名前を隠して楽しく日記。
=IMPORTDATA()くらいは草
ジョジョの「リアルっぽさ」という意味の台詞をそのまま訳されて「ジョジョの世界はreality(現実)を描いてるだって?!」と海外の反応が驚きの渦に巻き込まれた。
そのまま孤独死しそう
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。ただまのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。
着想を紙に落さぬとも王膠鏘の音は胸裏に起る。丹青は画架に向って塗抹せんでも五彩の絢爛は自から心眼に映る。ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺糸賺なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得るの点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。
自分の裸を晒すより、触れてきた音楽や小説を知られることに抵抗感を覚える
何を見て、何を感じ、どのような世界を構築してきたのか
かつて、真名を知られることはその者を支配する事と同義であったという
ここは一人部屋
誰も入れない
このあと消して逃げるのはたぶんそっちやとおもうやで🤗
ワイはSP500とビットコインやで。
基本的には弱者男性とVtuberはコンテンツの消費者と生産者の関係として論じられることが多いが、今回は別の観点から両者の関係性を考えてみる。
まず、なぜVtuberが弱者男性から支持されるのかというと、Vtuberがその弱者性に起因する親しみやすさを持つためである。これは弱者男性が配信者を尊敬し、「推す」一方で「いい年して何やってるんだ」や「年齢相応の社会性を保持していない」などといった批判をよく目にすることからも明らかなように、Vtuberは弱者男性と同様に集団内での弱者性を保持している。しかしながら、Vtuberはその弱者性を克服し、社会復帰を目指すのとは逆に、その弱者性を全面に押し出すことで「親しみやすさ」を演出しているのである。
これは弱者性を持つ者同士の対等な関係に思えるが、実際は先に述べた通り、Vtuberの親しみやすさは演出に起因するものであり、多くの親しみやすさを演出し、注目され、「推されている」Vtuberほど収益を挙げており、それらの活動はVtuberのもつ強力な社会性によって支えられている。
この点からわかることは、表面的には弱者男性とVtuberは弱者性という面で非常に近しい関係であるが裏では弱者と強者という非常に対照的な関係であり、その関係性は非常に歪であると言えるのである。