ふとYouTubeの急上昇にアニメ「君の膵臓をたべたい」の特報映像が載っていた。前から独特なタイトルが気になっていたし、実写化からアニメ化のスパンが短く、なぜそんなに人気なのだろうかとミーハーながらもこれを機に読んでみることにした。読後なぜか感想を言わないともどかしい思いにとらわれたものの、こんなのを言う相手もいないのでここに投稿することにした。長いし臭いし拙い感想文だが、付き合ってくれるとうれしい。あと、かなりネタバレ注意なのであしからず。
美しい終わりへの話。
最初僕はそう思ってこの小説を読んでいた。春樹(僕)の初めて感じる楽しさと、桜良の僅かな時間を精一杯楽しみながらも死と直面する恐怖が合わさりながら美しく生と死を描いていると思っていた。読み進めて残りページが減るにつれ、いつ桜良は死んでしまうのかと悪知恵ながらもドキドキしながら読んでいた。しかし、突然出刃包丁というワードが出てきた瞬間、頭が止まった。言葉にならない感情が湧き上がってきた。そして、死がいつめぐってくるかなど誰にもわからないという当然な決まりが自分の頭から抜けかけていることに気づき震えた。
人はいつ死ぬかわからない。仲良い友達も家族も、挨拶を交わすだけの人も、話したことない他人も。痛みを伴わない病にかかっているかもしれないし、ふいによろけて電車が入ってきているホームから線路へ転落してしまうかもしれない。それこそ突然電柱の影から現れた通り魔に刺されてしまうかもしれない。当たり前に人はその事実を知っている。何万もの命が一瞬に奪われた大地震を経験して。或いは平穏な朝に起きた悲惨なテロで。しかしその日が終わればまた何も無い日常が繰り広げられ、大多数はTVに映る悲惨な光景の一片を目にしただけで受け流してしまう。1年も経つとそんなのあったな程度に感じてしまう。それが人間の性であるから仕方がない。一日一日を大切にしよう。明日死ぬ気で一日を生きよう。そう思っても絶対明日が来るという確固たる事実が、経験が、邪魔をして惰性で生きてしまう。安定した日本で生きる僕らの頭の中で埃をかぶって小さくなっているそれらを、この小説はつついて大きく存在感があるものにしてくれた。
朝起きて、学校へ行き、ただいまをしておやすみをする。何ら変わらない退屈な毎日で生きている実感が薄れていた。しかしそこには変わらないと思える贅沢があり命があることに気づいた。いつしか涙が溢れていた。