23年生きてきて、自分なりに「趣味」を定義すると、以下の通りである。
①人間は、「趣味」というものを持ち、仕事のしない休日に私費と時間を投じて、それをやるらしい。
②「それについての事柄が好きだ」と初対面の人の前で言ったときに、ネガティヴなイメージを持たれないものでなければ、「趣味」とは認められない。
③「趣味」を持つ人間は、「趣味」を持たない人間より高尚な人間とされ、仕事がうまくいったり、友達ができたり、恋人ができたりしやすいらしい。
ぼくの趣味について、ぼくが好きなことと言えば、「昼寝すること」と「風俗に行くこと」であるが、当然、それは②にあてはまらず、「趣味」とは言えない。
昼寝が趣味だと初対面の人の前で言えば、怠惰な人だと思われるだろうし、まして風俗に行くことが趣味だと初対面の人の前で言えば、誰も近づかなくなるだろう。
かといってぼくは、「昼寝すること」と「風俗に行くこと」以外に休日にしていることはほとんどない。
しかし、「趣味がない」といえば低俗な人間だと扱われることは確実だろう。
現に、趣味の話になったときに、てきとうに他の話題を持ち出しその場を凌いできたぼくは、仕事もうまくいっているとは言えないし、当然友達も恋人もいない。
ぼくは中高生時代、吹奏楽部で楽器を演奏し、大学でも管弦楽のサークルで楽器を演奏していた。
もちろん入部したからには、懸命に練習したが、その理由は、楽器が「好き」だからではなく、合奏でミスをして「恥をかきたくない」からであった。
中学時代に吹奏楽部に入部した動機も、「先輩の演奏する姿が格好いいから」とかではなく、母の勧めがあったから、という、「好き」とは程遠い理由であった。
部活の同期が、どの作曲家が好きだとか、どの曲が好きだとか、そういう話で盛り上がることはよくあったが、ぼくはそういう話にまったく興味が持てなかった。
次の合奏でミスをしないこと以上に、音楽に対しても興味をもてなかったからである。
最近、社会人サークルで楽器を演奏しているが、楽器を演奏することは「好き」ではないことに、改めて気づいてしまった。
大好きな昼寝と風俗の時間と私費を割いてまで、それをするほどの価値があるとは、とうてい思えない。
「好き」ではない仕事を平日にやった上に、「好き」ではないことに休日の大半を費やす生活は、苦痛以外の何物でもない。
「正規雇用で働き、趣味を持ち、恋人(配偶者)がいる」という、世間が有象無象の圧力をかけて推奨する、20代前半の生き方を真似しようと試みてきたが、最初から無理だったのだ。
平日の仕事で疲れ切ってしまい、休日を体力と寂しさを回復させるためだけに使う人間など、プライベートで誰も話そうとも思わないのだ。
めんどくさい奴だな。趣味は趣味、以上。