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はてなキーワード: 文庫本とは

2007-08-28

私の待ち合わせ対策と傾向(実践編)

Aさんとの待ち合わせ→かっちり時間が決まっている待ち合わせ(公演時間があるとか)ではないのなら、1時間遅れがデフォなのでそれを想定して家を出る。適当な暇潰し場所を確保しておく必要がある。

Bさんとの待ち合わせ→当日まで都合のつく時間が分からなかったりするので、丸々1日あけとく必要がある。長時間の暇潰し場所を確保しておく必要がある。(確保しても使われない事もあるので、時間制限のない場所が望ましい)

Cさんとの待ち合わせ→ほぼ守ってくれる(あっても10分遅れ?)。文庫本1冊あればおk。

Dさんとの待ち合わせ→いつもきっちりその時間に来る。対策必要なし。

かく言う私は→5分前には待ち合わせ場所についている。対策は必要なしと思われる。

http://anond.hatelabo.jp/20070828151830

遅刻容認派がみんな遅れているとは思うなよ…?

2007-08-19

anond:20070819002726

表紙絵は文庫本にとって本質そのものなんだが。

2007-08-18

Re:人間失格の表紙の件について

前世代VSそれ以外

否定している人=前世

肯定している人=それ以外

です。残念ながら。センスが圧倒的古いんだ。

例えば、痛いニュースなんかでも否定派を多く載せているわけだけど、

喋ってるのは高年齢層の人たち。

もしくは車の合宿に行ってもやることなくてずっと本読んでるような

文系ティーンが多いのではないでしょうか

きっと、そういう人たちにあの感覚は理解できない

だってその人たちに向けて売られてない、

だって作品に思い入れがある、

だってあたらしいものを認められない、

から。

レイアウトの勝ち

夜神月人間失格の4文字

それだけで直感的に飛び込んでくるわけです頭ん中に

んで、手にとってみようと思う

原作知らなくても題名くらいは知ってるから。

そこにあのレイアウト持ってこられるとなんだなんだ、と手にとっちゃうわけです

そんな本が270円

入門編にちょうど良いわけですね

表紙は広告なわけだから

ある意味で目をひいたもん勝ちです

(やりすぎると下品ですが)

今回の場合はややグレーながらも

そのグレーさ加減が良いあんばいで

いたるところで議論をおこし、それがさらなる広告につながるわけですね

1カ月後に読売夕刊で大きく扱われるわけです

レイアウトの勝利なわけです

今回に限っては太宰よりも集英社編集者の勝利でしょう

あれ考えた人はすごいよ。出世する人なんでしょうきっと。

見方を変えましょう

もし、ここまで言っても理解できないのなら

あなたはあきらめた方がいいかも知れない

いろんなことを。

個性の時代です。どんな人が生きていても構わない

ただ、これから先もっと生きにくくなるでしょう

いくらあなたが正しくても。

だから視点を変えてみましょう

文庫本ラノベみたいな表紙はなぜいけないのでしょうか?

これだけ売れる理由はなんでしょう?

なぜ1月後に読売夕刊であれだけ大きく扱うのでしょうか?

自分のセンスを疑ったことはありますか?

当たり障りない作品と賛否が分かれる作品では

どちらがよりたくさんの人に影響を与えるでしょうか?

時代は進んでいます

感覚を磨いて、良いものは良いと言い切りましょう。

合格しなくても良い。

ただ人間失格しないように毎日生きていたいものです

http://anond.hatelabo.jp/20070818184808

2007-07-13

梅雨の合間の晴れの日に

ふと気付いた時には、電車の扉はもう半分閉まりかけていた。降りるにしても、目の前の乗客をそれこそ掻き分けるようにしなければならない。僕は諦めて次の駅で引き返すことにした。もう完璧遅刻だ。

一年近く続いた電車通勤も最初の頃はそれなりに楽しかったけど、最近ではもう面倒くさいの一言だった。それが今日からは歩いて十五分という素晴らしい環境になったというのに、僕は解約しそびれた定期でいつものように電車に乗って、やっとそこで気付いたとそういうわけである。

いつもなら、いや昨日までは電車の中では文庫本を広げていたのだけど、タイミングよく読み終わったせいでかばんには一冊も入っていなかった。反対の扉まで押しやられた僕は、仕方無しにガラス越しに流れていく風景を眺めていた。梅雨空の下に広がった街並みは等しく彩度を失っている。僕は雨の日が嫌いではない。しかし、こうも雨続きだと気が滅入ってくる。僕はため息を一つついて車内に目を戻した。車内にも雨の匂いが漂っている。

