はてなキーワード: カッターとは
喜ぶのはまだ早いかと。
解散の日まだ先で、来週中に成立させる可能性も残ってるし。
それに、民主も基本的に単純所持規制に近づける改正は賛成なんだし。
ただ、別件逮捕とか捜査権の濫用ってのは、ちょっと無理筋のような。
つまり、政府に批判的な人物、例えば「裁判員制度に反対な人物」を
疎ましく思っている捜査機関が、
逮捕するには、令状が必要なんだけど。
となると、別件で捜索令状が出てるってことになる。
なら、令状が出てる方を頑張るでしょ。捜査機関としては。
それに、そのブログと児童ポルノは直接結びつかないんだから、所持の故意は認め難いでしょ。
ぼくは今日東京都世田谷区自由が丘にお邪魔してこの前みたいにまたカゼッタ岡とお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとカゼッタ岡も、それを聞いてくれた。またカゼッタ岡も話してくれた。カゼッタ岡も、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくはカゼッタ岡から聞いた話を銀河連合に報告していいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはカゼッタ岡との2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてなの東京本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンとアブダクションしてやった。
客観的に見て、ぼくはガツンと言ってやったと思う。地球の方々を前に、地球が抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日はてなに対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「言葉の怖さ」についてだ。
言葉は本当に怖い。言葉とは11次元の虚数パウワーすなわち、「波動」なのだ。しかし地球人はそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方は波動の怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと自覚して、それに向き合い、地球を安全な場所にする責任があなた方にはある」と申し上げた。
「それが、文明人としてはもちろんのこと、それ以前に宇宙市民として、あるいは一人間として、そのことをもっと知って、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。
波動は怖い。本当に怖い。波紋というものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、あるいはやられた花京院典明にさえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もし波動に習熟した使い手が、それを、誰かの環境を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するのだ。
しかしもちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる。大きく損なわれる。ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、11次元の虚数パウワーの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、11次元の虚数パウワーの怖さというものをよく知っていて、それを悪用することの弊害もまたよく知っているからだ。
しかし時折、何かの拍子に波動の怖さを知らないままそうした力を手にする者もいる。それは、ナイフの使い方を知らない人間が何かの拍子にナイフを拾うようなものだ。彼らはナイフの使い方を知らず、それゆえナイフの本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、時間をとめたまま人に投げて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。
それが11次元の虚数パウワーというものの怖さである。そしてインターネットは、そうした11次元の虚数パウワーが先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは核エネルギーほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。
しかし現状、今の地球にはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険なフォトンベルトを形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人類が滅亡するだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。
これまで、はてなはそれを知らなかった。だから、無邪気にやっていたという部分があるかも知れない。しかし今日、はてはそれを知ってしまった。ぼくがそれを申し上げたことによって、それを聞いてしまったのだ。だからもう、何か起こった後では、それを知らなかったではすまされない。警告は発せられたのだ。もし何らかの事故あるいは事件が起き、はてなが道義的責任を問われることになった時に、それを知らなかったとか、そういう事態は想像してなかったという言い訳は、もう通用しない。なぜなら今日、はてなはそれを知ってしまったからだ。そしてはてなは、時の流れの不可逆性によって、それをもう知らなかった状態には戻せないのである。はてなはこの先、二度とそれを知らなかったとは言えなくなったのだ。ぼくが今日、それをガツンと一言申し上げたことによって。
。
ぼくのこの警告は、しかし何も今日ぼくが初めて発したわけではない。これまでにも、形はこれほど明確ではないにせよ、幾つかのところで、イエスや仏陀などの人々が発してきた。だから、これは何もぼくの専売特許というわけではないのだが、しかしとにもかくにも今日ぼくは、そうした事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、はてな東京支社の皆さんにお伝えした。端的な言い方をすれば、ガツンと言ってやったのだ。
はてなを訪問したことに関して、ぼくが言えるのはここまでである。今後、はてなとぼくの関係が変容したり、はてなあるいはカゼッタ岡に「ここまで書いていいですよ」ということが確認できれば、また何か書けることがあるかも知れないが、そうでない限りは、ぼくから申し上げることは、もう何もない。
ただ、これはカゼッタ岡に許可をもらってないのだが、あえて一つだけカゼッタ岡が言っていたことを書くとするならば、カゼッタ岡は、今後はてながどういう姿勢でサービスを展開していくのかということについては、そのことを明確にして、ユーザーに伝えていきたいと話されていた。それは積極的に、また分かりやすく発していきたいということは、今日話されていたし、ぼくに伝えてくれた。
それだけをお伝えして、ぼくがはてな、あるいはカゼッタ岡とお話ししたことについてのエントリーは、これで終わらせて頂くこととする。ご精読、ありがとうございました。
ぼくは今日マイエルバッハ・ドイツ本店にお邪魔してこの前みたいにまたハインツさんとお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとハインツさんも、それを聞いてくれた。またハインツさんも話してくれた。ハインツさんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくはハインツさんから聞いた話を記事に書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはハインツさんとの2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後マイエルバッハのドイツ本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガンツと言ってやった。
客観的に見て、ぼくはガンツと言ってやったと思う。マイエルバッハにお勤めの方々を前に、マイエルバッハが抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガンツと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガンツと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日マイエルバッハに対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「ギョーンの怖さ」についてだ。
ギョーンは本当に怖い。しかしガンツはそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方はギョーンの怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと発射して、それに向き合い、しばらく待って爆発する責任があなた方にはある」と申し上げギョーンギョーン。
「それが、ガンツの中の人としてはもちろんのこと、それ以前に一人間として、あるいは一星人として、そのことをもっと知って、もっと撃って、もっと爆発するべきだ」と申し上げた。
ギョーンは怖い。本当に怖い。ギョーンギョーンというものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをぶっ殺そうと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、法律に触れないのはもちろんのこと、誰にも気付かれないうちに、あるいはやられた本人さえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もしギョーンに習熟した使い手が、それを、誰かの精神を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するギョーン。
しかしもちギョン、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる(鬼星人とかに)。大きく損なわれる(腕とかを)。ニーチェの「ぬらりひょんをのぞく時、ぬらりひょんもまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、ギョーンの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、星人の怖さというものをよく知っていて、それをレイプすることの弊害もまたよく知っているからだ(大阪の人間以外)。
しかし時折、何かの拍子にギョーンの怖さを知らないままそうしたスーツを手にする者もいる。それは、スーツの使い方を知らない人間が何かの拍子になんか伸びる刀を拾うようなものだ。彼らはなんか伸びる刀の使い方を知らず、それゆえなんか伸びる刀の本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、人に向けて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。うッそッッ!
