はてなキーワード: 民主化とは
こういう「反政府は許せない」なんていう留学生はむしろ特殊な存在だと思う。ソースは自分の経験。
海外経験のあるエリートの方が体制に対して批判的な感想を持っていることが多いと思う(もちろん、表立って反政府活動するか、といえば話は別だが、「いつまでも共産党独裁じゃなく、いずれ中国も民主化しなければ」というようなことは常々言っている)。
そんな彼らでも、チベット問題については中国政府と同じような立場に立っている。
これをどういう風に考えるべきか。
以下の言葉は何度でも参照される必要があるだろう。
ナチズムにたいする攻撃はドイツにたいする攻撃であると感ずるので、ナチでない人間でさえも、外国人の批判にたいしては、なおナチズムを擁護するというようなばあいが多くみられる。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』
2008年4月3日。韓国・済州(チェジュ)島では60年前の悲劇を哀悼する祈りの声が響いた。
1948年4月3日に始まった「4・3事件」。2万5千人??3万人という島民が虐殺された事件である。韓国建国前夜、アメリカ主導で進んでいた南朝鮮の単独選挙に対し、南北分断につながるものとして抵抗した島民が警察署を襲撃したのを機に、全島に広がる弾圧に発展した。これまでは、「アカの島」でおきた「共産暴動」と烙印(らくいん)が押され、韓国内でもタブー視されてきた。
しかし、民主化後の韓国で歴史の「見直し」が進む中、2000年、事件の真相糾明と犠牲者の名誉回復を図る4・3特別法が制定。2003年には公式の調査報告書がまとめられ、ノ・ムヒョン大統領による政府の謝罪が実現。そして現在、遺骸の発掘と犠牲者の認定調査が進んでいる。調査は日本国内、特に済州島出身の在日コリアンが多く住む大阪でも進められ、これまで不遇をかこってきた肉親のルーツに関心を寄せる二世三世の若者たちにも波紋を呼んでいる。
番組では、60年の歳月を経てようやく本格化した済州島での調査の動きを追いながら、国際政治の力学の中で、なぜ“悲劇”が起き、そして拡大していったのか、を浮き彫りにし、朝鮮半島分断の“起源”を見つめ直す。
出演:作家・金石範(キム・ソッポム)
語り:広瀬修子
オリンピックは失敗させるべきではない。
確かにチベットの問題や公害の問題。中国には酷いところが山ほどあり先進国からすれば看過できない。
だが、それでもオリンピックは失敗させるべきではない。
中国の国民は他国にどのような国があるのかも知らないし、そもそも自国で何がおきているのかも知らないのだ。
情報もないまま適切な判断などができるはずもない。
日本にいる我々や海外からすれば抗議行動がおきたそこに至るストーリーを知っている。
だが、中国人は知りえない。
まず我々がすべきなのは相手の国に文化をもって乗り込んでいって文明開化をおこさせることだ。
そのためには中国全土に放映されるオリンピックが報道されるのは大きなチャンスだ。
いままでの中国では日本でいえば柔道クラスのいつも金メダルを取れる競技しか国民は知りもしない。
だが、オリンピックが国内で開催されれば、そこで中国以外の国がどれだけ金メダルを取っているのかに触れる。
世界にどれだけの国があって競い合っているのかを知ることができる。
卓球が世界の中心競技ではないことをいくらいって聞かせたところで実感させることはできない。
世界から多くの観客が集まり列をなす様をみて初めて卓球ってそれほど注目されてないんじゃね?と感ずることができる。
中華思想に懐疑心をもたせる。
オリンピックをやるということは、これ以上ないチャンスだ。
そのためには無選択に情報に触れられる必要がある。
本idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。
関係ない人読んでもつまらんよw
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1
>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。
「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。
要するに、自分の信奉する政治的ポジションの囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通にチベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。
世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。
そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人の感覚とはそういうものだ。
ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。
例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。
その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。
チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人のチベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。
そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットにコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルなメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。
わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。
まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2
この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。
まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。
> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。
この主張は要するに、現代文明の日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?
このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別の利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話の青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。
それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌのアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。
そもそも、大部分のアイヌは二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人の人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。
地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコストの無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。
中国はあやういパワーバランスの上になりたっている。かなり瀬戸際。
いま中央の共産党は改革開放という名のもと民主化にも近い政策をとっている。
これを面白く思わない連中も居る。
先日も中国軍の高官が関与したとおもわれる変な動きがあったときいた。
若手が起こした事らしいのだが、同時というのが軍の高官の関与をうかがわせている。
もしかしたら、この時期にこういうことをやるってことは政府転覆をもくろむ勢力が暴走しはじめたのかもしれない。
なんとしてでもオリンピックを成功させたい政府と、影響力の低下を恐れる軍部&腐れ官僚。
どこの国にも既得にしがみついて罪をなす連中がいるが、、危ういなー。
これ以上なにもなければいいが。。
ブログを始めたのはどのくらい前だろ。当初は知人向けに書いていた。
僕は自分の文章を読むのが好きだ。それで眺めているうちに、これは他人が読んでも面白に違いないと確信した。
というわけで実名を出した。もし自分が歴史的に重要な文章を書いたとしたら、後世の教科書でレカグナイズされてしかるべきと思ったからだ。
先日はこれをネタにしようと思った。
http://jp.youtube.com/watch?v=cwdhdGimFOw
けれど書けなかったという話を書きたくて、はじめて増田です。なぜためらったかというと、その日に仕事関係で僕のブログが問題になっていたから。その上またこんなことを書いたら、と思ってしまった。
もちろんわざわざ自分から「こんな記事を書いてます」とアピールしたわけじゃないけど、見つかるんだねやっぱ。当たり前だけどさ。いやていうか普段は自分から宣伝しまくってるからな。
怖かったよ。
橋下府知事に対する若手職員の異議申し立てについてエントリーを書きたいと思ったのは、彼女の名前を特定し、攻撃を加えようとする奴らがいたからだ。なんと滑稽なことだろう。彼女はカメラが何十台とある前で自ら立ち上がっていたというのに。
そして彼女の発言は真っ当なものだった。けれども真っ当なことを真っ当に言う人が集中砲火を浴びるとしたら? それで僕が黙っているとしたら?
ってなことを書けば、はてブを稼げるかと思って書きたくなった。けど、怖い。グーグルというものがあるということはわかってたのにね。
かつて東欧諸国は、全体主義社会だった。共産党を批判することは許されなかった。けれども、ガチで党の思想を信じている人はむしろ少数派だったのだそうだ。むしろ、気の知れた仲間同士では指導部をからかったりし合っていたという。イデオロギー的支配は、むしろ公の場での行動のレベルにあった。独裁者を本気で崇拝なんかしない。けども、多くの人はあたかも党に帰依している「かのように」振る舞っていた。秩序はそうして維持されていたのだ。
というわけで、東欧の民主化は、まさに『裸の王様』のラストシーンのように進行した。ルーマニアの独裁者チャウシェシュクが最後の演説に立った時、広場に集まった群衆の中に彼を支持する者はほとんどいなかった。チャウシェシュク自身、もちろんそれはわかっていた。なのに彼がなぜのうのうと群集の前に自ら登場するような選択をしたのかというと、それまでもずっとそうだったからだ。これまでと同じように、誰も信じないような演説が行われ、誰も信じていないのに誰もが信じている「かのように」拍手喝采が行われるはずだった。
ところがどこからともなくブーイングが始まる。あっという間に広がっていく。気がつくと隣に立っている奴までもがやっている。もう誰も止めることはできない。独裁者は演説の中断を余儀なくされる。
人々は、「王様は裸だ」と気づいたのではない。そんなことは何十年も前からわかっていた。ブーイングが広がった瞬間は、真実が暴露された瞬間ではなく、裸の王様が裸であることを知らないかのように振舞うことを人々がしなくなった瞬間である。
「人々」と書いた。一人が声を上げても、それが「人々」にならなければ抹殺されるかスルーされるだろう。けれども「人々」は一人から始まる。上の動画で、その一人を見た。そのことについて書きたかった。そしてできなかった。今僕は、「一人」をたしかに目撃している。後になって、「ブーイング」はもう始まっていたと気づくかもしれない。それでいて声がだせない。
何が悲しいのか? 本名を出したことか? 今までの全てのエントリーが虚しいことか?
何が怖いのか? 問題にされることか? それとも、問題にされるとわかっていて彼女が立ち上がったということは、こんな自分でも思わず何かやらかしてしまうかもしれないという不安か。
http://kuki-shimin.com/archives/291
http://kuki-shimin.com/archives/290
鷲宮町の地域の発展に必要なのは?
