はてなキーワード: インターンとは
訳してみた。あらためて、和訳はものすごく時間を要する作業だということがわかった。もうしないと思う。
注意:以下は意訳、適当訳、稚拙訳であり、誤訳を多々含んでいることは確実であり、Joel氏が本当に以下のように述べているとは限りません。
なぜMicrosoft Officeファイルフォーマットはこんなにもややこしいのか (そしてその対処法を幾つか)
Tuesday, February 19, 2008
先週、MicrosoftはOfficeのバイナリフォーマットを公開したが、このフォーマットは殆ど正気でないように見える。Excel 97-2003ファイルフォーマットは349ページのPDFファイルだ。でも待って、それで全部じゃない。このドキュメントには次の面白いコメントが書いてある。
それぞれのExcelワークブックは1つのcompound fileに収められている
つまり、Excel 97-2003ファイルはOLE coumpound documentで、それは結局、1つのファイル内にあるファイルシステムである。これは、理解するのにあと9ページはスペックを読まなくちゃならないぐらいには十分に複雑だ。そしてこれらの「スペック」は、普通我々が考えるようなスペックというよりは、Cデータ構造みたいに見える。これ全体が階層的ファイルシステムなのだ。
もしあなたが週末を、Wordドキュメントをブログにインポートしたり、あなたの個人的な財務データからExcelフォーマットのスプレッドシートを生成するような気の利いたコードを書くのに使おうと思ってこれらのドキュメントを読み始めたなら、このスペックのややこしさと長さがそんな気をあっという間に失せさせるだろう。普通のプログラマはこのOfficeバイナリファイルフォーマットについて次のような結論を下す:
この4つ全てについて、きみは間違っている。ちょっとだけ掘り下げて、これらのファイルフォーマットがどうしてこんなに信じがたいくらいに複雑なのか、なぜMicrosoftの悪いプログラミングを反映しているのではないのか、そしてそれを回避するためにあなたに何ができるか、を明らかにしよう。
理解すべき最初のことは、これらのバイナリファイルフォーマットはちょっと違ったデザインゴールを持って設計されたということだ。たとえばHTMLとは。
これらはすごく古いコンピュータで速く処理できるようにデザインされた。Excel for Windowsの初期のバージョンでは、1MBのRAM、20MHz動作の80386が Excelを快適に走らせることができるための妥当なものだった。このファイルフォーマット内には、ファイルを素早く開いたり閉じたりするための最適化が沢山仕込まれている:
これはライブラリを使うことを想定して設計されている。もしあなたがバイナリをインポートするものを1から書き上げたいと思ったら、Windows Metafile Format (何か図を描く場合) や OLE Counpound Storage みたいなものをサポートしなくてはいけなくなる。もしあなたが Windows上でやるのなら、そうしたことをたいしたことのない作業にするためのライブラリのサポートが存在する... そういったフィーチャーを使うことは(元々)マイクロソフトチームのためのショートカットだった。でもあなたが全部を自分でスクラッチから書くなら、全部の作業を自分自身でやらなくてはいけない。
オフィスはcompound documentsに対して広範囲のサポートを持っている。例えば、スプレッドシートをWord文書に埋め込んだりできる。完璧なWordファイルフォーマットのparserは、同じように、埋め込まれたスプレッドシートで何かインテリジェントなことが出来るべきだろう。
それは相互協調性(interoperability)を意識してデザインされてはいない。仮定されていたのは、WordファイルフォーマットはWordからのみ読み書きされなくてはいけない、ということで、それは当時においては十分に合理的なものだった。これは、Wordチームのプログラマがファイルフォーマットをどう変更するかについて決定を行う場合にはいつでも、彼らが気にするのは (a)何が高速か (b)Wordのコードベースにおいて最小の行数になるのは何か、だったことを意味する。SGMLやHTML-interchangeableといった標準ファイルフォーマットのようなアイデアは、最初にインターネットがドキュメントの相互交換を実現するまで現実のものにはならなかった。それはOfficeバイナリフォーマットが最初に考案されてから10年後のことだったのだ。ドキュメントを交換するのにインポーターとエクスポーターを使うことができるという仮定が常にあった。実際Wordは簡便な交換のために設計されたRTFと呼ばれるフォーマットを持っており、そのフォーマットは殆ど最初のころからあり、今も100%サポートされている。
