2024-02-26

なぜインフルエンサー駆逐せねばならないのか

なぜ、インターネット悪口を書きにくくなったのか。私はその原因を知っている。匿名がどうとかい問題ではない。簡単結論から言えば人気者の巨大化だ。

推し」という言葉流行っている。本来「推す」はある地位に推薦するという、限られた意味言葉であるが、昨今単に「好き」を置き換えたとしか思えないような形で濫用されている。この「推し」という概念は言うまでもなく欺瞞である悪辣アイドルグループ双方向性を捏造するために広めた概念だ。コンテンツ消費者数字ではなく、一人の意思のある人間として扱いますという嘘だ。人のことをなんとも思っていない「人気者」とコンテンツ産業が、人々から承認を奪うために蔓延させた害悪である

人気者とは、限りある人の認知リソースに食い込む能力に長けた人物のことで、要は好かれる性質を持った人間のことだ。インターネットはこの好かれる性質を使って金を稼ぐ狩り場に成り果てた。なぜ私が、「限りある」と強調するのかというと、人が人に抱く感情は有限の資源だと考えているかである。つまり、「人気者」に向けられる感情の総量が多くなればなるほど、私達が身近な人たちに無関心になっていくということだ。ビジネスという動機付けによって狂ったように加速していく双方向性や身近さ、帰属意識捏造は、私達のコミュニティ破壊している。私達はコミュニティから得ていたものコンテンツから摂取するようになり、身近な人と人との繋がりに感じる価値絶対的に低くなり続けている。身近な他者との繋がりではなく、「推している物事」が自己規定するようになる。限られた一部の巨大化した人気者に人間感情は集中して向けられる。つまり自己規定も、その多様性を失いつつある。

アイデンティティ商業的に画一化された社会で、何か物事に対してネガティブなことを発言するのは、その物事存在依存した大量の人間を傷つける行為だ。インターネットの人気者に対して有象無象友達のような態度で褒め称えたり慰めたりする光景を見たことがあるだろう。遠く離れた手の届かない人間友達だと勘違いさせられた哀れな人間が、友達成功を喜び、友達悪口を見聞きして傷つくわけだ。なんて馬鹿らしいことだろう。コミュニティ破壊され、「推し」が自己規定するようになった人間が増えると、悪口の影響が不必要に大きくなる。これがインターネット悪口を書きにくくなった大きな理由の一つだ。

私はインフルエンサー悪口を書くべきだと考えている。誹謗中傷をするやつは画面の向こうに人がいることを忘れた~とか間抜けなことを抜かすやつがいるが、それは人から好かれる性質を楯に欺瞞を広め数字を稼いで人間生活破壊しているインフルエンサーにこそ当てはまる指摘だ。巨大化した人気者に人間の、限りある負の感情を集中して、巨悪を打ち倒すべきだ。自分行為と人々に感情を向けられて得た利益を棚に上げて、受けた被害ばかりをことさら強調する悪党を、許してはいけない。そして悪口によって沢山の人を傷つけることで、「推し」が自己規定するようになってはいけないという、極々普通の当たり前のことに気付かせるべきだ。そして、嫌いなものがある人間面白いという、当たり前のことにもう一度立ち返って、私達は、私達の隣人と慎ましく暮らそうではないか。もう一度、愛と尊敬の念を持って、私達の身近な人々と日々の生活を形作ろうではないかインフルエンサー駆逐せねばならない、と強く思う。

  • そんなことしてんと、もっと実になることしはったらよろしいんとちゃいます?

  • うひょー、こういう屑を見たくて増田やってるんですわ

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