電車は並行して走っている線の駅を二つとばして、ようやく駅のホームにたどり着いた。僕は、位置エネルギーの減少と増大、とつまらないことを考えつつ階段を降り、また階段を上って隣のホームに移動した。電車はまだ来ていない。僕は次の電車の時間を示す電光掲示板に目をやり時間を確認した。次の電車は七分後。前の電車は出てしまったばかりのようで、人はまだほとんど並んでいない。ドアの位置を示す番号の前に移動して、もう一度時間を確認する。九時二十八分静岡行き。あと六分。

静岡という文字に僕は少しだけ違和感を覚えた。静岡、しずおか、シズオカ、僕は記憶の糸を辿る。そして行き着いた先に僕は苦笑してしまった。 「今日静岡天気は晴れです」今日の朝の天気予報でただ一箇所だけ晴れマークをつけていたのが印象に残っていたらしい。そうか静岡は晴れか。僕は少しだけ嬉しくなって、晴れている静岡想像しながら電車を待っていた。僕が一度も静岡に行ったことがないということなど、この際些細な問題でしかない。

そうこうしているうちに、静岡行きの電車がホームに入ってきた。この時間帯の下りの電車は大体において空いている。僕は座席を確保して暫し考える。僕はかばんの中から携帯電話を取り出し、メール機能を呼び出して文字を打ち込んだ。「体調が悪いので休みます」これでよし。メール転送されて会社の人に届くだろう。もし届かなかったとしても、多分誰も困らない。

静岡は晴れているに違いない。

2007-06-25

わけわけ

昨日の午前中、電車に乗って空席を見つけて座ろうと近づいたら、頭からすっぽり大判タオルをかぶって横になった人が寝てたわけ。田舎電車って進行方向に向かって二人がけのシートがバスみたいに並んでるんだけど、その二人がけシートをひとりで占領してるわけ。

そいつのすぐ後ろの席が空いてたから自分は座れたんだけど、田舎駅では立ってる人がほとんどいないからいいとしても、電車が進んでどんどん人が増えていってるのに全然起きようとしないわけよ。

駅に着くたび乗客が席が空いてると思って近づいてきて、うわ人が寝てたのかと諦めて遠ざかっていくわけ。しかもタオルで身体まで隠してるから男か女か怖そうかそうじゃないかも全然わからないから、起こそうにも起こせないわけ。

結局自分も降りた都会駅でそいつも降りたんだけど、なんと正体は中年のババアだったわけよ。

今朝の通勤時間帯には、音楽聴きながら文庫本読んでる大学生くらいのヤンキー系ではない茶髪の兄ちゃんが二人がけの優先席に座ってて、隣にバッグを置いてるからもうひとり座れるのに座れない状態なわけ。田舎駅では立ってる客も少ないからいいとしても、次の駅は乗換駅だから乗ってくる客も多く、しかも優先席にどうぞどうぞ的ルックスのじいさんが乗ってきてすぐ横にヨボヨボ立ってたのに座れないわけ。

人が少ないときは占領してても、車内に客が増えてきたら譲れないわけ?少し顔をあげて周りを見わたしてみれば気付きそうなもんなのにどうしてやんないわけ?そんなに空気読めないわけ?

なんか最近電車の中では年齢や性別に関係なくそういう人が多いから気になるし、そいつらのすぐ側にいても何も言えなかった自分のチキンぶりにもにょもにょするわけで。

2007-06-12

積読のしかた

  1. 地雷本を勢いで買う→帰宅途中に読み始めてあきる→帰宅して積む(いつの日か読むかもしれない)
  2. 楽しみにしていた本を買う→帰宅途中に読み始めるも期待にそぐわず失速→帰宅して積む(文庫本以上のサイズだともう読まない)
  3. 新しいシリーズに手を出そうとしたら一冊目が見つからない→とりあえず既刊を揃えて積む→一冊目発見→冊数の多さにげんなりして積んだまま(きっともう読まない)
  4. 既読で一度手放した本を再読したくなって買う→既読なので後回しと思って積む(意外と読む)
  5. シリーズ期待の作者買い→そのシリーズ目当てじゃないためまず積む(それなりに読む)
結論