それはアプリケーションの全ての複雑さを反映していなくてはいけない。 全部のチェックボックス、全部のフォーマッティングオプション、そして全部の、Microsoft Officeのフィーチャーは、ファイルフォーマットのどこかで叙述されていなくてはいけない。Wordのパラグラフメニューにある、"Keep With Next" と呼ばれるチェックボックス、これはパラグラフを、その後ろのパラグラフと同じページに置くのに必要な場合は、次のページに移動させるもの(?)だが、これもファイルフォーマットの中に無くてはいけない。そしてこれはつまり、あなたがWordドキュメントを正しく読み込める完璧なWordクローンを実装したいなら、そういったフィーチャーを実装しなくてはいけないということだ。Wordドキュメントをロードする競争力のあるワードプロセッサを作っているのなら、ファイルフォーマットからそのビットをロードするコードを書くのには1分しかかからないかもしれないが、ページのレイアウトアルゴリズムをそれに対応させるのに何週間もかかるかもしれない。もしあなたがそうしない場合、カスタマーがあなたのクローンでWordファイルを読み込んだら、全部のページがぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
それはアプリケーションの歴史を反映していなくてはいけない。 このファイルフォーマットに見られる多くの複雑さは、古く、複雑で、愛されず、めったに使われないフィーチャーを反映している。それらはファイルフォーマットのなかに後方互換性のためにまだあり、そしてMicrosoftにとってその辺りのコードを残しておくことには何らコストはかからない。しかしあなたがこれらのファイルフォーマットをparseおよびwriteする一貫した完全な仕事をしたいと思うなら、Microsoftのインターンが15年前にやったのと同じことを全て、またやらなくてはいけない。要点は、何千人年の仕事が今のWordやExcelには費やされてきたのであり、これらのアプリケーションの完璧なクローンを作りたいと本当に欲するなら、あなたは何千人年を費やさなくてはならないことになる、ということだ。ファイルフォーマットは単に、アプリケーションがサポートする全てのフィーチャーの簡潔なサマリーなのだ。
手始めに、小さな例を一つ、深く見てみよう。Excelのワークシートは色々なタイプのBIFFレコードの集まったものだ。私はスペックの一番最初のBIFFを見てみたい。1904と呼ばれるレコードだ。
Excelファイルフォーマット仕様のこのレコードについての記述は非常に曖昧なものだ。そこでは単に、1904レコードが「1904日付システムが使われているかどうか」を示すレコードだ、と述べているだけだ。ああ、使えない仕様書の典型的な一例だ。あなたがExcelファイルフォーマットで何かしている開発者で、そしてファイルフォーマット仕様にこう書いてあるのを見つけたなら、あなたがMiocrosoftは何かを隠しているのだと結論付けたとしても無理はない。この情報の断片は十分な情報をあなたに与えはしない。あなたには幾ばくか外部の情報が必要で、私は今ここで、それを提供しよう。Excelワークシートには、2種類ある。日付のエポックが1900/1/1のもの(これには、Lotus 1-2-3 との互換性のために故意に入れられた閏年に関するバグがあるが、ここでそれについて述べるのは退屈すぎる)、および、1904/1/1のものだ。Excelは両方をサポートしているが、それはExcelの最初のバージョンはMac版であり、それは単に簡単だったという理由でOSのエポックを使っていて、しかしWindows版のExcelは1-2-3のファイルをインポートできなくてはならず、そしてそれは1900/1/1をエポックとして採用していたからだ。あなたが涙ぐむのも無理はない。歴史のどの時点においても、プログラマが正しいことをしなかった、という時はないのだが、しかし現実にあなたが手にしているものはこれなのだ。
