なぜ、今のタイミングで「してない」発言を?
「お前の事を見てるよ」と言わんばかりに
何の行動をしていたか知っている事をほのめかすようなものは
色々と見かけましたが。
渡米して数年のポスドク。最近やや行き詰まり気味なので、現実逃避しつつ現状把握および打開策を見つけるためにパソコン内を再構築中。時期的に興味を持たれる人もあろうかと思ったので、恐る恐る一応公開してみることに。
([]はフォルダ)
日本のサブカルチャーの中でボーイズラブ(BL)は大きな部分を占めています。
ボーイズラブ(Boys Love、略してBL)とは、日本における男性同士の同性愛を題材とした女性向けの小説や漫画のジャンルのことである。-Wikipediaより
多くの男性からするとちょっと理解できない嗜好だと思います
BLを女性同士に置き換えたのは百合ですが、男性にとって百合はBLほどの人気はありません。
一般的には男性は女性に、女性は男性にそれぞれ魅力を感じます。
純粋に見るだけなら自分と同性の存在なんて邪魔なだけでしょう。
らき☆すただってけいおん!だって男はほとんど出てこなかったじゃないですか。
BLはその原則に忠実に沿っているわけです。
ではなぜ男性向けのエロには男性が登場するかというと作品内にて感情移入するキャラが必要なためです。
女性同士が絡み合っていても感情移入できないので百合にはあまり人気が出ない。
もう一つBLと女性の関係にとって重要なことは「女性の不在」です
かと言って一方に自分を置き換えているわけでもありません。
純粋に2人の男性の恋愛を鑑賞するのが楽しい。それがBLなのです。
「私は見ているだけで幸せ」というわけです。
これは何かに似ている。
そう母性愛。
自分のことは愛してもらわなくてもいい。ただその姿を見ているだけでいい。
もちろん女性にも「愛されたい」という気持ちはあってそれがレディースコミック(女性向けだけど男と女の絡みが描かれる)などに現れるのではないでしょうか。
ただし今の市場規模ではBL>レディースコミックなのは女性にとって愛されたい気持ちより母性愛が優っていることを示していると思います。
ばかーばかー、もてようとしてる下心が見えてる人がもてるわけないじゃないか。
藤川さんの実力はこの際関係なく、その下心が通用するほど国民がそこまで馬鹿だと思っているのか。
もう国政の場でマーケティングを使って人気を得るのは難しいんだよ、私たち多様化してるんだってば!
うざいうざいうざい。気持ち悪い。関わりたくない。
なんでマトモな奴がいないんだろう。
なんで一見マトモに見えてもみんなどこかしら変なんだろう。
面白いと思って近づいてみたら、気持ち悪い部分が見えてきて嫌いになる。
その繰り返し。
好意が嫌悪感を上回ればそのまま仲良くできる。
でもだいたいはそこまで仲良くなる前に気持ち悪い部分が見えてきてもう駄目。
多分私も周りから見れば気持ち悪いと思う。
自分では気持ち悪くしてるつもりはないけど、気持ち悪いと思う。
みんなそうなんだと思う。
自覚して悪いことやってる奴はもちろんいるだろうけど、大半はそうじゃないんだと思う。
人間って嫌いだ。
芝居という言葉が元のエントリーには何回も出て一つのキーワードとなっていますが、芝居とは実在しないものですよね。
「対象が実在しているかどうか」はまさにここで論点になっていると読むことは誤読でしょうか?
また、表現が存在することが悪なのか、それが露呈することが悪なのか、それは確かに本来別の問題ですね。
そこは反省します。
まあAVもエロゲも全部なくなってくれて構わないんだけれど、控え目にいって小児性愛、拷問、レイプ、盗撮、痴漢系のポルノは存在自体が有害。
と、かつてエントリーで書いていることを踏まえて、若干の意訳が入るのはやむを得ないかと思いますが、いかが。
怖い怖いと言われる側の事、一瞬たりとも考えたことないんだろうなと、なんかね、そこに引っかかってしまったもので。
冷静にまとめるならば、
「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い。だから、その対象が実在していなかろうと、女性を陵辱するようなゲーム・コミック等が存在する事は暴力になり得る」
という事だと思うのですが、残念ながら元の文章は「男性は物理的に強者であるため、弱者である女性の私には怖い」がその大半を占め、被害者であるという主張が強くうち出ています。
コメントにある「男性の理性良心を信頼できず不安を感じる私は被害者です。」もまさに誤読ではあるのですが、そう誤読させる強さが、その主張にはあるかと思います。
ついつい、そこに感情的に引っかかってしまいました。
男性として生きていても、自分より強いものに接しなければならないことは、常にあります。
女性であっても、自分より弱いものに接することは常にあるでしょう。
壊れるものは形として見えるとは限らない。
派手でわかりやすい物語の方がウケはいいと思うけど
自分が主人公になる勇気がないのなら安易に破滅を望むもんじゃないよ。
連日愛子さまの不登校についてニュースやワイドショーや2chその他いろいろなメディアが取り上げている。
取り上げ方も皇室の閉鎖性を問うものから学習院への批判、件の暴力児童を何故放置しておくのか?など様々だ。
私はそれらの議論にはまったく興味がないのだけれども、今回の事件で1つ強く感じたことがある。
私は皇室関係にそれほど詳しいわけではないがそんな私でも皇室関係について知っていることがある。
ということだ。これは日本国憲法に記載されていることである。
これは、実はとんでもなくすごいことなんじゃないだろうか?