「久喜市民」氏によってらき☆すたにおける鷲宮神社の騒動をネガティブな形で焚きつけられたものの
結果的には鷲宮町商工会がこの盛り上がりを活用し、幸手市の商工会もそれに追随しようとしてる所だ。
しかし騒ぎを起こしたものとしては街おこしと言う良い方向に向かうのがたいそう気に入らないのか
ネットで煽られて火病でも起こしたのかとにかくネガティブキャンペーンを起こしている様なのですが、
そもそも、久喜市民はあくまで「久喜市」の「市民」であって、鷲宮町の問題に口を出すのは意味が無い
と言うか久喜市民氏の言ってる事は「よそ者がまたわけのわからない事を言ってるよ」と言う感覚でしか
ないのではないだろうか?。
確かに合併はじめとして防災・ごみ処理等、行政的な問題もあるんだけど、それと隣町の賑わいは
切り離して考えるべきだよな。
踊らされすぎ。
日本が掘削を強行。
↓
↓
中国が攻撃(それが日本の謀略だっとしても日本は破壊活動をされたとアピールすることができるようになる)
↓
日本の自国防衛も成立するし、国内世論も動く。体外的にも筋が通る
それこそ満州事変じゃないか。
一方中国はそういう対外行動でしか対国内への面子が保てない。
あの国は経済は物凄いのびてるけど政治的にはこれまでになく不安定。
国内差がとんでもなく広がっていて民衆がいまにも爆発しそうにくすぶってる。
沿岸部と内陸もそうだし、北部と南部でもそうだ。
日本にとっても他の先進国にとっても中国に経済面で依存している度合いは物凄く高い。
とてもじゃないけど中国の政治的混乱や分裂などは歓迎できない。
オリンピックで中国国内でテレビでも普及してくれれば市民の意識も相当変わる。
日本人がわすれてはいけないのはあの国は世界で一番でかい共産国だということ。
日本みたいな国からすれば、このペースで緩やかに民主化(市民意識の変革を)してもらうより他ない。
民衆の認識が少しでも変わってくれれば後は分裂してくれようがなんだろうが構わない。
日本人がまず真っ先に懸念すべきは中国対日本の戦争ではなく中国の本格的な内戦。
下手に刺激して現段階で中国でリアルタイム三国志をはじめられても日本は困るだけなの。
日本として一番いいシナリオは、緩やかに中国の市民意識を台湾よりになってもらうこと。
そのために必要なのは威嚇ではなく中国の市民に正確で「いい」情報を与え続けてやること。
食わせるエサを間違えちゃだめ。
日本が自衛隊をだしてまで掘削を強行するなんていう中国と同じレベルで行動してしまっては、
もっとも・・・。
そろそろガス抜きが必要なのかもしれないけどね…。
国威発揚とかはばからしいけど、一部(もしくはかなりの数)に本当に効果があるのは同意せざるを得ない。
ただ中国相手にガス抜くにはこっちが蒙るダメージでかすぎるから、
北朝鮮ぐらいにしておきなよと思う。
こういうニュースを定期的に出してウヨを煽るのはいいことだと思う。
煮え切らないところがいいのかも知れない。
その1
福田康夫首相は3日午後の衆院本会議で、今秋から議論を開始する税制抜本改革における消費税の取り扱いについて「現段階で消費税のみを取り上げて方向性を申し上げる状況にはない」と述べ、税率引き上げの有無は今後の議論次第との認識を示した。
その2
政府は3日、人権抑圧などを理由に人道目的の案件に絞っているミャンマーへの経済協力について、さらに削減する方向で検討に入った。民主化の進展や、反政府デモ取材中に銃撃され死亡した邦人ジャーナリスト長井健司さんの事件の真相究明に軍事政権がどう取り組むのかを見極め、最終決断する。
で、多分、うだうだ結論を先延ばしにして、ぎりぎりになってから、その場の空気で決めるのであろう。つまり、空気を作り出したやつが偉くなる仕組み。
ただし、今まで空気を作り出す役割だったマスコミの限界が露呈してきた。インターネットの出現によって。
というか、おそらく、現在、2chのニュー速+板が情報戦の最前線・主戦場になっているような気がする(・・・のだが、もっと活発なところがあるかもしれない)。あそこを見てから、増田に来たら、なんて静かなんだ、とか思ってしまった。
