「ぼくらはみんな生きている」という大前提が頭からすっぽ抜けてる人が多い。
弱者の権利を主張するノイジーマイノリティはひどいことをした。
マジョリティもマイノリティも生きているのだけど「マジョリティが生きている」ことへの配慮・譲歩がなさすぎた。あるいは事を急ぎすぎた。急にわけわからんことを言われてもわからない。
例えば、いままで分類を2しか持たなかった「性別」という事柄について、「じつは50以上あるんで25倍にしてください」とか、急に仕様変更を強要されても難しい。その結果がいまなわけ。けっきょく誰も幸せにしていない。マジョリティもマイノリティも不幸にしてしまった。
誰も得をしなかった。
ノイジーマイノリティによる権利の要求が目に余り、耐え切れずにサイレントマジョリティがキレたのがトランプ当選という結果を招き、対立と分断を生んだという側面で見るなら、ノイジーマイノリティとは違って、マジョリティとの共存を図ろうと今までやってきた、いわば「サイレントマイノリティ」にとっては、これは大迷惑な話。ノイジーマイノリティという存在は、サイレントマジョリティにとってもサイレントマイノリティにとっても、迷惑な存在なのか。例えば「小人プロレス」の問題からも、それが伺えるし、裏付けと言える。もちろん、ノイジーマイノリティがサイレントマイノリティに恩恵をもたらしている側面もゼロではないとは思うが、合計したらどうか。マイナスなのではないだろうか。答え合わせにはまだ早いだろうか。
賢明かつ冷静なマジョリティ諸兄らは、どうか、ノイジーマイノリティと、サイレントマイノリティを同一視しないでほしい。区別して頂けると幸いである。マジョリティは「気持ちはわかるがお前の態度が気に食わない」という感じなのではないだろうか。「人権屋」などと揶揄されるメンタリティから推測するに。
「ぼくらはみんな生きている」を歌えない人は、政治に口を出してはいけないのではないだろうか?
さもなくば、また同じ事を繰り返す。
ノイジーマイノリティは、性懲りもなく未だオレオレ大合唱している。
マジョリティ側の人間にだって、本当は俺だって弱かったり辛いのをのガマンしてる、救われて然るべきなのに救われない、社会福祉の手が差し伸べられるかどうかギリギリのラインで除外された人間がたくさんいて、辛い思いをしている。「障害者なんて焼け太りだろ?」と思われても仕方がない。そういったギリギリアウトの人も、なんらかの形で救われて然るべきだろう。
立場を問わず、死んでいった人たちを無駄にしないためにどうしたらいいのだろうか。
なるべく死なないように、みんなそれなりに満足に生きていくには。
最大公約数はどこにあるのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160626213749
一言でいうと、「100年経っても日本人に人権概念は根付いていない」 1. 明治の社会システムが犯罪男性(無罪)を生む。 2. 犯罪男性(無罪)が被害女性を生み、ストレスが蓄積さ...
「ぼくらはみんな生きている」という大前提が頭からすっぽ抜けてる人が多い。 自分が生きるために必要なこと 相手が生きるために必要なこと その辺の合意をとっていかなきゃ上手く...
逆に聞きたいんやけど、どこの国の何人に人権意識が根付いているの?
程度の問題でしょうね。 それと、「本音と建前」の考え方の違い。「本音と建前」における「建前」というのは、 日本では「口だけ」であり、実効力を持たない感じがするのですが、 ...
まあ程度の問題やろね。 人種問題も『欧米』全般の方がよっぽどえげつない排斥をしよるしね。 増田さんの言う男女問題についても向こうサンは宗教が強いから、本当にちょっと田舎に...