2007-11-18

余所者は所詮余所者でしかない:鷲宮神社の騒動を振り返って

鷲宮菖蒲のさらなる民主化が必要だ。

http://kuki-shimin.com/archives/291

鷲宮秋葉原ではない。

http://kuki-shimin.com/archives/290

鷲宮町の地域の発展に必要なのは?

http://kuki-shimin.com/archives/289

 「久喜市民」氏によってらき☆すたにおける鷲宮神社の騒動をネガティブな形で焚きつけられたものの

結果的には鷲宮町商工会がこの盛り上がりを活用し、幸手市商工会もそれに追随しようとしてる所だ。

 しかし騒ぎを起こしたものとしては街おこしと言う良い方向に向かうのがたいそう気に入らないのか

ネットで煽られて火病でも起こしたのかとにかくネガティブキャンペーンを起こしている様なのですが、

そもそも、久喜市民はあくまで「久喜市」の「市民」であって、鷲宮町の問題に口を出すのは意味が無い

と言うか久喜市民氏の言ってる事は「よそ者がまたわけのわからない事を言ってるよ」と言う感覚でしか

ないのではないだろうか?。

確かに合併はじめとして防災・ごみ処理等、行政的な問題もあるんだけど、それと隣町の賑わいは

切り離して考えるべきだよな。

  • 久喜市民氏にとって鷲宮町なんぞはただの植民地なんだろう。 鷲宮町民に至っては現地の土人ぐらいの認識でしかないと思われ。

記事への反応(ブックマークコメント)

人気エントリ

注目エントリ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん