ぼくは今日マイエルバッハ・ドイツ本店にお邪魔してこの前みたいにまたハインツさんとお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとハインツさんも、それを聞いてくれた。またハインツさんも話してくれた。ハインツさんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。
それで結局ぼくはハインツさんから聞いた話を記事に書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはハインツさんとの2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後マイエルバッハのドイツ本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガンツと言ってやった。
客観的に見て、ぼくはガンツと言ってやったと思う。マイエルバッハにお勤めの方々を前に、マイエルバッハが抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガンツと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガンツと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日マイエルバッハに対して一言申し上げてきたのだった。
ぼくが何を申し上げたかというと、それは「ギョーンの怖さ」についてだ。
ギョーンは本当に怖い。しかしガンツはそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。
「あなた方はギョーンの怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと発射して、それに向き合い、しばらく待って爆発する責任があなた方にはある」と申し上げギョーンギョーン。
「それが、ガンツの中の人としてはもちろんのこと、それ以前に一人間として、あるいは一星人として、そのことをもっと知って、もっと撃って、もっと爆発するべきだ」と申し上げた。
ギョーンは怖い。本当に怖い。ギョーンギョーンというものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをぶっ殺そうと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、法律に触れないのはもちろんのこと、誰にも気付かれないうちに、あるいはやられた本人さえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もしギョーンに習熟した使い手が、それを、誰かの精神を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するギョーン。
しかしもちギョン、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる(鬼星人とかに)。大きく損なわれる(腕とかを)。ニーチェの「ぬらりひょんをのぞく時、ぬらりひょんもまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、ギョーンの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、星人の怖さというものをよく知っていて、それをレイプすることの弊害もまたよく知っているからだ(大阪の人間以外)。
しかし時折、何かの拍子にギョーンの怖さを知らないままそうしたスーツを手にする者もいる。それは、スーツの使い方を知らない人間が何かの拍子になんか伸びる刀を拾うようなものだ。彼らはなんか伸びる刀の使い方を知らず、それゆえなんか伸びる刀の本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、人に向けて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。うッそッッ!
それがたッえッちゃんッッ!というものの怖さである。そしてガンツの転送は、そうした言葉が星人的に、あるいは星人的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が