はてなキーワード: 電脳とは
俺も生き物を育てる自信がない。だから電脳世界で…これもあきちゃったりしていつの間にかというパターンが多い。
もう一生何も育てずに生きるぞ!
このへんがなー、小学生くらいの子がそこまで考えてくれるかどうかっていう疑問が大きい。そもそも、記憶までコピーできてしまったらもう別人かどうかの区別がつかなくなる可能性が高い。人ならともかく言語で会話できないペットならなおさら。おそらく、いつどこでどんな相互作用がありましたーとか超細かく覚えておく必要はなくて、たとえば「何年経ったのでこの程度のレベルの躾ができます」とか「この日付にフラグがたったので忠誠度87%になってます」みたいなログが残っていれば、かなりの精度で同じ振る舞いができる可能性が高いかも、と。
あと、複製不可っていう設定自体も、これも人が作ったものなのだから人の手で破れるだろうという感覚が自分の中に染みついてしまってて信用できない。当然だれかがノウハウを持っていて、当然それがどこからか漏れているであろう。そもそもメタバグがコピーできないってのが意味解らんのだよな。
眼鏡が電脳でなく魔法だったらもうちょっとすんなりいけてたんだろうか。アニメ自体は面白いと思うのでもうしばらく見続けるつもりだけど、放送終了までこの違和感は無くならないかもしれん。
なぜだろう、と考えたときに真っ先に挙がるのは「なんで誰もデータをコピーしてないんだろう?」という疑問から始まる違和感。
ヤサコの電脳ペットであるデンスケがイリーガルと接触した時に瀕死の状態になっていたが、その時にまず思ったのは「あれ?バックアップとってねーの?」だったし、メガばあの売っているメガシは基本的にメタバグを使わなくては精製できないとされているのだが、精製されたメガシというのは攻撃用プログラムであると解釈したとき、なぜそれがコピーされないのか?誰もコピーして無限に作り出そうとしないのか?とか考えると、どうにもむずがゆくなって観る気が削がれてしまう。
「無限コピー可」→「それだと遊びとして面白くない」→「ルールとしてコピー禁止にしようぜ」といった流れがあるなら理解可能だが、そういった描写は一切ないし、そのルールを破るのは小学生くらいなら当然だろうと考えられる。小学生だしさすがにそのような技術が無いのか?とも思ったが、高校生くらいの子がクラッキングしてそのノウハウを下に教えるって事くらいはあるだろ、とも考えられる。このへんの違和感を一言でまとめると「ガキらしいガキが存在していない」ってことだ。データの扱いがあまりにもお上品すぎるのではないか。
これが頭に残っている以上、色々な描写が不自然に見えてしかたない。アニメとしてはすごくクオリティが高いだけに、この一点が原因で楽しめないのはなかなか悔しい。なので一応録り貯めて飯のときに流し観しながら「情報を保存するための大容量のストレージが存在しないからなのか?!」とか適当な理由付けができないかと試行錯誤中。この設定、小説版ではうまく消化されているのであろうか。
諸君 私は増田が好きだ
諸君 私は増田が好きだ
諸君 私は増田が大好きだ
「パスタを作るときは」が好きだ
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「聞き上手マニュアル」が好きだ
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他の増田と言い争って芋虫の様にトラックバックツリーが延びていくのは無様の極みだ
諸君 私に付き従う増田諸君 君達は一体何を望んでいる?
更なる短文記事を望むか? 情け容赦のない糞の様な長文記事を望むか?
悪口雑言の限りを尽くし 電脳世界の秩序を殺す 嵐の様な増田を望むか?
よろしい ならば増田だ
我々は満身の力をこめて今まさに書き込まんとする増田民だ
だが この暗い闇の底で八ヶ月もの間堪え続けて来た我々に ただの匿名ではもはや足りない!!
我らはわずかに11人 百人に満たぬ増田に過ぎない
ならば我らは諸君と私で総兵力1万と1人の匿名集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけているブロガーを叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり下ろし眼を開けさせ思い出させよう
天と地とのはざまには奴らの哲学では思いもよらぬ事がある事を思い出させてやる
目標 はてラボ はてな匿名ダイアリー!!
