二次元アイドルコンテンツのライブが終わるたびに、声優がここぞとばかりにTwitterやブログで自分とキャラを重ね合わせてるの見ると凄くモヤモヤする。
声優ファンが、声優とキャラを同一視することは昔からあることだし、そこについて夢を見せる事はエンタメの仕掛けとして悪くないと思う。
ただ、当の本人、声優が、自ら自分とキャラを重ね合わせたりとか、なんなら同一視したりとか、それはなんか自意識過剰な印象がしてしまう。
演者としては、キャラを憑依させるみたいなおまじないみたいな話だと思うし、客を楽しませるエンタメ商売としては優良なサービスだ。
またライブという高揚感のある場では特にそういう意識が高まる瞬間だと思うんだけど、
あくまで声優はそのキャラクターの「声を担当している」だけの存在であり、キャラクター本人では無い。
しかし自分みたいなのは少数派で、むしろ多数派はそういう状況を望んでる感はある。
前述のライブ後のTwitter、ブログ等の声優の感想コメントに寄せる、ファンからの感謝コメントの嵐といったら凄まじい。
ファンはライブの感動をキャラクターたる声優に届けることで満足感を得るし、
声優は自尊心、承認欲求をキャラクターという仮面の元に最大限得られる。
状況的には双方に都合が良く出来てる。
もしかしたら声優は商売として賢くそのように振る舞っているだけかもしれない。
でもそれが過剰になると、いつのまにか声優がキャラクターを追い越してしまう時がくるかもとも思うのだ。
実際そういうことは世の中のコンテンツに散見されるように思うが、あまりそれを良しとは考えない。
繰り返しになるが、声優はあくまでキャラクターの声を肩代わりする存在であって、
キャラクターそのものじゃないんだ。そういう矜持を声優本人がより意識して欲しい。
それを忘れ、声優とキャラクターがどんどんシンクロしていくと、
キャラクターがキャラクターを演じるようになってしまうではないか。
声優が同じというだけで別コンテンツの二次元アイドルの名前を出して盛り上がる層が必ずいる。
アイカツのライブでも見れば
声優への信仰こじらせすぎてない?大丈夫? テレビや舞台の役者をどう捉えてるのか気になる増田だ
つまりどういうこと? テレビや舞台の役者をどう捉えているか、というのはどういうこと。
仲間だぞ https://anond.hatelabo.jp/20170815032230