読まずに積む本より、数ページ手をつけてから積んである方が多い。

2007-06-11

ゲドを読む。

ローソンにて無事入手。

ちゃんとした奥付ありの文庫本っぽい装丁、紙の質にちょっとびっくり。

保存用にもう1冊欲しいな。まだ読んでないけど。

2007-06-04

ある帰宅中の出来事

僕はいつもと同じように、同じ電車に乗り込んだ。各駅停車なのでそれほど混雑もしていなく、空いている座席に腰を下ろす。鞄から文庫本を取り出し、しおりを探す。どこまで読んだっけ。朝読んだ続きを思い出しながら、電車は発車した。

本に夢中だったのでそれまで気づかなかったのだけれど、向かいの座席には女の子が座っているようだ。話し声に反応して顔を上げると、僕は思わず息を飲んだ。

2007-04-13

シンクロニシティ

新宿本屋で『御緩漫玉日記』の3巻を買った帰り、地下鉄でとなりにすわった女の子が『アク・アク(上)』という文庫本を読んでいるのがちらっと目に入った。

まったく知らないタイトルで、なんだか妙に気になったので、その場でググって調べた(「気持ち悪い」とつっこまれそうなので先にフォローしておくけど、25年間生きてきて、こんなぷちストーカー染みたことしたの初めてです)。

そんで「トール・ヘイエルダール」という人の存在を知った。

で、さっき帰宅して『御緩漫玉日記』を開いたら、玉吉先生が「で、トール・ヘイエルダールって誰だっけ?」と描いてらっしゃる。ドびっくり。

あの女の子はこれを読んで『アク・アク』を手にとったのかなあ。いやまさかそんな。とにかく驚いた。こんなことってあるもんなんだねえ。

どうでもいい追記。

いま『漫玉日記』を読了したんだけど、これ、玉吉先生大丈夫なのか……?

2007-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20070404123826

だあね。

小説なんか、普通は著者がフォント指定したりしないだろうし、手書き原稿も活字化されたりするし、あと、単行本・文庫本で違ったりするだろうし。

けど、気にしないのは、それが元々そういうものだからだもんね。

ま、たまに妥協せずにいろいろやってる人もいると思うけど。たぶん。

2007-03-16

本のカバーはジャマ

http://anond.hatelabo.jp/20070316015516

私の場合は本のカバーも取っちゃっう時あるよ。

というか参考書とか実用書の類は確実に。

別にあとで誰かに売るつもりなんて無いし、持ったり開いたりするときにずれるのがムカつく。

こうすると汚したり書き込んだりするのにもためらわなくなって、結構気分良く使える。

 

文庫本も取っちゃってしまいたくなるんだけど、やっぱ表紙の絵がなくなるのは寂しいのでそのまま。

日本文庫アメリカペーパーバックみたいな装丁になればいいのに。

2007-03-08

先ほど、PC脇に積み上げられた本が崩壊いたしました。

10冊ほどの文庫本が外付けHDドライブに激突。

HDドライブは異音を発しております。

ちくしょう何で本ってやつには厚みがあるんだ。

2007-03-03

鞄の中身

http://anond.hatelabo.jp/20070303103730

毎日持ち歩いているのは、

 

札入れ(カード類の大半はこの中)・小銭入れ・キーホルダー携帯電話

デジカメ手帳とペン・カード入れ(交通機関のICカードと各種会員カード)・

化粧道具のポーチ・化粧道具じゃないポーチ・髪留め・買物用バッグ・

ハンカチ・ポケットティッシュ・大きめのスカーフ文庫本1冊。

 