それがたッえッちゃんッッ!というものの怖さである。そしてガンツの転送は、そうした言葉が星人的に、あるいは星人的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が
ルールとか習慣に対するこだわりが半端ない。
中でも自分が正しいと思ってる事は彼らにとって絶対で、
それを破る人を見ると極論(この場合だと死刑)で騒いだりするし、
あと、物の裏を読めない。
何でもストレートに受け止める。
ここからは俺の思い出話なんだが、
高校時代にも頭はいいんだが自閉の子がいてなぁ。
ほっときゃあいいのに苛めたくなるのか他のクラスからちょっかいを掛けに来る奴らがいたわけさ。
そしたらそいつ、最初はダッシュで保健室とか職員室に逃走してたんだが、
ちょっかい掛けに来る奴らがエスカレートしていくと、カッターナイフ持ち出して振り回したりして対抗しだした。
丁度テレビとかでナイフ云々が取りざたされてた時期で、どうやらそれに影響受けたらしい。
文化祭でサボってる奴にノコギリ向けたり、まぁいろいろ大変だったよ。
だから言っておくが、変な目で見たり、変に手をだしたりしないように。
普通の人として扱う限りにおいて彼らは害を加えない。
ちょっと変わった傾向がある程度の普通の人として接することがコツだ。
人生、うまくいかないです。
仕事のこととか、人間関係とか、とにかく疲れるし、友達にも心配かけたくない。
何日もネットの日記に、結構ネガティブな事を書いたんだけれど、そういう自分に落ち込んでいっているのが分かりました。
反応とか欲しくなかったし、かといって、書かないと言葉であふれちゃうので、書いては消し、書いては消して、でも、既に意味不明になった、言葉を切り刻んだ何かを日記にあげておけば、こいつはまた不思議ちゃんポストだなー、位で済むかなって。冗談みたいな形にこねくり回したら、誰も傷つかないですし、発覚もしないです。
でも、やっぱり、自分が惨めでした。だって、元の形を知ってるんですからね。
もうどうしようもなくなったので、メンヘラの方々に習って、手首を切ってみる事にしました。
彼氏が元メンヘラで、手首に傷がいっぱいある人なので、こんなのをリストカットだよーなんて言ったら、多分凄く笑われると思います。彼氏のが「リストカット」なら、私は「リ」です。うーん、ひょっとしたら、「ノ」かもしれません。
内側のやわこい所は、ちょっぴり浮いた血管が気持ち悪くて(血管ってなんだか硬いのにぐにょぐにょしてて気持ち悪いです!)あんまりカッターでいじりたくなかったので、「金属の棚でやっちゃったんですよーえへへー」「のらねこちゃんにおいたされたんですあはー」で済むような、手の甲の中途半端な所に、デザインナイフを突き立ててカリコリ引っかきました。
赤とピンクの中間みたいな中途半端な引っかき傷が出来て、なんだか怪我って言っても差し支えないレベルで、リストカッターとしては駄目、失格だけど、私としては、人から「ああー怪我したの?」って言われる程度で済むかなって思って、まぁ、自己満足です。
最近怪我とかしてなかったから、傷で赤くなるのは傷口だけじゃないんだなぁって思いました。人体は面白いですね。
今度は、もうちょっと見えない位置でやってみようと思います。太ももとかおなかとか。血管が見えるところは、血管が気持ち悪いから嫌です。
今日は、ドラッグストアで、いろんな種類の入った絆創膏を買ってきました。
お給料が少ないので、大事に使いたいと思います。
生きがいの少ない人生です。
希望の見えない選択的盲です。
愚かかもしれません、愚かなのでしょう。
こうして生きていくことすら許されないならば、もう、なんというか、死ぬしかないです。
いらないA4の紙で、1枚ずつパリパリっとはがせるA5のメモパッドを作る方法です。
使うモノ
・ダブルクリップ2個(1.5センチほどの厚さの紙を挟めるもの)
・ヤマトのり
・ティッシュ1枚
・カッターナイフ
1.A4の紙をカッターで半分に(A5になる)切りつづける
2.切った紙が1.5センチほどの厚さになるまで溜まったら、重ねてクリップで止める。クリップはギリギリ上につける
3.その1.5センチほどの厚みの部分にティッシュ1枚を乗せ、その上からヤマトのりをべたべたつける。ティッシュがヒタヒタになるぐらいつける。ティッシュは1枚(2枚重ねではなく)がいいと思う
4.1日ほど置き、のりが乾いたら出来上がり
使い勝手がいいので、A4のコピー用紙(500枚入)をわざわざ買ってきて作ってます。
師走に入ってはや一週間が過ぎ、いよいよクリスマスも近づいて参りましたが、非モテのみなさん怨嗟の声をあげる準備はお済みでしょうか?