1900と1904のファイルタイプは両方とも世の中には広く存在しており、それは通常、ファイルがWindowsとMacのどちらで作られたかによる。一方のタイプから他方のタイプへ黙って変換するのはIntegrity的に問題があるので、Excelはファイルタイプを変換することをしない。Excelファイルをparseするためには、あなたは両方を扱わなくてはならない。それはファイルからこのbitをロードするだけの問題ではなく、あなたが日付表示と両方のエポックを扱うparsingのコードまで書き直さなくてはいけないということを意味する。実装には何日かかかるだろうと私は思う。
実際、あなたがExcelクローンの作業をするなら、日付の扱いについて、あらゆる種類の微妙なディティールを発見することになるだろう。Excelは日付の値をいつ変換するのか? 表示の整形はどうやっているのか? なぜ1/31は今年の January 31と翻訳され、また一方で1/50はJanuary 1st, 1950と翻訳されるのか? Excelのソースコードと同じだけの量のドキュメントを書かないがぎり、振る舞いに関しての微妙なビットを全て完全に記述することはできない。
そしてこのレコードは、あなたが扱う何百もあるBIFFレコードの最初の1つに過ぎず、しかももっとも単純なものなのだ。他のレコードの殆どは、より多くのプログラマーを涙に暮れさせるぐらいには十分複雑だ。
唯一導き得る結論はこれだ。
MicrosoftがMicrosoftとOfficeのファイルフォーマットをリリースしたことは大変有用なことだが、しかしそれでOfficeファイルフォーマットをインポートしたり保存したりするのが楽になるということは全く無さそうだ。それらは狂気じみて複雑で、リッチなアプリケーションで、そしてあなたは人気のある20%の部分を実装して80%の人々を幸せにするというくらいのことしかできない。バイナリファイル仕様によってなされるのは、多く見積もっても、著しく複雑なシステムのリバースエンジニアリングにかかる時間を何分か削減するくらいだろう。
オーケー, 私はいくつか回避法を教えると約束した。良いニュースは、殆どの良く知られたアプリケーションにとって、Officeバイナリファイルフォーマットを読み書きしようと試みることは誤った決定だということだ。あなたが真剣に考えなくてはいけない代案が2つある。Officeそのものにそれをやらせるか、書き込むのが簡単なファイルフォーマットを使うかだ。
ヘビーな仕事はOfficeにやらせよう。WordとExcelは実に完全なオブジェクトモデルを持っており、COMオートメーションの手段が可能で、これであなたは何でもプログラムでやるようにできる。多くのシチュエーションでは、Office内のコードを再利用するほうがそれを実装しようとするよりも良い。ここにいくつか例がある。
この手のアプローチは、全ての種類の一般的なOfficeタイプについての、サーバ上であなたがやりたいと思うであろうアプリケーションで、うまくいくだろう。例えば:
これらのケースの全てにおいて、Officeオブジェクトにインタラクティブ動作でないことを教えてやる方法があり、だから表示をアップデートするのに煩わされたり、ユーザに入力を促す必要はない。ところで、このようなやりかたでいく場合には、gotchas(?)がいくつかあり、そしてそれはMicrosoftは公式にサポートしているものではない。だからあなたがそれを始める前にはKnowledge baseの記事を読むように。
書き込むファイルにはもっとシンプルなフォーマットを使いなさい。単にOfficeドキュメントをプログラムで生成したいなら、殆どいつでもOfficeバイナリフォーマットよりももっと良いフォーマット、WordやExcelでも問題なく開くことができるようなフォーマットが存在する。
いずれにせよ、全てのOfficeファイルを完全に読み書きできるような、文字通りのOffice競合製品を作ろうとする(その場合には、何千年もの作業があなたに予約される) のでない限り、Officeバイナリフォーマットの読み書きをするというのは、何であれあなたが解決しようとしている問題を解決するためのもっとも労働集約的な方法だ。
実際15年ぐらいまえまで一番裏口が多かった学部じゃないかな。
帝京の医大を受験で入れるやつは相当頭いいとまで揶揄されてたぐらいだしな。
私立の医大なんて6年の学費だけで3000万かかるんだ。
インターン期のことや、その後研究にすすむことを考えたら億はないとおぼつかないだろうよ。
なりたくてもなれない職No1なんじゃねぇか?
特殊性が強いで済む問題じゃあないよ。
それもこれも医師の数に制限をかけて縛ってきた更生労働省が悪いとおもうんだけどね。
つーかさ、普通に考えてじーさんばーさんの相手しかしない町医者と手術などをする中規模以上の病院の医師が
同じ免許ってふつうに考えたらおかしくない?
今の看護士と医師の間になにかもうひとつ資格をもうけるべきなんじゃないかな。
町医者免許みたいの。
もっちょっといえば、看護士免許もこれからますます人手不足が見込まれるのだから、
歯科衛生士みたいな手軽にとれる看護実務士みたいな資格をもうけたらいいんじゃないのかいな。
**号室のおばーちゃんが呼んでるから様子みてきてー!
http://anond.hatelabo.jp/20080102001610
外国では卒業して9月から働き先を探すのが当たり前。半端な期間はインターンとして過ごしたり旅行したり。
だけど日本ではその前に「新卒」を採りたいおバカな企業が早々と就職活動を開始する。
わたしは卒論で良い評価をいただけたが、就職活動はその1年前から始まっていたので、卒論のことなど聞いてもいないという感じであった。
格差社会を直すには
大学を卒業してから、新卒・既卒の枠をなくセミナーや面接を実施することが第一歩なんじゃないか、と思う。
そうしたら、景気に左右されて会社に入れる世代とそうではない世代が生まれることもなくなり、
会社も年代によって人材の質がばらけることも防げる。
某会社のインターンにて、人生で初めてというぐらい大量のT大生に遭遇。
つーか、大学の話は極力したくなかったのにあのK大の野郎が・・・!
「あのー大学はどちらですか?」
あちらデスヨ!!
くそーー。こんなところでコンプレックスを感じる俺は卑屈だなぁと思った。
で、インターンの内容は「排出権取引の新しいビジネスモデルを提案しろ」みたいなんで。
なかなか面白かったよ!
人類学的に参与観察してきましたww
優勝したグループには長期インターンの権利が与えられるなんて知らなかったしww
しかしねぇ。T大の彼は素晴らしかったよ!!
知識
輝く笑顔
人を引き付ける話し方
他人の意見に耳を傾ける度量
俺が欲しいものを全部持ってる感じ。あながち学歴っつーのも判断基準として正しいのかも?
まぁピンキリでしょうけどね!
く・・・くやしい。。
知識の伴わない情熱は無力で
ふぅ。精進します。
なぁ、もう12月だってな。早くない?
周りはクリスマスできれいなイルミネーションが光ってるけど、なんか、ぜんぜんクリスマスって感覚がないのよね。
誤解してもらったら困るので言っとくけど、これぜんぜん僻みとかそんなんじゃなくって、もう1年終わってまうって言うことが素直に実感できひんのよね。
何で今年こんなに1年過ぎるのが早かったんだろーな。なんか知らんねんけど暇をもてあます時間が多かったなーという気分になってしまう俺。別に暇ではなかったのによ。それなりに用事もあったはずだぜ?
東京にインターン行ったりとか、海外に行ったりとか、クラブに通いつめたりとか、夏フェス行ったりとか、ここでは詳しく言えないがとにかくいろんな場所に行っていろんな景色といろんな人には会ってきたはずなんだぜ?サークルの合宿にも言ったぜ?学校行く時間はちょっとは減ったかもしれないけど単位落とさない程度には出席もしてるし、ちゃんと知り合いにも会うんだぜ?今年は、内容的にはこれ以上ないくらい充実してる。
なんかもっと、満腹感を感じてもいいはずなのよ。それがなぜか、いろいろやった感を感じることができない。何かが足りない。もっと言えばやり遂げた感が無い。なぜなんだぜ?
まぁなぜかって、そんなことはとっくにわかってるんだけどさ。要するにどういう場においても当事者感がまったく無いのよね。つまり、自分が中心になって何か巻き込んでやったったぞー!感が無いのよ。常に傍観者なわけ。傍観。みんなが仲よさげに楽しんでいるのをちょっと遠巻きに眺めてるだけなのさ。そういう性分なんだろうかね。完璧にどっぷりそのコミュニティーにつからずに((時には1対1でも))、片足だけ入れておいて、反対側の片足でいつでもほかの面白いことを探している状態っていうか。ひどいよ俺。プライベートで人なんてめったに誘わんからね。誘われたり、それこそちゃんとした行事とかなら行くけど、行ったら行ったで結局中途半端に楽しんで終わる。片足だけしか入れてないから。だから、全員初対面とかだとものすごい気楽になる。いつもの1.3倍くらいは饒舌になる。まぁその初対面の集団でも結局みんなが仲良くなり始めると傍観者になってしまうんだけどね。周りから助けてもらうことも頼られることも無い代わりに、自分からも(よっぽどじゃない限り)助けないし頼らない傾向が強い。
