最近、Twitterで作家や漫画家さん達が気軽に内部事情をつぶやけるようになり
出版業界の慣習に最適化させた、本の消費スタイルがあちこちから聞こえる。
曰く、出版社は最初の数週間の売れ行きで作品の人気を測るので、新刊は予約して発売日に買え、さもなくばその作品は打ち切られ、作者は困窮する。
曰く、Amazonではなく地元の本屋で買い、売り切れさせて版元に注文させろ、さもなくばいくらAmazonで品切れても出版社はその作品を重版せず、作者は困窮する。
曰く、古本屋で買う・売ることは論外である、古本屋での売り買いは本来売れたはずの本を売れなくし、結果として重版されず、作品は打ち切られ、作者は困窮する。
曰く、電子書籍ではなく紙の本を買え、紙の本は出版された部数に沿ってまとまった収入があるが、電子書籍は…
なんだかうるせえなと感じる。
最初は建設的なアイディアだったんだろう、「○○って作品、好きだったのになんで○巻で終わっちゃったんですか」って言われて、ああ、それはあの時こうしてくれれば良かったのにってつぶやいて。
昔までは個人の内に秘めてたつぶやきがSNSに乗って、日本全国の同業者達のそうだそうだを得て善意の監視機構ができあがったんだろうな。
でもそれ違うじゃん。
単行本の初動が悪いから重版はなしよとか、この作品は打ち切りましょうってのは、それによって利益を最適化したい出版社の都合じゃん、なんでそれにこっちが合わせないといけないの。
そして古本。
古本がいくら売れても、消費者と古本屋の間を往復しても、作者に一銭の利益もないってのは分かる。
でもあんたたち、昔も今も古本買わなかったの。
もちろん、自分の本がZIPで圧縮されて、どうぞダウンロードしてください、みたいになってるのとかは同情するよ、取り締まるべき。
でもそれと古本は違うじゃん。
だって『本』って捨てる物じゃないじゃん。
その本を買った一人の人が中身を読んで、ああ面白かったで役目を終える物じゃないじゃん。
この世に産み落とされたからには、その身が朽ち果てるまで、最大多数の人にその情報を与え続けるのが本の役目じゃん。
薄暗い古本屋で人生に大きな影響を与えた作品と出会わなかったの。
あまりに欲しい本が見つからなさすぎて、夢の中で理想の古本屋に迷い込んだりしなかったの。
俺はしたよ。
たとえ2円の値が付いても、値が付かなくてもブックオフに売る。
この本が自分の手を離れた後、ほんのわずかでももっと多くの人に読まれる可能性がある方法で別れを告げるのが、その本に対する礼儀だと思うから。
ぐすん