インターネットの世界では、「聖なる夜が性なる夜になっている」だとか「無宗教主義の日本人が異文化にかこつけてセックスセックス」だとか、毎年繰り返されるお決まりの文句が飛び交っておりますが、私はまったくの無関心でありました、つい今し方ボニーピンク姉さんの新譜を聴くまでは。
ボニーピンク姉さん(以下「ボ姉」)の新曲「CHAIN」は、クリスマスソングであります。メリークリスマスと何度も歌ってらっしゃいますので、これに至っては間違いない。「キャンドル」や「星空」だなんて小洒落たワードもちらほら聞こえて参ります。ボ姉といえば、私個人の思いこみかもしりませんが、割と硬派なイメージがありまして。商業主義的ミュージックにチキチキとカッターナイフを突きつけ、自分の思うままの歌をお歌いになってきたように私は感じております。何者にも依らない孤高のシャクレミュージシャンだと。申し添えておきますが、かくいう私もボ姉のファンであります。髪の毛がオレンジだったりピンクだったり紫だったりした頃から存じ上げております。
そんなボ姉の新曲がクリスマスソング「CHAIN」であるのはまだいいのですが、そのサビで「愛してると 愛してると 繰り返した」なんて甘い詞を紡いでらっしゃる。ラブ・クリスマスソングというワケです。冒頭に戻りますが、私はクリスマスが商業主義のテレビや雑誌によって「恋人たちの夜」と定義されていても、いささかも気にはなりませんでした。クリスマスそのものに対して無関心でした。しかし、これここに来て孤高のシャクレミュージシャンであるボ姉までもが、クリスマス商業利用キャンペーンにのっかっていらっしゃる。「すわ一大事」とばかりに私の産毛は逆立ったのです。
孤高のシャクレをなびかせるほどに、クリスマス商業主義は絶対の力を持ち始めている。そう感じた私は、私自身もまた無関係でいるわけにはいくまいという思いを強くしました。さてそうなると問題なのが立ち位置です。私は果たして怨嗟の声をあげる側なのか、あるいは無関係を保っていられる側なのか。己を知るにはまず敵を知らん、というわけでさっそくWikipedia先生にクリスマスイブについてお伺いを立ててみることにいたしました。
多くの国々では、クリスマスは家族で過ごす日とされている。多くの家庭では、居間にモミの木などを用いたクリスマスツリー、玄関にはクリスマス・リースを飾る。クリスマス・イヴにはクリスマスケーキ、鶏、鴨、七面鳥などを家族で囲んで食べる。また子供にとってはこの夜、サンタクロースがプレゼントを持って来てくれる嬉しい日となっている[2]。
なるほど、家族で過ごすのが一般的とのこと。あいにく私は独り住まいですから、この一般には当てはまりません。
日本の2004年の統計調査では「家庭と過ごす」という回答が約7割と最も多く、「恋人と過ごす」「友人と過ごす」等の回答はそれぞれ1割に満たなかった(NIKKEI BP NET)。
なるほど、なるほど、何はともあれ誰かと過ごすのがクリスマスというもの。とすれば独りで過ごす私は怨嗟をあげる側なのでしょうか。クリスマスイブ最大の被害者の一員となってしまうのかしらん。背筋に冷たいものを感じながら読み進めると、こんな記述が。
・・・(略)
「モシモシ、失礼なんですけれど、貴女がたはお二人だけなんですか」
「マァ、失礼な方!」
「僕たちも二人っきりで、サッキからカスンでるんでス、一緒に御飯をたべさせてくれませんかァ」
「マア図々しいワネ」
「アラ、いいわよ。そのかはり君たちお払いするのヨ」
「O・K!」
一九三一年を送らうとしているお嬢様たちは、この位チャッカリしていらっしゃるのです。
かうして楽しいクリスマスの犠牲になって、くやしがりながらシメられる七面鳥の数は、東京全市で千二三百羽にのぼるのです。
・・・(略)
なるほど!
