某あずにゃんの記事を読んで考えた。
http://anond.hatelabo.jp/20130610121613
俺の中には、あずにゃんに対してここまでの気持ちはない。というか、二次元キャラ全般に対して、ここまでの気持ちはもてない。とはいえ思い入れがないかというとあるし、自分では十分に彼女たちに愛情を向けてると思う。彼女たちの生活や内面に思いをはせたりもする。
連想したのが、声優の結婚事例とかだ。声優の結婚報告とか彼氏報告で大炎上したり、発狂したりするような、あの種の事件。やはり同様に、そこまで発狂するような感情が、俺にはない。声優はすごいなあと思うし、最近ではファンなのだなぁ、と思える声優がいるにもかかわらずだ。
ただ、なんというか、そこまで独占欲がないんだ。
愛情が薄いのではないかという劣等感を抱えて、つらつら考えてみたのだが、なんかどうも「立ち会わせてくれた感謝」みたいなものが、自分の中にはあるらしい。
彼女たちは(二次元キャラにせよ女性声優にせよ)、一時的な存在だ。
実際問題あるコンテンツが生まれて(作者の労によって生み出され)それがメディア展開されて、俺のもとへと届き、いきいきと躍動をはじめ、コンテンツが成長し、人気やらなんやらの事情でゆっくりと勢いを失い、終わる。その現実社会の経済活動としてのコンテンツの生まれと死の問題を基底として、そこに住んでるキャラクターも生まれて、やってきて、しばらく過ごして、いなくなる。
それにたいして自分はどうも畏敬の念があるようだ。すごいことだ。奇跡的なことだ。
だって俺なんかのところにものすごい可愛い娘とか格好良い娘とかけなげな娘とか必死な娘とかがやってくるんだぜ?
そういう娘さんたちが、しばらくの間俺のところで色々経験をしたり喜怒哀楽をしたりするのに、立ち会わせてもらってるというような感覚がある。なんだか輝かしい時間をわけてもらってるような感覚だ。
どうせいなくなるのは判ってる。彼女たちは彼女たちなりに物語の中で生きてるわけで、それは永遠ではない。彼女たちはテーマを抱えて物語を生きているわけで、そのテーマが解消されれば卒業していくし、コンテンツは終わる。ただ、そのキラキラした時間の一部を俺らにお土産としておいていってくれる。それは祝福そのものだ。
つーわけで、なんだかいままで流されて使ってきたが「二次元嫁」という言葉の使用はもうやめる。
「二次元娘」にする。
彼女らは卒業していなくなってしまうのだ。コンテンツが終わったあと、たとえばあずにゃんだって、あと5~10年もすれば、どっかの誰かと結婚するのだ。そのひとは二次元旦那なので、三次元である俺がとやかく言う筋合いにはない。
でもだとしたところで、お土産を残していってくれたという事実は消えない。ので、「二次元娘」という事で納得する。青春の、成長の、有るキラキラした時間を、見せてくれ、立ち会わせてくれたと言うだけで十分なのだ。
部員のみんなが「やったな梓~」とか言って祝福してて、あずにゃんはちぢこまって恐縮してるというか照れてる。 あずにゃんがそれを俺に報告してるというシチュエーション。 俺は○...
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