スカーフは夏場も冷房対策に持ち歩く。

早く携帯で全部小銭の支払いができるようになるといいな。

数年前まで、両親を見送ったら自分も逝こうと思っていた

http://anond.hatelabo.jp/20070301212308

母が無事に逝ったら、私も穏やかに逝けたらよい。そんなことばかり考えている。

自分も数年前までこの考えしか頭になかった。

自分は学問に挫折した。

大学院で人様に見せるのも恥ずかしいような修論を書いたことは、いまだに消してしまいたい過去だ。

その後、ほんとうに適当就職し、一プログラマをしていた。

仕事は中ぐらいに楽しく、中ぐらいに嫌いだった。

しかし自分は体質的な事情で子供をつくれない。

子孫は絶対に残せない。

老後を看取ってくれる人もいない。

その他、ここで匿名でも書けないような不幸にも見舞われた。

正直、何に希望を見出せばいいのかわからなかった。

自分が生まれてきた意味もわからなくなってきた。

このまま消えてしまっても何もかわらないのではという考えが頭から離れなかった。

ただ、親の悲しむことはしたくなかったので、自殺などはしない。

でも、両親が亡くなったらきっと、、、とは常に思っていた。

しかし、ある日ふと手に取った、内村鑑三『後世への最大遺物』というとても薄い文庫本が自分の方向を変えてくれた。

その影響をここで一言でまとめるのは、自分の文才が足りないので書かない。

Amazon書評に自分と同様な感想を持った方が多数おられますので、そちらをお読みください。

自分は、自分の能力のなさと、それに反比例した自己顕示欲の強さに、日々嫌悪感を感じる。

自分のこれまでの人生での選択の大部分は間違いだらけであったとも思う。

将来お金が尽きて、病院にも行けず、のたれ死ぬかもしれない。

客観的には幸せとは言えないかもしれない。

ただ、自分がこの世に生まれてきたことには(上の書物で読んだ通り、)大きな意味があるし、同様にそのような意味のある生を生きている全員に支えられて来たと、ひしひしと感じることができる。

その感覚の一点だけが、今の自分に幸せをもたらしている。

2007-02-24

社会人になんかなりたくない。

なんで毎日あんなに働けるの? 家に帰るのが夜っておかしくない? なんでこんなカツカツの仕組みになってんの?

1日5時間労働くらいでみんな暮らしてける社会になんない?

ああ、社会人になりたくないよ。

何時間でも友達と話したいよ。好きな本は徹夜で読み込みたいよ。思索に1日使ってしまいたいよ。料理に何時間もかけて友人と食べたいよ。公園を毎日ふらふら散歩したいよ。日差しが眩しい時間に外を歩きたいよ。討論で盛り上がって朝を迎えたいよ。踊り明かしたいよ。あの夢のような時間にはもうさよならしなきゃいけないなんて、そんなの、嫌だよ。

一日の始まりにその日の予定を立てる。朝から光が眩しかったから外へ行くことに決めてとりあえず電車に乗る。電車の中で文庫本を一冊読み終え、何かの縁だと思ってそこで降りる。少し温んできた空気のなかをぼんやり歩く。お寺があったので入ってみる。古びた木の建物の、かかる緑のかげが奇麗で涙が出る。そんな一日がずっと続くと思っていた。

もうさよならだ。

社会人になんかなりたくない。

2007-01-31

Re: 新書

ネットで本を買うようになってから出版社を気にすることはなくなりましたね。

ハードカバー文庫本新書なのか、注文して手に届くまでは、分かってないことも度々

通販になかなか手を出せない人もいるみたいですが、

地方にいて、こんな便利なものはないのになぁと思います

あとは、これからの新書の役割ということを考えると

ネットリアル雑誌を駆逐しているように、ネットコンテンツが充実していくにつれて

新書の役割さえも奪っていくようになるのでしょうか

うーん、でも新書の売り上げが伸びてるって、どこかで聞いたような気もしますが

よく知りませんが日本史の資料などはネット化されるのにまだまだ時間がかかりそうではあります

2007-01-27

[]史料を見ないで書くオレラノベ

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20061115/1163576101

http://d.hatena.ne.jp/kazenotori/20070127/1169824810

↑この辺を読んで書きたくなったので書く。読んでない作品ばっかりなのにかなり適当言った。多分いろいろ間違ってるけど勘弁。

80年代以前

ラノベ的なものはあるがあくまでティーンズ向けのジャンル小説

ライトSFスペオペ、軽めのファンタジーTRPG小説版アニメ脚本家が書いてる小説ノベライズ、10代向けの伝奇小説、あと海外の翻訳モノ

少女小説は、つーかコバルトはすでにかなり歴史があるので安定。恐ろしく軽い文体の恋愛ミステリファンタジー伝奇ホラー

90年代前半

スレイヤーズ登場

スレとあとフォーチュンクエストあたりの大ヒットが10代向けの文庫本レーベル群全体に影響を与える。逆に考えるとスレ・フォーチュンが当時のラノベの中核であり、また最初の純ライトノベルと言える

キャラ小説化の進行、文体もさらに軽くなる

スレイヤーズフォロアーがジャンル化。一番成功したのがオーフェン。その他ゴクドーとかはみだしバスターズとか捨てプリとかリアルバウトハイスクールとか?内容つーかスタイルと売られ方に特徴がある気が

 ・オーフェン古橋秀之以降の電撃硬派の前触れのような気も

五代ゆうの活躍の余地がなくなる

 ・こばめぐは必殺お捜し人、水野良リウイで対応

ライトな大河モノがはやる。どっちかつーと女の子向け

・ど真ん中にいるのがデル戦、それに冴木忍とか前田珠子とか十二国記とか風の大陸とか

あかほりさとる大活躍。非常にオタ向け。まだラノベの中核とは言えない

・この時点ではまだ“ライトジャンル小説”も生き残ってる。全体としてラノベと言うよりヤングアダルト

滝川羊沈黙

90年代後半

・なんか世相が暗い。あとエヴァ

富士見の勢いはいまだ衰えず

コバルトも相変わらず安定

・電撃に古橋秀之登場。影響を受けた電撃の作家が俺設定バリバリになる。異能力モノがはやるきっかけにも?

・結局古橋自身は流行らなかったけどな。古橋秀之成田良悟ラインを電撃硬派と呼びたい(オレが

ブギーポップ登場。流行

ブギ以降ラノベ文学度合いが上昇、語れるラノベが増える

 ・学園モノが流行るきっかけに

キノ登場。流行る。

あかほりラインをまぶらほ阿智太郎継承女の子いっぱいコメディの地位が徐々に上昇し始める。

大長編より一巻完結or短編だろ、と言う空気が流れる

00年―03年

ラノベと言う名称が成立

ラノベ暗黒期

 ・富士見フルメタあたりを除いて失速、電撃はまだ十分な力を持っていない

 ・ブギあかほりみたいな作品が多い。それかあかほりみたいな作品。あるいはキノっぽいの。

 ・“ライトジャンル小説”なラノベが消滅

  ・ただ、ここで一度途切れたことで、逆に00年代後半に入って新鮮に受け止められるように

 ・スーパーファンタジー文庫とかプランニングハウスファンタジーの森とか富士見ミニ文庫とか角川のおっきい奴とかが撃沈。徳間の中途半端な大きさの奴もほとんど出なくなる

 ・富士見ミステリー文庫。この段階ではまだいまいちウケない

 ・この時期ラノベってジャンルがどんどん自閉的になっていった気がすんだけど。どうよ?

ファウスト系のひとが登場、注目を集める

・当時のラノベの中心であるところの上遠野が、ノベルスで小説を出す。電撃からの越境の発端?

ラノベ評論家の人が増える。売上げは下がっても存在感はUP

ハリポタ旋風

04年以降

・電撃最強伝説

シャナ流行る。現代学園異能

・あとなんかロリ流行

ハルヒ流行る。スニーカー微妙

 ・メタっぽい視点のラノベが増える

富士見ガタガタ。原点回帰を目指す。

マリみてに注目が集まり、百合が急増

新規参入が増える。マイナーよりのレーベルも奮闘

・おかげでベテランに活躍の余地が。新装版とか数年ぶりの新刊とかも出る

・各レーベルメディアミックスに、より積極的になる

・以前からコバルトからの越境者はちょろちょろいたけど、今度は角川グループからの一般文芸への越境者が続出

リアルフィクションて何?

ミステリーランド講談社BOXの2つの箱

・電撃の絵のついてないラノベがちょっと話題に

フォア文庫とか青い鳥文庫とかの表紙のラノベ度がいつの間にかずいぶん上がってる。そりゃまあ昔からマンガ絵な表紙は多かったけどさ。ラノベがオタ・中二病中高生に走りすぎて失った、ライトかつまっとうな物語が多い。

森絵都とかあさのあつことか佐藤多佳子が注目を集める

狼と香辛料登場。識者のひとから注目を集める

今後の展望

・ここのところラノベと言うジャンル全体が大きく、力強くなってってる印象

ラノベ文庫と言う枠組を今度こそ壊すことができるか?

ラノベ児童文学になれるかな?

・『ミミズクと夜の王』ってどんな話だ?

支倉凍砂の次回作は?(気が早い

・古橋は冬の巨人人狼日記を今度こそちゃんと出せるか?

