それでもヤクザと水商売のハーフとして生まれたわりには健闘してるのではないだろうか
母はまあ、わたしにとって祖母である母の母親が当時精神分裂症と呼ばれた統合失調症を患い
精神疾患に無理解の昭和40〜50年代を生きるためには虚勢を張るほかなかったのだろうと予想する
母が生まれた家庭は一家離散となり、誰も帰ってこない実家に中学生の頃から独りで暮らし、
やがて中学を卒業すると、歳を偽り夜の世界を生きるしかなかったんだろう
辛かっただろうね、よく頑張ったと思うよ
わたしが中学に上がるまで、母は水商売を辞めたりまた働いたりを繰り返していた
父がヤクザになった経緯は知らんが、辞めた時のことならよく覚えている
恐喝の容疑で父とその舎弟がパクられた
何せ組が動かないため、母が父だけに弁護士を用意した
それが気に入らないと組と揉め、足を洗うきっかけだった
それまで住んでいた家にはガサが入り、部屋の中がぐっちゃぐちゃになった
そんなぐちゃぐちゃになったその家を、夜逃げのように捨てることになる
新しく越した先は、6畳の部屋が2つしかない2Kという間取りだった
家では不起訴処分となり釈放された父が四六時中タバコをふかしている
母は必死で仕事を探し、それまで経験のない工場勤務の職をやっと見つけてきた
家中の小銭をかき集めてATMに突っ込み、やっと残高を1000円にしてその1000円を下ろす
その1000円札を握り締め激安スーパーに行き、5食198円のインスタントラーメンを買う
ただレジ袋有料化導入前の時代でも、激安スーパーではレジ袋をもらうには10円かかった
その10円を節約するため、インスタントラーメンを抱きかかえて家まで運んだ
そんな状況で進路を考える時期を迎えたわたしは、当然進学なんて無理だった
定期代が払えずに学校に行けない日もあった
当然学校には自分の状況も話せず、先生たちからはただのやる気のないやつという扱いを受けた
それでも何とか学校だけは辞めずに済むよう、母は頑張ってやりくりしてくれた
無事高校を卒業、わたしはそれから2年間フリーターとして生きた
その頃やっと母は父と離婚
相当遅いと思うが、一家離散を経験した母は家庭を守ることに必死になっていたのだろう
わたしの方はとにかく正規雇用の職を探し、やっとの思いで事務職に就いた
ただそこは典型的なブラック企業、月280時間働かされて残業代は支給なし
それでも学歴も資格もない自分は、勤続年数が資格になるはずだとそこに身を置いた
母がステージ4の乳がんを患い、時間かお金どちらかだけでも余裕が必要となるまで、その会社で8年働いた
新しい職に就くのは結構大変だったが、今は自分のスペックに対して満足できる給与と余暇のもらえる会社にお世話になっている
ちなみに母は今でも元気に生きており、わたしは収入の半分を母に渡して一緒に暮らしている
一方母という食い扶持を失った父は、派遣で上手く社会に潜り込んだ
ただろくな生き方をしてこなかった人間なので、潜り込んだ先で問題を起こしてクビになることを繰り返し、
それでも金はあればあるだけ使う頭の悪い父なので、毎月毎月金を貸してほしいと連絡が入る
ある月は1万、ある月2万、返ってきたと思えば数日足らずでまた金を無心される
更には会社に借金もあるらしく、すぐに用立てる必要があるという
何とかならないかと娘に金をせびる父
電話を切り、泣きながらネットバンクに積み立てていた定期預金を解約した
すぐに父の口座に振り込み、一括で返せるまで連絡はよこすなと電話で告げた
この先連絡が途絶え、縁が切れることになるならそれはそれでもう構わない
誰かと笑い合う人生なんて歩めないんだろうな
なんか偶然読んじゃったけど大変だな、偉いよ。 でも父親については生活保護とか行政を頼ってもらっても良かったんじゃない? 別に冷たく切り捨てるのを勧めてる訳ではなくて、父親...