「もしおれがその好かれてるやつだとしたらすごく悲しいよ」「勝手に終わられて思われてることも知らずに一生なんてさ」「誰かに思われることってなんかすごく…」
誰かに思われることに対して、フラットな(公平な? 客観的な?)状態で向き合ったことがないから、この台詞にとても動揺した。
誰かに好意的に思われるという図が現実的に想像できない。友達とか、あとはファンタジー的な(ヒーロー的な)ものであれば想像できるんだけど、誰かが好意的に接してくれるのはただ単にその人の優しさなだけであって、私自身が好かれてはいないんじゃないかと思う。嫌われている方が多いし。
そもそも、実在する人物に好かれる想像をすることって赦されるんだろうか。想像だけなら自由なんだろうけど、その人がオナニーしてることを想像するよりよっぽど赦されないことの気がする。私に好かれて嬉しいとか、身の程を知れよって脳内で色んな人にものすごく叩かれるし。
だから少女マンガが気持ち悪いんだなぁ、となんとなく思った。感情移入のしようがない。なんでそんな、自分が相手を好きなことが赦されると思うんだろう。
今回読んだ話は少女マンガではなくて、好きなことが赦されないと思ってたから秘密にしてたんだけど、言外で伝えてみたら案外赦されたとかそういう、話で。とりあえず感情移入はしてしまっていて、言語化しにくい気持ちを抱いていて、いやでもやっぱ私だったらこれを読んだ上でも誰にも何も伝えないし、なんか説得されてるみたいに感じたけど受け入れるには全然感情が追いついてなくて、この物語はそういう物語だからハッピーエンドではないにしろ日常も人格も壊れない優しい話で、でも私は現実なので、尊敬はギリギリ伝わってもセーフとして、相手が私に好かれたことに一生気付かない方が、幸せとか、好ましいとか、そういう感じになるんじゃないかと思う。
そんで、こういう自分語り思考のきっかけでしかなくて感想でもなんでもないものを作者や担当や編集部に捕捉されて「感想じゃないじゃん」って思われるのも嫌だし、あなたのファンに私みたいな気持ち悪い人がいるのも知られたくないし、知り合いに「また自分語りしてるけど可哀想だから構ってあげなきゃ」と心を砕いてもらうのも心底申しわけないし、でもどっかに放流はしたくて増田した。