・出せよ!買うから!あと龍盤七朝とタツモリの続きも!

成田良悟とか須賀しのぶもなんかこう、もうちょっと面白いことやれそうじゃね?

大西科学が正しいのは分かるけど売れるかって言うと微妙な気が。この辺の路線を意識した上で、またひとつ違うものを作れる人が出ないものか。大楽絢太とかは?

・電撃に森見登美彦引っ張ってこいよ。ハードカバーで。ええ?ムリ?じゃあしょうがないな……

・その他越境者の先生方、ええとあれだ、頑張れ!

(追記)あ、ケータイ小説のこと忘れてた。『りはめより恐ろしい』とかね。このへんも要注目であります。

2007-01-16

はてなブックマーク イン・ザ・リアルワールド

現実世界で、

文庫本を読んでるとき、

作品に関してのコメントを確認するかのように、右上を見る。

2007-01-10

昼、女子高校生スタバコーヒー飲みながら文庫本読んでた。かわいい! このかわいいはきっと彼女シチュエーション属性萌えということですか。わかりませんが。学校サボってスターバックス文学少女してんのんか。しかもかわいい。と思ったのだけど、スターバックスは違うな。洒落すぎて逆に若干ひく。洒落すぎてというかそれっぽすぎて。それっぽいてなんだ、つうか、そんなんは結局文学少女からしたら余計なお世話なのであって、うぜえ、と思って女子高生は直ちに、気持ち悪いなどと俺を罵倒すべき。ていうか、彼女はもしかして中二病態度によってスタバ文庫本読んでんの、とも思えてくる。コーヒー飲みながらゆっくり本読むのは幸福。しかしあなたのそれは素なのか。なんかかっこいいからやってるのか。ていうか知らない人を自分のハアハアっていう萌えのために疑って悪い気分だ。でも、本当に心から「幸福だー」と思って読んでんだったらすげーかわいい。かわいい人が幸福そうなのはなんか嬉しいのでずるい。

2007-01-03

DJ OZMAと僕

 僕はテレビを見ない人間だ。ブラウン管テレビはホコリ置き場になっていた。邪魔なので捨てたら、一人きりの年越しはとっても寂しかった。TV人間もいない年越しは寂しい、というか虚しい。孤独で死にそうだった僕は、ラジオ紅白を聴いていた。

 ラジオで聴く紅白は、ラジオで聴くワールドカップサッカーと同じくらいわけがわからなかった。何が起こってるのかさっぱりわからない。野球競馬ならわかるけど。それで、『犬神家の一族』を文庫本で読みながら聴いていたら、DJ OZMAという名前がコールされた。

 このDJ OZMA、僕が先日「何その人? 芸人?」と知人に言ったら散々馬鹿にされた(m9(^Д^)プギャー)、少々恨みがましい存在だった。初めて

耳にした時は、DJ あづま(納豆メーカー)の聞き間違いだと思ったくらいだ。その知人は、DJ OZMAを知らない僕を馬鹿にはしたけれど、結局DJ OZMAの何たるかは教えてくれなかった。二重の意味で気になってしまい、僕は佐清の手型の鑑定結果が出たところで本を置き、ラジオに耳を傾けた。

 きっとほとんどの人がそうだろうと思うけど、あれを曲だけ聴いたって何が何だかわかるわけがない。まして僕だ。ラジオアナウンサーが「OZMAさん、服を脱ぎ始めました」とか解説してたけど、僕はどうでもよくなって、また『犬神家の一族』を読み始めた。僕の耳は騒音をスルーしていた。サブちゃんが出ていたことより、犬神家の秘密の方が興味をそそられた。

 その後、アンジェラ・アキをスルーしてさだまさしに感涙する僕は、年のわりに耳が古いのかもしれない。今井美樹もよかった。その次の徳永英明の『壊れかけのRadio』の素晴らしさといったら! 今思い出しても、つい「レディオ」につられてRedioとミスタイプしてしまうくらい感動した。でも(壊れかける気配の無い)ラジオで聴いていた時は、感動の余韻もくそも無かった。曲が終わったすぐ後に、NHKアナウンサーの謝罪コメントが入ったからだ。