私は歓喜の声をあげ、膝を叩きました。なんのことはない、クリスマスに苦しめられる人などいなかったのです。いるとすれば、それは七面鳥。クリスマスなどなければ、ここ日本で七面鳥を食す人など滅多にいないでしょう。生きながらえたはずの命が、妙な商業主義によって奪われている。なんとも痛ましいことであります。
それに比べれば私など何の損得もございません。あらおかしい。クリスマスに苦しむ方などいなかったのですから。シャクレが何を言おうと私は向かうところ敵なしでございます。クリスマスに苦しみマスなーんて、気にするこたあないのですよ。故あって今年は一緒に過ごしませんが、佳い人ならちゃんといますしね。
ここ1年、2、3ヶ月に1回あるかないかの頻度で、私は物に当たる。
苛立ちがピークに達し、それが長時間に渡ると、耐え切れずに物に当たり散らしてしまう。
5年以上前が一番酷かった。
そして最近、あの頃に匹敵するくらい荒れている。
何なのか分からず混乱したまま、握っていた掃除機のヘッドを床に打ちつけた。
ヘッドのプラスチックがぱきんと壊れて、パーツが床にいくつか転がって、そこでやっと手が止まった。
その場でうずくまって泣いた。
後から確認すると、床は数ヶ所減り込んで、ささくれだっていた。
壁はカッターで刻んだ。5年以上前にも傷つけた所を、また刻みつけた。
範囲が少し広がって、傷も深くなった。
勢いに任せて壁紙もむしった。
人は呼べない部屋だ。
へーそうなんだと思って、目の前にあったメモ四つ折りにして、フィーリング任せにじょきんじょきんじょきんとはさみ入れて、ぺらぺら三角四兄弟作ってしばらく戯れてた。どうしても四面体にならなくて悩んでたんだけど、よく見たら一箇所鈍角だったばか。馬鹿にも程があるばか。四兄弟作り直したらちゃんと四面体になった。
証明ってどういうことやるのか、もうさっぱりすっぽり忘れちゃったけど、このセロテープで止めた合体兄弟にカッター入れて展開図にして、「ほらこの辺とこの辺長さおんなじでしょ、で、そうするとこことここおんなじで、余ったとこがうまいことこうなるから、ほーら四面体!」とかやることは可能だと思った。誰にもやらないしやれないけど。
見知らぬ男にそういうことをされた。
ちょっと小太りの20代ぐらいの男で、私も大声出すとか逃げ出すとかすればよかったんだけど
怖いし何が何だかわかんないし、頭真っ白だよね。だってセックスの仕組みも知らなかったもん。
でもとにかく誰にも知られちゃだめだって思ってずっと黙ってた。親にも警察にも言わなかった。
身体中に悪い毒がまわって自分はもう綺麗な身体じゃないんだって思って、気持悪くて吐きながらすごい泣いた。
でもね、思うの。ちゃんと誰かに言って助けてもらえばよかったって。
あんな理不尽なことが9歳の女の子に起こってはいけないと思う。
そのあと数年間、PTSDが続いて、話そうとすると喉元がつかえるし、
誰も信じられなくなって、「親が自分を殺そうとしてる」とか「男の人はみんなああいうことをする」とか思うし、
もし犯人にばったり会ったら殺してやろうと思ってカッターナイフを持ち歩いてたし、
ボロボロだった。
トラウマだね。
やっと出来た、と思ったら次はセックス中毒みたいになってしまい、
それでそれを必死の思いで乗り越えてここまで来た。
私がどれだけ必死だったかは、同じ思いをした人じゃないと分からないと思う、ぐらい必死だった。
この春結婚した。
やっと普通の人になれたと思う。
普通の人になれて本当にうれしい。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080827_osaka_gas_service/
発見の直前に「大阪ガスサービスショップ」が「ガス設備点検巡回」に来て、この給湯器を触っているわけですが
点検日から発見までは少なくとも2ヶ月が経過している。
GIGAZINEがコンセント破損に気付いて、大阪ガスの責任者に来てもらったのが8月9日。
ソースは大阪ガスからのFAXで「さて、8月9日に訪問させていただいた際に、」と書いてあること。
http://gigazine.jp/img/2008/08/27/osaka_gas_service/007.png
大阪ガスサービスショップが実家に点検にきたのは4月16日から5月30日の間。
ソースはガス点検巡回のお知らせ。
http://gigazine.jp/img/2008/08/27/osaka_gas_service/001.jpg
GIGAZINEがコンセント破損に気付いたのが、大阪ガスの責任者に来てもらう一週間ちょい前の8月1日で、点検が予定日のうち最も遅い5月30日だとしても、点検日からは少なくとも2ヶ月は経過している。
ガス点検から破損発見までに、1ヶ月以上の期間が経過していることは、別の記述からも確かめられる。
点検をした大阪ガスサービスショップの人は、「先月末に退社」又は「先々月」で退社している。
GIGAZINEは、「先月末に退社」と「先々月」とで、退社時期が不明瞭であることを指摘しているが、「先々月」に退社しているのであれば、発見直前にGIGAZINEの実家にガス点検すること自体が不可能だ。
GIGAZINEが、この矛盾に気付かず、「先月末に退社」か「先々月」かが不明瞭であることしか指摘できないことが、ガス点検から破損発見までに、1ヶ月以上の期間が経過していることの裏付けとなる。
「明らかに何者かが故意にカッターで切った」形跡
http://gigazine.jp/img/2008/08/27/osaka_gas_service/P1000828.JPG
この画像では、切り口に風雨による汚れが入っているように見えるが、いずれにせよカッターの鮮明な切り口ではない。
認めていません。
大阪ガスは、「これは自然にちぎれたものではない」としか言ってません。
さらによく見ると、パイプの外装もこのようにして切断してあります。
確かに水道管の断熱材に切れ込みが入っているように見えるが、この断熱材は、そもそもパイプに嵌め込むために、長手方向の一端から他端に渡って切れ込みが元々入っているもの。
http://gigazine.jp/img/2008/08/27/osaka_gas_service/P1000830.JPG
切れ込みの延長上に沿って上の部分にも、ガムテープで目張りがしてある。
もともとガムテープで押さえてあった切れ込みが、経年変化による劣化でめくれたように見える。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080827_osaka_gas_service/
上記写真は実家の2階台所にあるガス給湯器のコンセントなのですが、既にちぎれかかっています。しかもさらに調べてみると「明らかに何者かが故意にカッターで切った」形跡だったことがわかりました。これは外壁塗装の業者が塗装前に発見したもので、「このまま放置していると漏電して危険、火事になりかねない」ということで教えてくれたもの。そして、この発見の直前に「大阪ガスサービスショップ」が「ガス設備点検巡回」に来て、この給湯器を触っているわけですが……。
そいつらが作業中に不用意に傷を付けてしぶしぶ報告したのだとしたらどうだろうね?
いや、そんな突拍子のない事をと言うかもしれないがGIGAZINEのやっている事はそういうことだ。
根拠のない疑いをすればいくらでもできるんだよ。
根拠のない疑いを元に大阪ガスや点検会社の対応を責めているが、それは今回の元となったケーブル断線とやらには関係のない話である。
正直関係もないのに印象操作で大阪ガスのイメージダウンを狙った文章としか思えないけどね。
結論は明確である。1.警察に相談しろ、2.業者が入る時は立ち会え。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080827_osaka_gas_service/
拝啓 ギガジン様
平素はガス業界へ格別のお引き立てを賜り誠にありがとうございます。
大変ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。
またお申し出の際に対応させていただいたの業界の者の態度に、ご無礼のありました段、重ねて謹んでお詫び申し上げます。
さて、今回話題になっております記事の件です。
日ごろ、ギガジンを愛読させていただいている読者の一人として
またガス業界に携わる一人として看過できない部分が多々ございましたので、一筆啓上させていただきたいと思います。
まず、「メンテマンが売り上げを稼ぐためにわざとコードを損傷させたのでは?」と強くお考えのようですが、「そんなことは絶対に無い」と断言できます。
ガス業界の人間が、コードの損傷のような火事につながる瑕疵を見逃すことはありません。
なぜなら、「火事が起こった時点でその家はオール電化になるから」です。(特にLPガスエリア)
売り上げを稼ぐことができるのも、その家がガスである場合に限られます。
「機械の故障で売り上げが上げる」という企みのために、その家が電化になっては元も子もないです。実際、火事がある度に「オール電化なら安全安心」だという宣伝文句の下、電化されるお客様は少なくないです。火事の原因で一番多いのはたばこで、ガスは関係ないにもかかわらずです。
さらに、「メンテマン以外にさわったものがいない」との事ですが、私にはそれも疑問です。ギガジン様(記者のお名前がわからないので仮にこう記述させていただきます)は「カッターのようなもので切ったに違いない」とおっしゃってますが、掲示されております写真を見ますと、あまり綺麗な切り口ではありません。メンテマンが持つ道具は工具ですので、コードなどは綺麗に切れる道具しかもっておりません。ニッパーなどでこじる様にすればあのような断面になりますが、先ほどもうしましたように、火事の危険を押してコードを破壊する動機がありません。(大抵コードの破損はコードの交換で済んでしまいます。たいした金額になりません)
ギガジン様を全否定して、まことに失礼ですが、あくまで写真の印象ではあの断面は私の経験ではカラスや猫といった類がコードを噛んだような断面によく似ています。あの断面だけを見て「カッターだ、刃物だ」と何故判断されたのでしょうか。
さて、では何故メンテマンが見逃したのかですが、ここはギガジン様から情報をいただかないと良くわかりません。というのは、掲示されております写真には4月??5月にメンテマンが来るチラシがあります。コードの損傷が発見されたのがいつかわかりませんが、仮に7月に発見されたとしても、随分と間に期間があります。
お客様のご都合で日程が遅れることは良くあることですので、実際は間の期間はもっと短いのかもしれませんが、期間がはっきりしないと他の要因をはっきり排除できないと思います。逆にギガジン様は他の要因を何故排除されたのでしょうか。多分合理的な理由があったのだと思いますが、私にはわかりません。
あと「大阪ガスでは無くサービスショップの人間が大阪ガスのマークをつけて訪問する」ことを問題視されていらっしゃいますが、これに関してはあまり問題ないと思ってます。何万とあるお客様を社員だけで回りきれるはずも無く、定期的に協力会社と連携して訪問するのはいたしかたありません。電気店にメーカーさんの販売会社の方がいらっしゃったり、ネットワーク関係でも提携先のロゴが入った名刺をお持ちの方がいらっしゃると思います。
お客様への訪問の回数も本当を言えば3年に1回の法定点検だけで、良いのですが、松下の暖房機の件、パロマの給湯器の件、などなどガス業界を取り巻く環境やガス業界に向けられる世間の目は近年厳しく、「お客様との接点を増やして、安全を守ろう」というのが最近のガス業界の潮流です。LPボンベの交換の際のお声かけなどもより重視しております。
確かにこういうトラブルがありますと「何か売りつけようとしている」という目で見られるのは致し方ないと思いますが、世の中が求めるサービスの水準が上がる中、ご訪問させていただく回数も増えているとご理解ください。
長々と書いてまいりましたが、確かに集団として中の構成員に質のムラはありますが、私はガス業界に意図して火事を起こす様な人間はいないと思っております。
