はてなキーワード: progenyとは
「バッタ博士」として有名な前野ウルド浩太郎博士の論文に対して、その内容の再現性が取れないという問題があるということを下記の一連のツイートで知りました。
https://twitter.com/n0rr/status/1277918852987285505
”ラボメンが捏造したときに、PIが責任を取る方法がひとつ示された。”
と、ツイート主の @n0rr さんは述べており、筆頭著者である前野博士がデータを捏造して論文を書いたのではと暗に示唆しています。
いったい何が起こっているのだろうと思ったので、詳しく調べてみました。
結論から言うと、「前野博士の実験結果には再現性がある可能性が高い」と個人的には思います。
どうやら、前野博士と田中博士が研究していたバッタ(Schistocerca gregaria)は、「メス成虫が”混み”を感じると、産卵する卵のサイズが変わり、その卵から産まれる幼虫の体の色も変わる」という性質を持っているようで、その”混み”の感受に必要な器官や、卵や幼虫の形質に影響を与えるに十分な”混み”の期間、などが先行研究によって明らかにされていたようです(Maeno et Tanaka 2008やMaeno et Tanaka 2012など, 以下「先行研究論文群」)。”混み”を感受すると、その卵は大きくなり、黒い幼虫が生まれるとされています。この黒い幼虫が成長すると凶悪な群性相になって作物を食い荒らします。
ところが昨年、先行研究で述べられているような条件では卵や幼虫の形質に影響が見られない(つまり先行研究の再現性が取れない)と告発している Nishide and Tanaka 2019 (以下「告発論文」)が出されました。
告発論文の責任著者の田中博士は、先行研究論文群の責任著者です。自らが「過去の自分達の研究結果が信用できない!」という論文を出すなんて極めて異例。いったいどういうことなのでしょう?
自らそのような告発論文を出すという事は、「他の著者が何か良からぬこと(データの捏造など)をした」ということを発信し、誤った言説を正したいという事なのでしょうか。
そんなことを思いながら、関連ツイートを眺めていると、下記のツイートを見つけました。
https://twitter.com/Cyclommatism/status/1278151055830732801
”2011・2012年の科研費の実績報告書では、きちんと結果を再現できているように読めます”(@Cyclommatism さん)
え?予想した展開と違うぞ…と思いつつ、田中博士の科研費実績報告書(https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23380038/)を見てみると…
”孤独相(単独飼育)メス成虫が混み合いの影響(大きく、黒化した艀化幼虫を生産)を受けるには、1日3時間以上の光条件下で混み合いにさらされることが必要であることがわかった。”(2011 年度 実績報告書)
”サバクトビバッタの成虫が混み合い刺激を感受し、それを子世代に伝達する現象を確認した。また、それらの感受期は産卵前4日であると見なしていたが、産卵6日前までの刺激もわずかであるが、影響することが分かった。そこで4日ではなく6日間刺激を与えたほうが、反応が確実に現れることがわかった。”(2012 年度 実績報告書)
と書かれており、確かに先行研究をおおむね再現できているかのような記述があります。
しかし、一方で2013 年度の報告書では下記のように書かれています。
”小さな卵を産む孤独相メスに6日間(感受期間は4日)複数のオスを加え混み合いを与えたところ、反応率が低いうえ、生産された卵サイズが以前(Maeno, 2011; Maeno & Tanaka, 2012)の結果と比べ、大きくならなかった。”(2013 年度 実績報告書)
2012年の報告書までは「孤独相のメスに6日間混み合い刺激を与えると反応が確実に現れる」という結果が、2013年の報告書では「孤独相のメスに6日間混み合い刺激を与えても反応率が低い」となっています。
つまり(私の理解が正しければ、ですが)、2012年度までは前野博士の論文の実験結果の再現性がとれていて、2013年からは再現できなくなっているように思えます。
前野博士が田中博士の研究室から去ってアフリカに渡ったのが2010年度末ですので、2011年度や2012年度の報告書に書かれているデータに前野博士の実験データは含まれないと考えるのが自然でしょう。
(もしも含まれるのだとしたら、田中博士が「過去のデータをあたかもその年に得られたデータであるがごとく報告している」という問題行動をしているということになります)
つまり、データの再現性に関して、田中博士の主張は途中で変遷しているといってよいかと思います。
さらに、前野博士は2020年になって、「実験結果を再現できた」という論文を発表しています。
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022191019303713
この論文を読んでみると、実験は総勢11名の人間が、実験者、調整役、測定役、解析役というそれぞれ異なる役割で実験に参加し、互いに他のステップには干渉しないし結果も知らない(例えば、測定役は自身が測定しているサンプルがどのような処理を受けたものかわからないし、次にどう解析されるかもわからない)という非常に厳密な条件で行われています。そのうえで先行研究の実験結果が再現されています。
これだけ多くの人が関わると、データを捏造するのは無理ではないでしょうか。
(謝辞に名前が挙げられている方と思しき方による、当時のことに言及したと思われるツイートも見つけました https://twitter.com/kobakaz_jp/status/1278151260743495680, @kobakaz_jp さん)
以上のことから、前野博士による実験データは「再現性がある」と個人的には感じます。
むしろ、実績報告書の中で実験結果の記述を変遷させている田中博士の方の主張は無理筋なのではないでしょうか。
生物を相手にした実験では、ささいな条件の違いで結果が異なることがあると聞きます。
恐らく今回の事態も、そのような違いに起因して先行研究の結果が再現できなかったのではないかなと想像します。
参考文献
Maeno, K., & Tanaka, S. (2008). Maternal effects on progeny size, number and body color in the desert locust, Schistocerca gregaria: density-and reproductive cycle-dependent variation. Journal of Insect Physiology, 54(6), 1072-1080.
Maeno, K., & Tanaka, S. (2012). Adult female desert locusts require contact chemicals and light for progeny gregarization. Physiological entomology, 37(2), 109-118.
Nishide, Y., & Tanaka, S. (2019). Re-examination of the maternal control of progeny size and body color in the desert locust Schistocerca gregaria: Differences from previous conclusions. Journal of insect physiology, 114, 145-157.
Maeno, K. O. (2019). Comments/arguments to: Re-examination of the maternal control of progeny size and body color in the desert locust Schistocerca gregaria: Differences from previous conclusions (by Yudai Nishide and Seiji Tanaka-2019-Journal of Insect Physiology xx, xxx). Journal of insect physiology, 114, 158.
Maeno, K. O., Piou, C., & Ghaout, S. (2020). The desert locust, Schistocerca gregaria, plastically manipulates egg size by regulating both egg numbers and production rate according to population density. Journal of Insect Physiology, 122, 104020.