冒頭で書いたようにすぐさまこのことは連日メディアでとりあげるようになり、それは今も続いている。
そして多くの国民はこう思ったのではないだろうか?
そりゃあ「いじめ」とは無縁だと思われていた皇族や学習院に「いじめ」があったとわかったら、当然自分の息子や娘もいじめを受けている(あるいは加担している)のではないか?と思うだろう。
文部科学省にしても学習院のようなところですら「いじめ」が起こるのだから公立私立を問わず全国の学校で日常的に「いじめ」が発生していると考えるだろう。
つまり、この件で「いじめ」の認知度が一気に上がったのではないかと思う。
そして今現在進行形で「いじめ」を受けている人たちも勇気付けられたはずだ。
何せ日本国の象徴がいじめられているのだから、少なくともいじめられているのは自分だけではないと思うだろう。
この事実を公表した東宮大夫に対しては「愛子さまの気持ちを考えてない」とかいろいろ批判もあるようだが、東宮大夫がそんなことを考えていないはずがない。
それよりもすでに「いじめ」が深刻な事態になっており国民の一致した認識の下に対処しなければならない問題だと考えたから公表したのだろう。
私は4歳まで疑うことを知らないいたいけな坊やだったかどうかは覚えていないけれど、ある時から年子の妹とつかみ合いの喧嘩をするようになり、そのたび必ず負かしてきた。
しかし、そのたびに母親が出てきて叱られ叩かれ、小学校に上がる前には暴力を振るうことは結果的に負けになると悟った。
残念ながら、その後も私の身体は大きくなり続け、意識的に力をセーブしなければ存在するだけで暴力になることを自覚するようになった。
たぶん私は、女の子のすらっとした細いその腕を、素手で折ることができる。
たぶん私は、女の子のやわらかなそのお腹を、致命的なダメージを与えるまで踏みつぶすことができる。
たぶん私は、女の子のこじんまりとしたその顔を覆い、自分の身体だけで窒息させることができる。
それは故意でなくとも起こりうる。
だから私は、女の子に触れるときに自分の力を意識し、相手の存在を常に確認し、その距離感を意識するようになった。
しかしまだ、ライオン怖い・くま怖いと、一緒くたにされてしまうのだなと、軽い絶望の中にいる。
どんなに女の子と仲良くしようとも、「怖い」の一言でシャットアウトされる。
陵辱もののエロゲだのまんがだのの話を女の子の前で話すバカ男と一緒くたに「怖い」と。
自分を殺しうる・レイプしうる力を持った生き物がそばにいると怖いのだと、自らも子供ならば素手で殺すこともレイプすることもできるだろうけど、子供から「怖い」とシャットアウトされるなんて想像もしないで、ただ男だと言うだけで、「怖い」とシャットアウトされる。
ああもう、男に生まれたことに疲れたよパトラッシュ。
論理的に導出した確証もないのに自分の中の価値観だけで物を語って考えを押し付けてるだけだよねw
柔軟性がないし明らかに一般性に欠ける事を堂々と言ってて気持ち悪すぎるw
天才プログラマーだとか言われてるけどそれだけでしょ?自分の不得意な分野で無理して見栄はらずにコードだけ書いてりゃいいのにねw
404 Blog Not Found:被害者は私だという全ての人たちへ
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51420496.html
読んでたのよ。
で、読んでいくとさ、
先日、私は一家全員でアバターを見に行った。暴力だらけの作品であることは、トレイラーを見ただけでもわかる。米国でのRatingはPG-13ということであるが、小学生の娘たちが特に入場をとがめられることもなく、3Dメガネもにこやかに入口で渡された。暴力を見せることが立派な児童虐待ということであれば、私はまごうことなき児童虐待者ということになる。
とかあるの。
読んでて心の中でアチャーとかなっちゃうんだよ。
細かいことだって言われるだろうけどさ、PG-13って13歳以下は親の強い同意が必要ってことじゃない?
そりゃ一家全員でいきゃとがめられんわい。
読みやすい文章読んでるときにこういうのに出くわすと、読みやすければ読みやすいほど、ものすごく強烈なアチャー感に見舞われるんだよ。
そういうの私だけ?