「それは性善説だ」とか「なかには悪い人間もいる」というご指摘もあるかとは思いますが、悪い人でもそんな馬鹿なことはしません。重ねて申しますが、合理的に見ても火事を起こす様な手を加える理由はないです。その時点でその家はオール電化になりますから。
私といたしましては、「大阪ガスが大阪ガスサービスショップにノルマを課してはいないが、大阪ガスサービスショップは所属する社員などにノルマを課しており、そのノルマを達成するために今回のような「自作自演」「マッチポンプ」をしている可能性は依然として残っている」というご意見と「火事になれば、市場がなくなって、儲けも何もなくなるのだから、火事を回避するように行動するのは当然」という意見の双方をお見比べいただきまして、皆様でお考えいただくのが一番真実に近いと考えております。
最後に一つ、私の愚痴というか嘆息になります。
私が理解ができないのは、B-CASへの取材などで「一問一答」という形であれだけ文脈を重視して、すばらしい取材をされていたギガジン様が、今回の件に関しては、消防署の方のコメントや生活センターの方のコメントを前後の文脈なしに、一言だけ(しかも憶測を呼ぶような形で)掲載するなど、まるでネット言論を煽るような行動をとられている事です。
今回のギガジン様の件は、大阪ガスの対応も事務的でお腹立ちはもっともだと思いますが、事件の日程の推移など肝心なところがいくつもぼやけていて、愛読者の一人として「何か違うのではないか」と思いましたことを申し添えたいと思います。
id:napsucksさま、id:keiloveyasudaさま id:m_shinzakiさま id:hirok52さま id:TERRAZIさま、その他多くの皆様に厚く御礼もうしあげます。
ここまでお読みいただいた方ありがとうございました。
これからもガス業界をよろしくお願いいたします。
昨日一人で買い物に行こうと思ったんだけど、あまりにしんどくてやめた。だって出かけたら何度も帰らないといけないし。何度も帰ってまた迷惑をかけると思ったら無理。出られない。
本を読むスピードが極端に落ちていて、図書館で借りた本、残り二冊の消化が思うようにいってない。まだ半分しか読めてないし。返却のリミットは日曜日。読めない。辛い。お盆休みだから借りてきたので、もう今回返さないと、読む暇がない。
指の皮は剥きすぎて痛くもないし、仕事中にカッターの刃で手の甲を突いて遊ぶのか日課。いいじゃんどうせ突いたって血も出さないんだから。傷跡を残すなんて面倒だから嫌だし。別に誰も困らないでしょ。
会社でしょっちゅう手を洗うから、指先に水が沁みる。自分の手がいつも油っぽくて気持ち悪い。
会社の男の人が気持ち悪い。
どっか行って欲しい。
生理でお腹痛い。どうせ彼氏はまた生理だったら冷たくなるんだろう。死にたい。
どうせ生きてても邪魔なだけ。このルーチンワークにはなんの楽しみもない。仕事してまっすぐ帰って飯風呂寝る。これだけ。とはいってもなかなか眠れなくてこんな時間に日記とか書いてる。馬鹿みたい。
お酒も最近飲めない。飲みたくない。飲んだら嫌な事ばかり思い出すから嫌だ。
会社から帰る時に寄り道とかした事ない。行く所がないから。帰り道には本屋もない。コンビニが一件あるだけ。
消えたいな。とにかく消えたい。なかった事にしたい。
小学生のころ→「あいつ完全に名前負けしてねぇ?wププwwwwww名前に顔が追いついてないwwwwまどか(仮)だって笑えるwwwwwそんな可愛くないしwwwwwww豚子でよくねwwwwww」
中学生のころ→「なんであいついるの?w」「ちょwおい皆ー!キモい豚がいるぞー!w」(弁解するようだが、私は太ってはいないはずである。ブスだが。)
給食当番時、白い帽子に前髪を全部いれていたら(本当はそうしなくてはいけないのだが、他の女子は皆前髪入れるとオシャレじゃないと、それを嫌がり前髪をキレイに出していたのでそうしているのは自分くらいのものだった)「だっせぇwwww」「ありえなくねwww」「ブッサイクがますますブッサイクになるからwwwやめてwwwwほんとwwww」「つーかさーお前なんで生きてんの?」「あー、○○さん!今日もキモいねぇ!^^」<クラスの皆がいる前でやけにハツラツと
その言葉を無視すると「何wこいつwいっちょまえに無視ですかwwwwwww」「ていうか豚だから人間の言葉が聞こえてないんだろw」
「ハイハイ……」と返事すると「ハイハイwwwwだってwwwwwwキモwwww」と何がそんなにおかしいのか、若いものは箸がころげても笑うって本当だなという勢いで笑っていた
そして高校生のころ→初めてまともに話してくれる男子が現れた。同じ委員会に所属している人であった。話すといっても業務上のことしか話していないのだが、唯一「その本図書館で借りたの?」「あ、うん。さっき休み時間に」「へぇー。図書館って俺行ったことないんだよね。人いる?」「そこそこいるよ」という会話をした。生まれて初めてまともに男子と雑談なるものをした瞬間であった。(っていってもこの4語だけだが)
