評価を下げることになる。
そういう自己評価は下手をすると大人になっても続く。「コミュ力が高くて友達が多く、プライベートが充実している人が偉い」的価値観は、小学校時代に植え付けられた価値観によるところが大きいと思う。
人間はそもそも人の長所より短所に目が行きやすく、グループになってつるむときは共通の敵を作って悪口を言うのが結束を強めるのに効果的だったりする。そういう人間の性質を無視して「みんな仲良く」を強いるのは無理なのだ。
「個性的で皆と違うものを持っている人の存在価値を認める」「みんなと一緒にいるより一人で過ごす方が楽な人もいる」「人と仲良くしたくてもコミュニケーションスキルが低くてみんなと同じようにできない人がいる」という現実を教えるのが学校の役割ではないのか。
他にもいろいろ突っ込みたいところはあるが、一番小学校時代の教育が大人になっても生き続けるのがこの価値観だと思うので書いてみた。
オッサンの小学校の時とはだいぶん変わってるから大丈夫。 (違いを認めた上で)みんな仲良く、だから。 どこの小学校にもハーフの子はいるし