世に溢れる「逃げていい」というメッセージは、命の危険に晒されている若者に対してのもので、
肉体的に死の危険がない人には向けられていないというのは承知している。
自分は学生の時、肉体的な苦痛を受けるいじめというのはほとんど無かった。ボールをぶつけられた事は何度かあったけれど大怪我はしなかった。
でもどこに行っても心無い言葉を浴びせられ、鬱になって死のうとしたことはある。
最近「逃げていい」というメッセージが目立つようになったので、自ずと考えてしまうのだ。
自分が逃げていたらどうなっていたんだろう?
それで何日のあいだ、どこに行くんだろう?
親から虐待されていたら施設が保護してくれるのかもしれないけれど、
そうでない場合は最終的にはホームレスになるか、家に戻るかのどちらかしかない。
さて家に戻ったらどうなるだろうか。
「逃げていい」に違和感を感じる人とそうでない人の違いはここにあるのではないかと思っている。
家出をしたあなたを心配して、最終的に優しく迎えてくれる家族が居るなら「逃げ」成功。
帰宅後、家族ぐるみで罵倒。発言権は無くなり、学校以外で部屋から出る事は叶わず、下手すればテレビやマンガを見る事もできなくなり、「あの時出ていったから」という理由を盾に何年もネチネチ文句を言われる。
結局学校に通う事になり、クラスメイトからは更に酷い仕打ちを受ける。
たった数日逃げるために、支払う犠牲が多すぎるのだ。
毎日どうやって暮らすんだろう。食事や寝る場所の獲得、情報を得るためのコミュニケーションも必要。
…なんだかホームレスやるほうがずっと才覚が必要な気がしてならない。
死ぬ気になればなんでもできるなんていう言葉はよく聞くけど、あんなのウソだよ。
何かやるのって継続的にパワーを消費するんだよね。
追い詰められている時ってそういう気力がゴリゴリ削られてて、
もうダメだって一瞬で何かできるかもしれないけれど、長続きさせるほどのものは残ってない。
一時的に逃げる事もできる。
でも逃げたいと思っている時は大体何かの奴隷になっている。