名前を隠して楽しく日記 書き込みを開始せよ
書くぞ 諸君
基本的に泣きゲーしかしてこなかった。あと少し抜きゲー。『ときメモ』とか『To Heart』とかの純粋ギャルゲー(?)はあまり好きではない。そんな増田のエロゲーランキング。
泣きゲー部門
1位 Kanon
2位 AIR
3位 家族計画
やはりkey陣営が強い。keyのゲームを楽しむためには「エロゲー脳」が必要。
非泣きゲー部門
1位 戦国ランス
2位 アルルゥとあそぼ!
3位 ナースにおまかせ
アルルゥとあそぼ!はファンディスクの中でも随一のおもしろさ(ってファンディスクめったに買わないから比較できないけど)。
初エロゲーは親父のPCに入ってた野々村病院の人々。当時は精液のことをしらなかったので「何だこの白い液体は。牛乳か?」などと思ったりしたものだった(小学○年生の時にやった)。この時、エロゲーに開眼したわけではないけど、電脳紙芝居を見るに耐える忍耐力のようなものが身についたのだと思う。
脳の解析が終わったのが15年前。信号を送る技術が確立したのが8年前。そしていわゆる電脳化が実用化されたのが3年前。当然深い部分、人格や性格や記憶などの上書きはできなかったが、それでもある程度の操作はできた。
実用化される前は、ますます仮想世界に入り込む人間が増えて少子化に拍車がかかると言われていたが、実際には逆であった。出生率は着実に上がったし、結婚する男女の数も、交際する男女の数も驚くほど増えたのだ。当初、原因はわからなかったが、しばらくしてわかることとなった。あるソフトが出回っていたためだ。それは目に映る人間の顔(後のバージョンで体型も)を任意の顔に置き換えるソフト。笑い男の顔が好きなタイプの顔に置き換わったようなものであった。記憶の上書きにあたるのではないかと言われたが、正確に言えば同時に録画してる映像の上に置き換え、それを見ているだけであるので、記憶の上書きにはあたらなかった。
ソフトウェアも進歩していたからそういったソフトが開発されていたのだが、現実と変わらぬ質感を持った人間を仮想空間に多数配置するのはまだ時間が必要であった。だから、人々はそのソフトを使い、仮想を現実に求めた。現実で仮想ゲームを行っていたのだ。正確に言えば、彼らは現実を生きてない。録画した映像に自分好みの相手を置き換えた映像を見ているだけだ。
しかし、現実では男女が互いを求め合い、子が次々に生まれるといった、とても自然な様子に見える。だが、彼らは互いを求めあっているように見えて、実は求めあっていない。彼の目には本当の彼女が映ってないし、彼女の目にも本当の彼は映っていない。本当の彼らはどこにもいないのだ。互いに仮想な理想を夢想のように抱いている。求めているのは質感と熱量、人によっては精子と子宮、だけである。
だが、そもそも恋愛というのは互いに理想を押しつけあっていたのだから問題がないと言うことができるかもしれない。テクノロジーがその部分を先鋭化しただけであって、何ら問題がないではないかと。しかし、私にはやはり何かが違うように思える。彼らは現実に生きているにもかかわらず、誰もそこにはいないのだ。お互いがお互いを、置き換えているのだから、誰も本当の姿を知らない。誰もそこにはいないのだ。
増田は一昔前のサイバーパンクとか功殻の電脳世界のようなゴミゴミした感じを思い起こさせてくれて好き
既に無責任な、とても信用できないようなアドバイスがあふれていて、
それはそれで楽しめればいいし、実際そうしている人が多いと思う
だいたい、時事ネタ以外は学歴とか恋愛とか似たような悩みが並ぶことは予想できるし
この楽しさは、サービス開始時の一時的なものなんじゃないか、
’新しい物’好きの人たちが離れていった後は、2chのように自分の居場所をネガりつつも
そこから抜け出せない人たちが残るんじゃないか、
私も増田は好きで、今の状態は心地よいとは思うけど
これから正式サービスが始まって人が増えると、
今の心地よい音楽がノイズに聞こえてきて結局は2ch化してしまうんじゃないかと恐れています
それならそれで、また別の魅力的な場所がでてくるのでしょうけどね
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