今回は下世話関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
恐らく君がいっているのは主に女性に対して、だろう。
だから、どうしてもこのテの話題で女性側の立場がクローズアップされるのは自然ではある。
偏った天秤に、両方とも同じ重りを乗せても偏ったままだからな。
チカンによる冤罪うんぬんという新たな問題も出てくるわけだが、それはまた別の問題だ。
事例としては数年前、服の上から写真を撮った人が有罪になった話は有名か。
当時は、「いずれ見ただけで捕まる世の中が来そう」と割と本気で思っていた記憶がある。
そういえば数年前、教え子の一人が言っていた話を思い出すなあ。
下世話なことで盛り上がりたい年頃なのは分かるが、さすがに低俗すぎたので叱りつけたね。
君にとっての「ゴール」とは何だ。
まあ、それもいいだろう。
「何をもってゴールとするか」という話だ。
また、そのゴールは個々で決めるべき、ということでもない。
例えばサッカーのゴールは誰が決めている。
君以外の“誰か”だろう。
だが、それに参加する人々は、その“誰か”が決めたゴールに向けてボールをシュートする。
それが誰かにとって「ゴール」なら、それは他の人にとってもゴール、ということはあるだろう。
ならば、結婚することを「ゴールイン」と呼称して、それを周知とすることに何ら問題はない。
まさか「サッカーと人生は違う」だなんて、すっ呆けたことは言わないよな。
君がそう思わないことは結構だ。
だが、例えばそこをゴールと定めている人に、「ゴールじゃない」と冷や水をぶっかける行為が、理知的だと思っているのならばやめたほうがいい。
「ゴール」はある。だが、それは終わりでもないし、一つだけでもないんだ。
だから誰かにとってのゴールが、君にとってはゴールじゃないからといって、そこまで目くじら立てる必要はないんじゃないかな。
それが誰の定めたゴールかなんてことは重要じゃない。
シュートするかどうかだよ。
……ゴールできなかったら?
学ぶべき教訓はこうだ。
「人生は続く」
勝負の命運を分けるPK戦でシュートをミスした、とあるサッカー選手の言葉さ。
彼はゴールを逃した人間だが、また別のゴールに向かうしかないんだ。
ゴールしても、ゴールしなくても。
その気があるなら、君もシュートしてみることだよ。
その気がないのなら、それもまたいいだろう。いずれにしても人生は続く。
私としては、死ぬまでゴールが一つもない人生は辛いだけだがね。