2018-04-20

女性記者ツイートにみる旧態依然とした記者存在について

財務次官テレ朝記者へのセクハラ騒動に関連して、産経新聞の元女性記者だという人が、新聞記者取材とはどういうものかをツイートしたのがまとめられて、はてなでもホッテントリはいっている。


まりは、重要人物の懐に入り込んでから情報を聞き出すのが仕事である以上、そこには篭絡、恫喝バーター(取り引き)といった手段が用いられており、今回のセクハラもその延長線上で起こったことと言いたいようである

平たく言えば、朝日エロ事務次官からネタを引き出すために、女性記者を送り込んでいたんだろ?ということを匂わせたいのだろう。


現実のところ、この見立てはかなり確度が高いと思うけれど、と、同時に旧態依然とした、悪い意味での記者だなあ、という感も深い。

業界の片隅に身を置いていた一員として言えば、たしかに、「そういう記者」はある程度の成果をあげて、社内政治も上手だから出世も早いのである

ただ、そういう記者尊敬されているかというと、必ずしもそうではない。

本当にすごい記者は、恫喝だのバーターのしないでも、すごいスクープを放つのである。なぜか? 地道な取材知識の積み重ねと、そしていざという時に信用される人間性があるからである

なお、ここでスクープというものには二種類あることに注意しておいていただきたい。

一つは「いずれ明らかになることだが、どこよりも早く伝える」という速報性のスクープである


一般的新聞記者が追いかけるのは、こちであることが多い。で、こっちの場合は、とにかくネタ元に食い込むのが一番早い。だからセクハラものともせずに女性記者を送り込むことにもなる。

ところが、世の中にはもう一つ、「報じられなければ真実が隠されてしまう」という独自性スクープがある。

こちらは、実は恫喝だのバーターだのは、あまり通用しない。地道な調査報道の結果や、義憤に駈られたリークによってもたらされるからだ。

「このままでは真実が埋もれてしまう」という情報新聞記者に、託すとき必要なのは信頼関係である。人として信用できなかったり、権力に近すぎて真実を揉み消しかねない記者リークするアホはいない。

 

人間というのは、こうみえて案外「良心」を持っていたりもするもので、真実報道されないことに憤りを感じ、本当のことを話したい人というのはいるのである

そういう人は恫喝しても話してはくれないが。

古い話で恐縮だが、田中角栄退陣に追い込んだ「田中角栄研究」が書かれたとき、筆者の立花隆と文春の取材班は角栄にあったことはなかったそうである

あのレポートは、地道に登記簿謄本を取り寄せて角栄土地取引履歴を追うなど、調査報道のお手本ともいうべきものだ。

森友の土地取引は、豊中市議が建築予定の看板に感じて情報公開請求したことから始まるそうだが、こういう人の訴えも掬い上げる記者かいなければニュースにはならない。


独自性」のスクープは「速報性」のスクープに比べて、手間もかかるし記者の力も試される。

から普通に報道機関に属する記者が追いかけるのは「速報性」の方が主だ。

しかも、「特ダネ」をとって誉められること以上に、「特落ち」をやらかして怒られることの方を気にしなければならない組織が多いから、記者はせっせとネタ元とのお付きあいにはげむことになる。

だが、今の時代、速報競争にどれ程の意味があるのだろう?

情報公開なんて意識希薄で、情報伝達に時間がかかる時代なら、記者がお偉いさんに取り入って話聞いて、それをまとめて伝えることに、意味もあっただろうが、いまや、ニュースがでるとなれば、先手を打ってネタ自体ネットいくらでも発信できる時代である

間に記者なんかいれる必要もない。

となれば、自分記者フィルターを通した速報なんぞより、独自スクープを読みたい。


以上、多分業界関係者は「キレイごと」と笑うかもしれない。

そう、キレイごとである

現実もっとドロドロしているだろう。

だが、ジャーナリズムが、ほんの心の片隅にでも「キレイごと」を忘れてしまえば、それは単なる「情報ゴロ」にすぎない、と思う。

  • 就活だって会社の人と個人的に仲良くなれとむしろ推奨されているし営業の契約だってそうじゃん。 女の武器を使って落とすのは正攻法でそのために美人を雇ってるんだろ。

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