2022-05-02

憎悪決定業

 エフ博士科学者だったが、社会のことに無関心というわけではなかった。やがて一台のコンピューターを作り、それを使って憎悪決定業という商売をはじめた。

 高度に分断されエコーチェンバー化が進んだ現代は、憎悪する対象を持っていないと、なんとなく気がひける時代だ。なぜこうなってしまったのかはわからないが、現実にそうなっているのだから仕方ない。

 そのため、だれもかれも、憎悪する対象を持たなければとあせる。なかには、別に嫌いでもないことを、性格にあわなくてもおかまいなしに憎み始める人もでてくる。

 エフ博士は、それをなんとかしようと思ったのだ。機械学習を使って、その人にぴったりの憎悪を、きめてあげようという仕事だ。

 そのコンピューターはかなり大きく、RTX 3090 Tiを何枚も搭載している。チューリングテストパスする程度の会話能力がある。精細なアバターで会話するビデオ入出力I/Fも付いている。金属製の外側は銀色をしていた。愛称はエルマという。エレクトロメカニカルなんとかという長い語の略なのだそうだ。

 お客は毎日、ひっきりなしにZOOM面談を申し込んでくる。みな不安そうな表情だ。

「あの、ぼく、憎むものがなんにもないので、困っているんです。来年就活なんですが、一次面談の時に嫌いなもの質問されたらと、心配でなりません。『憎悪を持たない人間自我を持たないも同然だ』と言われて不合格になり、みじめな一生をすごすことになるのかもしれないと思うと……」

「まあまあ、そう深刻に悩むことは、ありませんよ。たとえ深刻な問題だったとしても、エルマに指示してもらえば、すぐにさっぱりし元気になれます

 まずエフ博士は、お客に個人情報入力フォームURLを渡しそれに記入させる。性別、年齢、学歴SNSアカウント。つとめている人なら、勤務先の職種収入、家庭状況、健康などについてだ。これらは憎悪決定の要素となる。

 それからエフ博士はエルマをZOOMに呼び出す。お客の青年が聞く。

「これから、なにがはじまるのです。どうやればいいのですか」

「このエルマが各種のことを話しかけてきますあなたは、マイクカメラにむかって、それに答えればいいのです。簡単なことですから、気軽にどうぞ」

 コンピューターのエルマは、いろいろなことを質問してくる。また、連想テストなども行われる。お客は質問に答える。答えるまでの時間も測定される。

 かくして、最後に指示が一枚のPDFとなって出てくる。それには、その本人に最もふさわしい憎悪対象が記されているのだ。また、有料noteリストとか、オンラインサロンURLかいったものも付記されている。

 お客は喜び、エフ博士に料金を払ってZOOM面談を終了する。性格にぴったりの憎悪なのだから内面化も早い。これが最適との保証つきだから、途中で自分感情に疑問を持ってくじけてしまうこともない。

 また、当人の神経の強さを考慮した上での決定だから憎悪しすぎても人の道を踏み外したりはしない。発信者情報開示請求損害賠償請求を受けて、貯金を失う程度で済む。

 時には、頭のいい社会学者がエフ博士DMを送り、そっと頼み込む。

いかがでしょう、先生。我々はこんど、社会いかに不平等かを過剰に強調した論文を公開することになりました。このことを、エルマに教えておいて下さいませんか」

「いいでしょう。それにふさわしい性格の人がいたら、その論文を読み込んでおくように指示が出るでしょう」

「いえ、じつは、エルマにちょっと手を加え、この論文をバズらせていただきたいのですよ。もちろん、お礼のほうは……」

 とAmazonギフト券をちらつかせるが、エフ博士は受け取らない。そんなことをし、DMスクリーンショットが外部にもれたら、信用にかかわる。また、こんな金をもらわなくても、けっこう繁盛しているのだ。

 ある日、エフ博士は考えた。

わたしはいままで商売ばかりにはげみ、自分時間を持てなかった。だが、これから生活を楽しむことにしよう。何を憎めばいいものか、エルマに教えてもらうことにするか」

 博士はお客のあいまを利用し、エルマに調べてもらった。データがそろい、最後PDFが出力された。

 見ると〈暇〉とある

「妙な憎悪対象だな。しかしエルマのきめたことだ。間違いはないはずだ」

 そして、暇をつぶすものなら目の前にある。仕事に励めばいいのだ。このようにして、エフ博士憎悪決定業はさらに忙しくなっていった。営業拡張しなければならなくなった。

 博士コンピューターを、もう一台作った。その時、ある実験を思いついた。いったい、エルマそのものは何を憎んでいるのだろう。新しい一台を作って、それを調べてみようと考えたのだ。

 やってみると、やがてPDFが出てきた。それには〈人間社会〉と記されてあった。博士はうなずいたが、ちょっと妙な気分にもなった。

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