中身を問題視してるというより押し付けられたってことが気に入らないのでは?自主憲法制定するといってる人の多くも平等や人権とか国民主権なくしましょうといってるわけじゃないでしょ。個人的には押し付け憲法でもいいといってる人が武力で独裁政権倒して民主化押し付けてるイラク戦争に反対してたりするほうが不思議。
「中身」を問題視する人が、「形としては押しつけでも日本人が諸手をあげて賛成していた」占領と民主化を問題無しとし、「形としては自主的政権でもイラク国民の多くが以前として納得していない」戦争・占領と民主化を問題にするのは、別に矛盾してないと思うんだけど。
お上から下々に「押し付けられた」のは欽定大日本帝国憲法も同じなのは置いといて、「国民主権」「政治・経済の民主化」「基本的人権の尊重」「男女平等」「教育の自由化」といった戦前の日本には無かった思想が米国から押し付けられたわけですが、これらのスウィート糞メリケン思想についてハッキリと「伝統的日本には相容れないので却下」と、断じてNoと言ってくれる人を見掛けないのが甚だ疑問です。実は本心は「ミンシュ?ジユー?ジンケン?ジョセーカイホー?ふざけんな下衆が」と思っているのを隠しているのか、それとも単にボケているのかが良く分からないので困惑するわけです。
憲法9条の戦争放棄は幣原首相が提出した例の「主権は天皇、基本的人権の項目は帝国憲法を手直ししただけ」の政府原案の第二章にあったもので、つまり日本の方から「不戦の誓いの本気度(米国への忠誠度とも取れる)を憲法で示すので、天皇主権だけは触れないでくれ(国体だけは護持させてくれ)」とGHQにお伺いをたてた形であった事実はスルーして、「憲法9条の戦争放棄も米国の押し付け」と言わんばかりの人だらけなのも良く分かりません。
自衛隊の前身の警察予備隊は(朝鮮戦争への出動で治安維持に不安が生じる為)GHQからの要請で創設された事も、(共産勢力に対抗する為に)日本は再軍備せよという要求を、9条と世論を盾に再三押し留めながらも米国からの援助を受ける形で徐々に強化されて今の自衛隊の規模になった事(つまり自衛隊は設立当初から現在に至るまで米国からの押し付け)も一切無視なのも良く分かりません。
「ジャパンアズナンバーワン」なころに問題を騒ぎ立てて、外交感情が悪化したら損をするのは騒ぎ立てた方でしょう? そのときに怨念を溜め込んでおいて、日本が弱ってからあらためて持ち出す、という流れは何も可笑しくないと思うのだけれど、どうだろう。つまり「ジャパンアズナンバーワンとかうぬぼれてたころ」に、優位な立場から怨念をきっちり解消しておけばよかった、という話だよ。
靖国や教科書はバブル前のころにも騒がれてたはず。外交感情が悪化するのを恐れて日本が弱るまでは慰安婦とかの歴史問題持ち出さなかったのなら、弱る前には騒がれなかったはずでは?だから日本が弱るまで怨念が溜め込まれてたとはいえない。それに公式には戦争責任は条約で解決済み。怨念とかの感情的なものは政府ではどうしようもないだろうし。
そうは言っても、欧米は現在のグローバルスタンダードの発祥の地なのだから。数百年前に成りあがって今や国際社会のスタンダードな制度になった国々と、ここ百年後追いで成りあがった国を同様に「成りあがり」として扱おう、というのはちょいと無理な話じゃないのかな。
それって単なる差別ではないの?でも日本はすでに同様な成り上がりとして扱われてるんでは?サミットにも参加してるし、非常任理事国にも何度もなってる。
もう少し細かく言うと、僕も日本は産業レベルや文化レベル、制度のレベルでは欧米に追いついたと思う。だけれど、政治レベルではまったくもって未だ「田舎モン」のレベルから抜け出せていないと思うんだよ。これだけ民主主義の精神が国民に根付いていない国も、先進国の中では珍しいんだから。
欧米が民主主義が根付いていて、日本は根付いてないと言うのは何が根拠なの?ただの西洋コンプレックスなのでは?それに田舎もん=反民主主義みたいなのも偏見じゃないか。少なくとも日本などのアジアが劣ってて欧米が優れてるというのは民主主義の精神に即してるとはいえないと思う。アメリカみたいな中東民主化のために爆撃しようと言う発想もついていけないよ。これが民主主義が根付いた都会モンと言うことなら、そんなものに永久にならなくていい。
http://anond.hatelabo.jp/20070219001517
