電車で向かいに座っている5歳くらいの女の子とその母親が目に入る。母親はキャリーバッグ、子供はリュックサックを背負い、いかにも帰省するという感じだった。終点の大阪空港から飛行機に乗るのかもしれない。
その女の子は今時見かけないおかっぱ頭に白のワンピース、麦わら帽子をかぶっていた。まん丸ではっきりした目が帽子の下からのぞいている。その視線は私の胸のあたりをまっすぐ捉えていた。
子供の眼力にはいつも圧倒されるし狼狽えてしまう。私の考えていることがすべて見抜かれているように感じるのからだ。赤ん坊なんかは特に目が合うとじっと見つめてくる。それに対してうまく微笑みかけてやることも苦手だし、彼らのような繊細な生き物をどう扱ってよいかわからない。ようするに私は未熟なのである。自分が目を合わせている彼らよりも幼く思えてしまう。そしてその考え自体が伝わっているような気がするから、居心地悪くソワソワしてしまう。
母親がおもむろに娘の顔を覗き込んで笑いかけた。娘の方は少し恥ずかしそうに笑みを返した、ように私には見えた。少なくとも幸せというものに直結するもののように思えた。母親がなぜ笑いかけたのかはわからない。これから向かう場所について「楽しみだね」という笑みなのか、他の意味なのか、そもそも意味などないのか。それはわからないが、このような光景を見るといつも幸せと悲しみが同時にやってくるような変な感覚とともに、私自身の母親のことを思い出す。
私の母は非言語コミュニケーションができなかった。本人は絶対に認めなかっただろうが、おそらく発達障害だったと思う。私は言葉を介しない会話があることを実感しないまま育つことになった。20年以上かけて多くの失敗を重ねることで、例えば表情からも多くの情報が得られることを知り、周りの人はそれらを前提に会話していることを知った。
苦しいだけだった人間関係も、少しその仕組みがわかってくれば彩りを持つように感じられたが、それでも何かが大きく欠けている感覚は残っている。その欠けているものとは、やはりこの電車の母娘のようなやり取りだったのではないかと思ってしまう。
私と母の間にあったのは服従と支配といういわばごく単純な関係である。人の気持ちを読めない母は、子供をコントロールするのに大人の力を使うしかなかった。それを恐れた私はただ従うことにした。だからこの母娘のように、同盟というかそれ以上の関係としての親子を見ると、とても高度な心理技術が必要なように感じ、もはやファンタジー世界の出来事のように思える。
友人たちが結婚、出産し親となっていく中、私は取り残されている。これは人生の次のステップを進めないという意味だが、同時に精神的に子供のままという意味でも取り残されている。結局だれかに子供のように扱ってほしいのだろうと思う。私が楽しんでいるところに「楽しいね」と言ってくれるような、そんなことを何年も続けてくれる人がほしいのだろう。それを通して私の楽しい気持ちがウソじゃないことを知りたい。