 コメントが読まれる際、会場からは二度も笑いが起こった。だから僕は、ちょっと下品な演出があって、PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応してヒステリッククレーム押し付けてきたのかなと思った。まあ紅白だし、ちょっとやんちゃが過ぎたのかと。それ以上にどうでもよかった。だって紅白だし。聴いといてアレだけど、興味無いし。

 それからしばらくして、DJ OZMAパフォーマンスが問題になっているってネットはてブ)で知った時は、正月からはてブをやっている虚しさを吹っ飛ばすくらい、驚いたものだった。腐っても鯛視聴率低迷が言われている紅白と言えど、まだまだ世間への影響力は侮れないものだと思った。その批判内容(はてブコメント)を見たら、僕がイメージしていた「PTAのオバサンみたいな神経質な視聴者様方が過剰反応したヒステリッククレーム」まんまで、さっきよりも驚いた。ネット上には良識派を気取って重箱の隅を突っつき回したがるナルシズムエゴイズム溢れる人々が意外に多いのは知っていたけど、それにしてもなあと思った。そこで、僕自身がまだかの映像を見ていないことに気がついた。だめじゃん。

 で、Youtubeを見た。読みかけの『犬神家の一族』は、湖面から逆さまに人の足が突き出ている、かの有名なシーンにさしかかっていた。

 まず感じたのは、戸惑いだった。僕はものすごく戸惑った。どう反応したらいいのかわからなかった。ああいう騒々しいモノに対して、僕はパターン化された理解を持たなかった。テレビを見ていないと最近の娯楽についていけないのか、テレビ買おうかなとすら思った。その戸惑いをよくよく分析してみると、僕は不快だった。美しくない眉を顰めていた。そう、悲しいことに、僕自身もクレーマーと同類だった。僕はDJ OZMAを見ていて、どうしようもなく不快だったのだ。画質の悪さでおっぱいが本物らしく見えるくせに、その実本物でないのも腹立たしかった。

 しかし僕は、クレーマーたちと自分を差別化しなければならない。そうでなければ、頭がおかしくなりそうだ。いや、もうおかしいのかもしれない。

 もう一度、DJ OZMAパフォーマンスを眺める。そして、何故彼がこのような馬鹿げた、下品なパフォーマンスをするのか、しばし考えてみた。

 そうだ、アホの坂田がアホでも何でもないように、DJ OZMAもきっと、真実馬鹿げた人間ではないのだ。彼はきっと、僕よりもずっと高いところに立って、釣られクマーな僕をあざ笑っているに違いない。

 その時僕は、どうしようもない屈辱感に襲われた。DJ OZMA、彼に何らかの反応を示した時点で、僕は彼に負けたのだ。彼はきっと僕の、このような反応を全て了解済みだったのだ。「下品だ」「紅白にふさわしくない」という反応も彼の想定内であれば、「DJ OZMAはお前らの反応も織り込み済みなんだよ」「ナンセンスだ」というメタぶった反応すらも想定の範囲内に収めていたのだ! 僕がどう考えようとどう反応しようと、僕はただDJ OZMAの掌の上で踊る哀れな猿にすぎないのだ。一連の事実が彼を中心に回っている以上、どうメタ分析を試みようが上から物言おうとしようが、僕は、いや僕らは、彼を超えることなどできないのだ。騒ぎの渦を一つの世界と看做すならば、彼は神だ。唯一絶対の神だ。愚かな人間どもを哂う神だ。いっそどんな形でもいい、彼に心囚われてしまったことが(または正月からこんなことで騒いでいることが)すなわち、僕らの負けであり、彼の哂いなのだ。

 僕の心は虚脱感に包まれた。もう、全てがどうでもいいのだ。僕の正月は暇だった。このテキストの記号的意味でなく、存在意味が、悲しい事実を何よりも雄弁に物語っているではないか。傍若無人。かたはらにひとなきがごとし。如しじゃなくて本当に誰もいない正月を、僕はDJ OZMAに哂われて終えることにしよう。テレビはやっぱり買わない。

 追伸:『犬神家の一族』、読み終えました。映画よりも、やはり原作の方が描写が濃密で面白いです。

2006-11-16

[]

通勤電車ですこぶる姿勢が悪くふんぞり反って足を投げ出して文庫本を読む学ラン姿の少年一人。

そんな彼が読んでいるのは、

富士見ドラゴン文庫

でしたとさ。

(訂正)

富士見ファンタジア文庫だね。

雑誌名や旧文庫とごっちゃになってた。

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