そしてその男子にあるとき呼び出された。昼休みに行ってみるとその男子に告白された。嬉しいとかなんとかいう以前にただただ驚き、また同時に心のどこかで「ていうか、これ嘘じゃね?」と冷静に考えている自分がいた。結果から言うとやはりネタであり、私はからかわれただけであった。すぐに他の男子たちが横から出てきて「よくがんばったお前ww」とその男子を慰め、私には「あごめんね○○さんこれ罰ゲームだったんだわwwww今の嘘だから忘れてやってwwwww」と言った。進学校の高校生だけあって、中学時よりはまだ罵倒ぶりがマシである。一応ごめんねと言われているし、それ以上絡まれることもなかったし、ある程度「嘘じゃね」と覚悟していたのもあり、その日一日ちょいと落ち込む程度で済んだ。あの男子を好きになっていなくてよかったなと思った。
小中高と常に、先生の「じゃあ適当に二人組になってー」とか「遠足・修学旅行のグループ、とりあえず適当に好きなもん同士集まってみろー」というのはとても苦しかった。適当にって。好きなもん同士って先生よ。先生、あんたも私くらいの年齢だったころがあったろうに、何故「好きなもん同士」がいない人間の気まずさが分からんのだ……無いとは思うが万一私が先生になったらば、必ずこう言おう、「グループは先生が番号順で決める」と……と決心したりもした。そして当然あぶれ、男子からは「あいつまた余ってるwはずかしw」と言われたりしていた。
何故こんなにブスに生まれてきたのだろうなあと世界を嘆いてみたり、自殺したらどうなるかと考えたりもしたが、数秒後に必ず「いや痛いのは無理。下痢の痛みが私の耐えられるピークだわ」と自己完結していたため全くリスカなどしたことはなかった。大体「何故ブスに生まれたのか」なんつっても「偶然です」としか言い様がないし、ブスに生まれたというより、私のこの顔の造形を「ブス」「劣ったもの」「醜いもの」と見なす社会・時代にたまたま生まれたといった方が近いのではないか……と妙に冷静に考えていたため、「どうしてブスに生んだの!」と親に当たることもできず、ただただ陰湿に自室で、集合写真の自分の顔部分だけをカッターでギタギタにしてみたり、マジックで塗りつぶしてみたりしただけであった。親に一度その光景を発見されてしまい、カンカンに怒られてしまった。「なんでこんなことするのか」「こんなことしたら将来自分の小さい時の写真がなくて後悔する」と言われたがその時には将来の自分が写真を見て懐かしむことを考える余裕はなかった。「なぜこんなことをするのか」は幾度となく親に聞かれたが、ちょっと待って欲しい、親に面と向かって「自分の顔がブサイクすぎるのが嫌でこうしました」などとどうして言えようか……情けないわ恥ずかしいわ、親は傷つくだろうわ……とても言えやしない。それでもちょっとだけ言ってみたこともあるのだが、その時は「あんたは全然ブスじゃない。可愛いよ!私の子なんだから!」とか恥ずかしげもなくあけすけに言ってくるので、色んな意味で恥ずかしくいたたまれずとてももう言う気にはなれなかった。世間からズレた親馬鹿ぶりを子が受け止めるのは難しい。「お母さんはそう言うけど残念ながら私はどう考えてもブスの範疇っすよ……親としてそう言ってくれるっていう気持ちはありがたく受け取りますけどそんな目輝かせて言われても……純粋な平和主義者みたいな目をして言われても困る……実際問題現実はそうじゃないわけで、申し訳ないが『全然活躍していないのにやけに運動会で張り切ってビデオをまわす親』を30倍にしたような恥ずかしさがあるよ……いたたまれねぇ……」「可愛いよ!」「(ひぃいやめてくれ、もうわかったわかったから)」どうも娘がブサイクについて悩んでいるという事実を彼らは正面から受け止めることを嫌がっていたように今は思う。だからキレイな建前論で押し通したのだろう。
そして大学生になった。流石に低レベルないじめ?のようなものは減った。やはり中高と違いクラス的な概念がほとんどないためなのだろう、一人でいる学生も多い。私が孤独でもあまり人は気にしていないようだった。それでもすれ違いざまに「ブース」などと言われることは週に一度程度あったが、「おぉ…今月は多めだな。これで6度目だ」と思えるくらいには冷静に対処できるようになっていた。別に傷ついていないわけではないのだが。
昼は一人だ。今更昼を一人で食べることに何の寂しさも感じない。大学ではそんな人はいっぱいいるので楽勝も楽勝だ。小学生の時最後まで残しておいた冷凍みかんを男子に勝手に食べられる、スープに牛乳を入れられる、食事中「きめぇwなんか豚が豚食ってるw共食いw」と言ってくる、机を私のだけくっつけさせてくれない(班で食べなきゃいけないのに)、給食セットのセンスを散々バカにされる、等の被害を考えると「たかが10倍の重力など俺には何も感じない…」というベジータのような心境になれた。