今でもフス教の教会はあるって聞くよ。
良く読んでないけど、ことさら無神論者が多いなんてことはないよきっと。
詳しい人に聞いてみるけど、日本とは比べられないよ。ベトナムとも。神が違うしさw
でもちょっと特殊なところはあるかもねチェコ人は
職人系なんだよ基本が。無血革命とかしちゃうしね。赤なんてもういないし。ユダヤは普通にいるけど。
なんていうか馬鹿にされがちだよねちょっと。アメリカでチェコ移民っつーと馬鹿にする奴いるしね。
全然元エントリ読まずに書いちゃったけどどうだろう
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html
これ見てみた。あんま差ないじゃん欧州諸国と。オランダ、フランスと10%しか違わないじゃん。このくらいの誤差はあるんじゃねーの?2000年ってチェコ的にはバタバタしてた頃だと思うし。分離して民主化の大波の最中だろ。日本人ツーリストもめちゃ増えたらしいしさ。よう知らんけどな。
私の「仕事場」はネパール東南端の難民キャンプ。ネパール系のブータン難民10万6千人が、「ヒマラヤ」のイメージの強いネパールにジャングルを開墾して造った7つのキャンプで16年にもわたる難民生活を強いられています。
難民たちは、竹で編んだ小さな小屋に身を寄せ合って暮らし、配給食糧の米を主食としています。人口は自然増加しているもののキャンプ用地はそのままなので、年を追ってキャンプでは過密化が進んでいます。
19世紀後半から20世紀初めに経済的な理由から多くの人々がネパールからブータン南部に移住し、ブータン国籍を取得するに至りました。しかし、ネパール語を話しヒンズー教徒中心のネパール系の人々は、仏教徒の主流派ブータン人とは民族的にも宗教的にも異なり、80年代からとられた民族主義的政策の結果、ネパール系の人々は国籍を失い、90年代初頭大量にネパールに流入。ブータン政府に対する民主化要求行動も、多くのネパール系ブータン人の国外追放という結果をもたらしました。
かれこれ16年も経てば、キャンプはまるで典型的なネパールの町のよう。学校もあれば、診療所もある。集会所もあれば、障害児を預ける託児所もある。すべてUNHCRの支援でつくられたものです。ブータン難民はネパールでは就労権が認められていないため、国際社会からの支援に依存せざるを得ません。UNHCRは、ネパール政府当局やNGOパートナーらと連携しながら、これら難民の権利を保護し、住居、食糧、水・衛生、保健・医療、教育などの面での支援物資・サービスの提供、および難民問題の恒久的解決の模索を担っています。
キャンプに暮らすブータン難民全員の状況把握をかねた「難民再登録」の作業がようやく昨年11月に開始しました。UNHCRとネパール政府による今年春までの共同事業で、約50人の再登録作業専従スタッフが、一日あたり約1,500人の難民の聞き取り調査と写真撮影、データ入力にあたっています。
90年代初めの到着時に政府が難民の登録作業を行い、その後順次出生、死亡、婚姻、離婚などを記録してはいるものの、10万6千人全体について基本情報をアップデートし、データベース化するという作業はこれが初めて。難民の安全を守り、適切に保護し支援するためには、一人一人がどこの誰で、どういう家族構成で、どういうニーズを抱えているのか把握する必要があります。
また、一人一人写真を撮り、のちに写真入りのIDカードを発行する計画です。写真を撮るのに飛び切りのおしゃれをしてやってくる老人や、カメラの前で緊張して泣き出してしまう子どももいます。庇護国からの身分証明書は、自国政府から保護が期待できない難民を保護する上で欠かせません。
難民再登録事業の実現は、ネパール政府との粘り強い交渉も含め、様々な関係者による努力のたまものです。ブータンへの帰還(わずかながらではありますが)やアメリカなどへの第三国定住など、解決への兆しが少しずつ出てきている中で、この画期的な事業の現場をあずかる事務所の所長でいられるというのは幸いなことです。
16年という長期にわたる難民生活にもかかわらず希望を捨てずに前向きな姿勢を保っている難民たちからエネルギーを分けてもらいながら、様々な国籍の50人の事務所スタッフとともに支援活動にあたっています。