はてなキーワード: 上質紙とは
そのとき僕は、渋谷のABCマートにいて、彼女はそこでハイカットのコンバースを試しているところだった。
たぶん25歳くらいだろうか。ぼくがみたところ胸のサイズはEより上だと思う。
具体的なサイズは分からないが、少なくともハイスクールの同級生の目線は、彼女の首より下ばかり見ていただろう。
5月末になり、段々と薄着でも過ごしやすい季節になってきている。
玄関を開けて、息を吸い込んだ瞬間、青々とした木々の香りが、これからくる6月の湿気をのせてぼくの鼻腔を刺激する。
彼女は、アスクルが運ぶコピー用上質紙よりも白いワンピースを着ていた。
豊満な乳房が、雪どけを待つウサギのようにその胸元からこちらをうかがっていた。
165cmくらいの彼女が前屈みになったとき、ぼくはたまたま彼女の目の前にいた。
僕は、持てる限りの集中力を持って、隣の棚のVANSのスニーカーの値札に向かおうとした。
英語の試験に挑む中学生が、答案のつづりを何度も確認するように、注意深く集中しようとした。
ぼくは、そのふよふよと柔らかさを感じさせる揺れ方に目が奪われてしまった。
時間にして1秒にも満たない。ウサギはすぐに身を潜めてしまった。
僕には、雪を掻き分けてそこまで向かう勇気はなかった。
ワンピースの下に隠されていた豊かな膨らみが目に焼き付いている。
僕の手にはVANSのスニーカーが入ったショッピングバッグがぶら下がっている。
すごくラッキーな気分になれた。胸チラは偉大だ。
僕は彼女の胸の形を何度も何度も頭の中で描く。
さぁ、そこでして。絵画は文字記号以外の本質も山ほど持っているんじゃないでしょうか。
文字を読むだけでしたらモリサワフォントを上質紙に打ち出したものを読んでも、死ぬ間際に床に書かれた血文字を読んでも、「リンゴ」という文字は「リンゴ」です。
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で、絵画はそうした「手前に描かれている人物は誰々という人で、背景に対してこういう構図にあるから、こういう意味を持っている」という文字的な読み方以外に、
「ちょっとここの絵具がざらついてるのが、超かっけぇ」とか「下地の麻布を消し切らない石膏地がいい」とか「画布の張り方が超几帳面」とかそういう箇所も面白がるやり方もあるのです。
『それは本質じゃない、そんなものは描かれた意味とは別の話だ』という意見もあるかもしれませんが、こうした「物自体の質感」も絵画の本質の一つです。
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簡単に言うと、コンビニでもらうレシートが血文字で書かれてたら怖いでしょ。記述されてる「代金とお釣り」という記述内容が合ってても、血文字だとさすがにちょっとそれ以外の色んなこと考えてしまう。このコンビニ大丈夫か、とか。普通に刑事事件じゃねぇか、とか。
たしかにこれは、「文字的な記述内容」とは別の次元の要素かもしれませんが、古今つうじて絵画のプロは、本気で全力であらゆる手段を使って、何かを表現しようと試みています。それが本質だろうと外道だろうとお構いなしです。
こうした場外乱闘的な工夫はさすがに写真だけでは読み取りにくいです。
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あるいは部屋とも言い換えられるかもしれません。
「ちょっと部屋でも飾りたいな。この棚置いたら、ソファはさすがに革はないな。ヤクザの事務所じゃねぇんだし。カーペットは、あえてなしで行くか」
いうなれば画家はそんな感じの試行錯誤を続けて、いい感じに飾った部屋にお客を招くわけです。
「どう?」と
「いいねぇ。わかってるねぇ。でも俺だったらここに革張りのソファ置いてヤクザの事務所っぽくするけどな!」
ここには文字的な記号のやりとり以外のコミュニケーションがあります。ここではソファの質感や、棚の色、床板の素材、といった要素それ自体が本質です。
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だから、まぁあれです。引っ越しの部屋決めを写真だけで済ますと思わぬ見落としがあったりするものです。実際に現場に足を運ぶと、写真に写ってないものが見えたりするもんです。そして住んでみるとまた違う。
絵画や美術も、きっと似たようなものなのです。そういう需要があるから、美術館てのが存在してるんでしょう。
俺はあんま行かんけどな。