最近は雨後の筍のようにたくさんの電子書籍サービスができて、また潰れています。KindleやKoboなどハード面でも各社頑張っているのですが、それでもまだまだ「波に乗った」とはいえません。
なにが普及の妨げになっているのか、DRMだの解像度だの配信が書籍発売の数カ月後だのサービス終了したら読めないだのといろいろありますが、私が考えている理由は、いまある全ての問題を解決したとしてもまだ残っているのものです。それは電子書籍がデータであることの利便性が、ある方面では不便になってしまう。それが最後の難関なのです。
それは本を人に貸したりプレゼントしたりする際、「あげた」という実感が無いことに尽きると思います。これは技術の進歩ではどうにもなりません。例えDRM等がなく、これから技術が進歩して攻殻機動隊のように何の苦もなく書籍データを送信できたとしても、いや何の苦もないから有り難みが薄れてしまう。プレゼントというのは渡す相手のためだけにするものではありません。ボランティアなどと同様、自分に快楽があるからプレゼントするのです。渡す自分が満足しなければ例え相手が喜んでも何の意味もないのです。このことは誰かに物を貸したり、プレゼントをしたことのあるかたなら分かっていただけると思います。渡された人が言う「ありがとう」は口先だけかもしれません。笑顔は作り笑いかもしれません。しかし真偽はどうでもいい、相手の気持はどうでもいい、自分の喜び、利益のためにプレゼントするのです。電子書籍はデータの受け渡しなのでその実感がすくなくとも私には感じられません。
これを解決するには人間のほうが考え方を改める必要があります。私はもうすぐ30歳ですがこのような考え方を持っています。これから若い世代はデータを渡しただけで、相手も自分も満足するかもしれません。将来できるかもしれない私の子供は私の本棚を「検索」して、「これ貸して」と言うかもしれません。それでデータを送って私は満足するのだろうか、そうは思えない。納得できるまで何年かかるのか分からない。データの受け渡しは人と人とのコミュニケーションではありえない。こう思っている限り私は納得出来ないでしょう。
問題はもう一つあります。電子書籍をもらった場合、何らかの電子媒体のなかに入れることになるでしょう。それは見ようと思わなければ見れなくなってしまいます。将来技術が進歩してスマートフォンだけで実世界型サイズのスクリーンが投影できるかもしれない。でも興味が無いものはノイズでしかないから、結局目に入らないし入れるわけがありません。電子媒体ではそれができてしまうのです。書籍という物理的媒体ならば、本棚にはいっているだけで一応目には入る。興味がなかったとしても、もらった人がいつかは興味を持って開いてくれるかもしれない。そのような「期待」が持てなくなってしまうのです。電子媒体だと無駄を省くが故に「期待」が失われてしまいます。これもプレゼントする方の利益に与しません。
私は電子書籍はebookjapanを利用したことがあります。あまり人に見られなくたい漫画を扱うには電子書籍は最適だと思いますが、それ以外ではとてもそのようには思いません。もう一度いいますが、データの受け渡しは人と人とのコミュニケーションではありえません。私は自炊したり、スキャン代行業者に頼んだことはあります。今になって上記のようなことを考えてやめておけばよかったと後悔しています。書籍を買い直せばいいと言われるかもしれませんが、そんなにお金はありません。最近引っ越す予定なのでまたスキャン代行業者に頼むつもりです。人に貸す価値のない本以外を依頼するつもりです。