2018-06-21

批評家と恋と誤読(早稲田ニュースについて)

大学教授ニュースについて。この人は刺激的な言葉を使って人の反応を愉しむような講義をしていたし、その刺激的な言葉面白さを感じて講義を受ける学生から人気だった。

今回のニュース、つまるところ恋の話なんじゃないかと思っている。

恋に落ちることは、悪いことなのか。自制の働かなかったことが悪いことなのか。

教授女子学生が本当に好きで、きっとこの口説き方ならついてきてくれるんじゃないかと思ったんだろう。その時にはもう恋に落ちていて、批評家だったから、その子文書容姿仕草から自分への好意を読み切ったつもりだったんじゃなかろうか。そしてそれが誤読であって、女子学生は嫌な思いをしてしまった。

時代は変わっている。ハラスメントという言葉、考え方、配慮は当たり前で、その配慮のない人が恐ろしいとされる時代で、いままさに書いているこの言葉だって槍玉にあげられかねないくらいだし、自分でもそう思うくらいだ。

老い批評家はその時代感覚を読み違えたんじゃなかろうか。恋にも落ちていた。時代も変わっている。きっと自分を好きであろうと考えた目の前の相手が、本当は自分が好きなだけであったことに気づけずに口説いてしまった。

しまっただけ、ではない。その読み間違いがひとりの女性を深く傷つける至ったのは事実だ。ただ、師として尊敬していた教授が、自分への想いを誤読していたことへの失望と、いままさに時代のなかで嫌悪されているハラスメントを同時に行っていること。

そして、大学側の対応の不誠実さ。ここにも、事情はあるのだろうけれど、この教授の心を慮ったばかりに、学生へ不誠実な対応となったのじゃないか

批評家は誰よりも客観的に、そこに立ち現れている物語の裏側をひっぺがえしてしまう人だ。言葉遣いに隠された、当の作者でさえ考えてもみなかった意味を、作用を、炙り出してしまう。読者にとってはそんなことどうでもいいよということもあれば、全く新しい思考世界を開かせることもある。人のモノの見方をがらりと変えてしま職業だ。

その批評家が「読み誤る」ことの恐ろしさ。それはプロとしての批評家としての失敗であり、今回に関して言えば権威の失墜であり、何より当人がことの重大さを一番にわかっているのだろう。

そしてそれを引き起こしたのが、恋だ。

問題は多々あるけれど、根幹には、人間の抱えている美しく、罪深い、この恋という厄介な性質がある、ということがこのニュースが伝えていることのひとつなんじゃなかろうか。さびしくて、かなしいニュースだ。女子学生の心がせめてきちんと、救われるような結末になるといい。

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