そもそも人類はそういう悪役が登場するのを予防するために、延々とシステムを改良し続けてる。例えば、政治なら王権政治から民主政治へ。経済なら社会主義よりは資本主義へ。倫理なら差別万歳よりは多様性万歳へ。そうしたシステムが構築されたので、昔と比べて、今の社会のほうが、増田の言うような巨大な悪役は登場しにくくなってる。
今後、どこまでもシステムの改善が進めば、いつか英雄は不要になる。これは悪いことではない。予防は治療に優る。英雄など出現しなくても済む社会のほうが望ましい。
ああ、なんと風の強い夜だ。
地震のようだ。
時々きこえる何かが飛んで当たる音が、風のなかに響く。
なにかが壊れている音だろうか?
壊れることで新しくなるものもある。
まったくもって壊れないのはよくないこと。
なのに現代の日本はなんでも壊れないようにする。
六本木ヒルズは300年持つように建てられているし、数十年前に立てられた新宿の高層ビルは長周期地震振動の対策で何億もかけて地震ダンパーなどを入れている。
いったいあと何年延命するつもりだろうか。
大規模な経済損失を恐れ、そして人命を尊重するという名目で延命する。
ガンなどになったひとは散々お金を掛けて死んでいく。
掛けたお金は家族の負担になり、保険会社の負担になり、社会の負担となる。
現代に焦がれ憧れるような英雄がいないのは、ろくな悪役がいないからだ。
すべてを壊し、破壊しつくすような悪役がいないからだ。
英雄の登場をまたず自壊するようなハリボテばかり。
自らの信ずる善しとするところが、社会の悪となるような悪役がいない。
医療費を負担はまっぴらだとか、年金負担はまっぴらだとか、社会の憎まれ役に叶う人物がでてこない限り英雄もでてこない。
あの悪党面した幹事長がもっと役者だったなら。
もっと壊れれば新芽も吹くのに。
強風の中、野焼きなんかしちゃ新芽までももちやしない。
今日、3歳の娘の保育園の父母飲み会なるものに初参加してきた。
我が家は夫婦そろって(もっと言うと娘も)非コミュ気質なので、
今までこういう会合からはできるだけ避けてきたのだが、
仕方なく参加せざるを得なくなった。
しかし、この飲み会。結論から言えば、ものすごく楽しかった。
まず、奥様方が基本的に美人で明るい。
保育園の父母会ということもあって、ほぼ同年代の働いている女性ばかりなのだが
どの人もとにかく明るくて社交的。みんな著しくコミュ能力が高いのだ。
そして、よく飲む。明るく、本当に楽しそうによく飲み、よく話し、よく笑う。
つぎに、旦那様はというと・・・普通・・・。というか、
女性陣とくらべるぱっとしない。ジミメン。
だが、すごいみんな優しい。飲んで食べて楽しそうにしている奥様を楽しそうに見ていたり、
みんながわいわいやっている間、かわりばんこで子供の面倒を見たりと
まあとにかく献身的という感じがした。
まあ、そんなこんなで人と話すのが苦手な我が夫婦も
いろいろと話を振ってくれることもあって本当にとても楽しく過ごせました。
で・・・。
家に帰ってきてだ。
すごい感じた二つのことを誰かに話したくて
うずうずして、今はてなを書いている。
1)子供手当はおそらく逆進税
すんでる場所とかにもよるのかもしれないけれど、会合に来た人たちのレベルが皆おそるべく高かった。
きっと、結婚したり子供作ったりするためには、相当すぐれた人じゃないとできないんだろう。
(注:一部おれのようなラッキーだけで非モテ、非コミュでも嫁、子持ちになる人もいる)
我が家も月に二万円とかもらってめちゃくちゃ嬉しいのだけど、
ぶっちゃけ無くても、特に困ったりはしない。今日、来ていた人たちもみんなそんな感じだった。
つまり、子供手当は強者にお金を渡して、幸せな家庭の基盤を盤石にさせるようなものな気がする。
2)封建的な家の役割が逆転
俺の田舎では叔父さん達がお酒を飲んで笑って話してつぶれてた。
男がちょこまかと動くと叔父さんだけでなく、
叔母さんも「男はすわって飲んでて」といやがっていた。
でも、この父母会でその役目はほぼ100%逆に見えた。
旦那さんが子供の面倒見たり、写真とったり、会計したりしていた。
奥さん方は楽しそうに話したり飲んだりするのが中心。
もちろん、平日の羽を広げてもらおうということで意識してのことだとは思うが、
この光景は非常に象徴的なものを感じさせられた。
確かにね。
そういう味方にならない味方を増やしてネット上で勝利宣言(但し現実世界の人は誰も理解してない) みたいな状況になってるから、元増田みたいな意見も出てくるんだろうし、味方増えるからOKっていうのはどうかと思うな。