90~00年代に流行ったJホラーが強いインパクトを残してるけど、制作陣でなんとなく共通認識として捉えられていた「因果ものにしない」(「恨みがある相手を攻撃する」、こういう原因があったから祟る、はやめる)は、すでに昭和のはじめに岡本綺堂が「因果ものは怖くないのでやめよう」って指摘してる。
幽霊って理不尽な存在なわけで、理路整然とこういう理由で襲いますってなったら怖くない。詳しくないけど、そもそも神様自体も日本では昔から無差別に祟るでしょ。極悪人や強い恨みを持つ人を殺してそのままにしておくと祟りが広がるから、祀って神様にしてきた。
じゃあなんで世間の怪談、ホラーは因果ものになりやすいかというと、一般的に因果がある方が物語として強くなるから。何も関係ない子供がラピュタを見つけるより、主人公たちが血の因果を巡りムスカと戦う方が面白いでしょ。
話としての尺が長くなるほど、因果を強く結びつけた物語性が必要で、それがないと読者や観客が飽きちゃう。だから強い因果が必要な長編(映画も含まれる)には、幽霊ホラーは向かない、怖くなりにくいと言われている。もしくは、幽霊ホラーを紐解くと悲劇の構造である、とか。
Jホラーの場合は、80年代?に流行ってた実話投稿怪談がベースになってるので、そのフォーマットに則りいかにも物語っぽい「つくり」を無くす方向から因果を弱めるようにしたらしい。ちなみにJホラーも最初は短編が多い。
長編として成り立たせるために、映画リングの場合は「貞子の死体をきちんと葬れば呪いが解ける」という、ある種の因果ものに見せかけたどんでん返し。呪怨は物語性を薄くして怖がらせながら、連作短編で飽きさせないという風に、工夫している。
結局流行り廃りが大きいと思うが、ここ数十年は現実に無差別的な事件が多く報道されているからホラーもその影響を受けているのでは、という説もある。
昔は 無差別攻撃をするのは妖怪 恨みがある相手を攻撃するのは幽霊 みたいな区別があったと思う でも今は例えば貞子は幽霊だと思うが攻撃は無差別だ 幽霊が不条理に攻撃するようにな...
90~00年代に流行ったJホラーが強いインパクトを残してるけど、制作陣でなんとなく共通認識として捉えられていた「因果ものにしない」(「恨みがある相手を攻撃する」、こういう原因...