大学生になって二度ほど、「こんだけブスなんだからヤらせてくれるだろ」といった感じの男子に声をかけられたが、私がヤらせないということが分かると「何ブスの癖に調子のってんの?w」「お前の下半身って守るほどの価値ないだろきめーな」等という捨て台詞を吐き、彼らは去っていった。確かに客観的に見れば価値は無いだろうが、私からすればあるのである。ほとんど全ての男性が私には価値など見出さないであろうからこそ私くらい価値を見出してやらねば可愛そうではないか。こんなのでも一応毎月血を流しているのである。せっせとありもしない子作りのため私の身体はDNA通りに頑張っちゃっているのである。健気である。脳内で擬人化すると結構萌えられた。
とある知人の女性に、私が「恋愛とか結婚とかもう第二次性徴期が始まる前に自然と諦めてたお」と思っている事を見抜かれ、説教されてしまった。諦めちゃダメ!せっかく女性に生まれてきたんだから恋を楽しまないと。子供だって産みたいでしょ?いい男性を探さないと!と背中を叩かれた。うーん。別に「私の劣悪な遺伝子を残したくない」とかいうわけじゃないが、特に子供産みたくないし、恋愛も、とくにしたくないのだがなぁ。これを言うと「全ての男性がそうではない、そんな事言うな」と言われちゃいそうだが、正直男性に何の希望も抱いていないのである……まともな男性というのが存在するのなら、これは誠に失礼な物言いなのだが……如何せん私が会ってきた男性というのは上のような人たちばかりなために、いくら人から「そうじゃない人もいるよ!ポロリもあるよ!」と言われても、「でもどうせ君達に優しいその男性たちも、私を見ると「ブースw」ってなるんちゃうかねぇ…」としか思えないのだ。知人の女性は「どうしてそんな哀れな思考しかできないの」と言う。まあ確かにそうなんだろうけどね。困ったね。はぁ。
フーッ。
話が全然まとまってないけど吐けてよかった。増田は何でもかけていいね。
追記。
そういえば、小中と先生は全く助けてくれなかったのを思い出した。あれはほぼイジメだったと思うし、数々の罵倒は先生の目の前で、教室で行われていた為、先生は知っていたはずである。男子の声は大きかったし。それでも先生は必死に窓の外を見たり給食を一生懸命食べてるから、わかんないよ的なポーズをとって見知らぬフリをしていた。目が合ったこともあったのだが。
一度「キモいとか色々言われる」ということを小学六年生くらいのとき先生に言ったことがあったのだが、その時に「このくらいの男子はそういうものだ。いちいち傷つくあなたもどうか。あんなものは流せばいいだけ。大体、他の女子はそんなこと言ってこない。あなただけそんなに言われるということは、あなたにも何かそういわれるようなことをしているのではないのか」「…でも、言われるっていっても、ブスとか、キモいとかなんですけど……言われるような事をしてるっていってもいるだけでキモいというなら私はどうすればいいんでしょうか?」「そんなの先生に言われても分からない。そんなことは自分で考えなさい。すぐに人を頼るな」「死ねってことでしょうか?」「どうしてすぐそういうことを言うのか。極端だね。だから、男子にバカにされるんじゃないの?」「……」
というやりとりで終了したため先生というものに基本的に期待を抱いていなかった。私にとって先生というのは、時間になったら黒板の前で指導書か何かの要点を書きそれを生徒に書き写させるという書記マシーン以上の何者でもなかった。全く効率の悪い授業もバカらしかった。教科書に書いてある事をそのまんま読んだり書いたりして何になるのか……とこれは本題からズレてしまうが。
10年前に同人誌出してたよー。
イギリス旅行本(ストーク・オン・トレントとか田舎方面、カナルボート本)とか、
マンガが描けないので、文字だけ。
理由は、まだそれほどメジャーじゃなかった国の素敵なところをもっと知ってほしいから。
大学生だったから時間もあったし、バイトすればなんとか印刷代稼げるから
完全持ち出しで本出してた。大体年で20万くらいは使ってたのかな。
売れた数は全部で100冊行くかどうかだな…。
1回のイベントで大体経費が1…2万くらい、収益は1000円くらいw
でも、人とのふれあいが楽しかったし、他の人のすごい旅行本なんかも買えるので
イベントに行っていた。
印刷はほとんど自主印刷所で(業務用の印刷機を使って自分で動かして安く印刷できるところ)
裁断機やカッター使って、いろんな紙を選んでキレイに仕上げてた。
伊東屋によく通ったなあw
完全にマニュファクチュアなんで、デザインや判型(本屋に並べる本だと丸い本とか作れない)も
好きなように作れて楽しかったな。
まあ、そんな理由です。いまではそこらへんの仕事をしてる。
あ、そうだ。埼玉県の創作同人イベントで「蘭」っていうのがよくやってて
それがすごく雰囲気よくて好きだった。
もし伝わることがあればと思って書いてみるw