別に悪気はあるようで、無いのよ。なんか、どっぷりそのコミュニティにつかっちゃうと自分の視野とか価値観とかをいたずらに狭めてしまわないかな、っていう強迫観念みたいなのがあるわけ。あとは、逆に自分が傷つけられるのが怖いんだと思うわ。やみくもに動いてかっこ悪くてきまずい思いするぐらいならむしろ動かないほうが身のためだ、って思ってしまう。だからといって行動力が無いわけではないんだけどね。一人でならどこまでもバイクで行ける気がする。この前の夏休みのインターンの時は、休日になると東京を1日4時間はひたすら歩いていた。ぜんぜん苦じゃなかった。誰の気を遣わなくてもいいから。
プライドが高いのだろうか。実際は全然そんな自覚無くて、逆に俺ってだめだなーって思うほうが多いんやけどね。ハリネズミのジレンマってこういうことを言うのかな。でも、よく考えてみたらわかることなんだけど、そのコミュニティ、集団に深くかかわらないことにはその集団の当事者になれないのは当たり前の話なわけでね。俺はそこにジレンマを抱えている。わいわいすること自体は大好きだから、輪の中に入ってわいわいやりたいんだけど、入りすぎることも恐れる。いったんわいわいできない空気を感じ取ると、必要以上に自主規制をかけてしまうのよ。ひねくれてるのかなぁ俺。だから、俺は広く浅い付き合いしかできないんだよって自分で思ってるからな。自覚してる。ただいったん自分でそう思い始めると余計にその性分に磨きをかけることにつながるわけで以下無限ループ。
そうして俺の周りには中途半端に仲のいい友達と中途半端に仲の悪い友達がたくさん、そりゃもうたくさんできましたとさ。
なんとなく話がそれたので戻すが、とにかく今年という年がなんとなく足早に過ぎていったのはそういうような理由からなんだろうと思う。当事者感を味わうためには自分の行動を改めなくてはいけない。多分このままだと俺は何をやっても充実できない気がする。まぁそれは言いすぎだけど。来年から治すぞって言ってすぐに治るもんでもないと思う。この性分はおそらく高校からの積み重ねであり、生きにくい世の中を生きるためのその時々の自分なりの処世術としてその時代その時代に作用してきたから。じゃあどうするんだよ。このままでいいのか。またジレンマ。
なんだか今までの悲しい出来事がぶっ飛んでしまうくらいに悲しい事が起こらないかな。それか逆に、めちゃめちゃ幸せすぎてバク転して骨折るくらいのいい事が起こらないかな。どっちにしても、よっぽど衝撃的な、ことがないと俺はだめになる。そういう電気ショック的な衝撃が無いと俺は生き返れない。でまぁ、そうやって考えのどつぼにはまると呼び込んでしまうのは前者のほうであってね。悲しいことなんていくらでも容易に想像つくのに、思い切りいいことって想像できひんくない?
そんな淡白で虚無的な気分でいっぱい。
非リア充かといわれれば微妙なところで、人によっては「十分な生活じゃないか!」って思うかもしれないけど、俺にとっては何かが足りないんだよ。
追記:http://anond.hatelabo.jp/shibuyan730/20071126自己分析のための大学生活伝2.0を書いたのは俺。併せて読んだら俺のことが6割ぐらいはわかります、って誰も知りたくないっつうのね。
卓越したコミュニケーション能力と地頭があるのならば、東大文1で十分だ。変な所を目指さず、一見してわかりやすりネームバリューがあるほうがいい。実権握って偉そうにするレベルに達するためには天からもらった才能が無い場合にはそもそも不可能なんだが、天才であったとしても、学歴か家柄がないと可能性が激減する。日本で偉そうにするなら、海外に行くよりも慶應のほうがいいくらいだ。才能に自身がない場合には、ハッタリを利かす為に海外の学位を取得するのはありだが成功例が少ないのと、コミュニケーション能力が問われ、一度でもどこかで失敗すると日本の実権掌握を目指すことは諦めなければならなくなる。頑張れ。浪人や留年は、家柄が無いならばするな。できれば学生生活中にはNPOを立ち上げたり、論文で賞金を得たりして、エリートのレッテルを自らに貼り付けろ。何より、酒を飲め。ただ、議員インターンで烏合の衆に巻き込まれるな。考えて考えて、他に誰も居ない存在になれ。しかしリスクは一滴も垂らすな。頑張れ。
この理系ってのは工学系ってことかな?理学部でも工学よりなら共同研究とかばんばんやってそうだけど。
工学系だと共同研究とかバンバンやってる人は(それで学内実績&予算がもらえるから)やってて、共同研究先の社長さんや研究部門の長とかと顔見知りだったりして、企業側としても(共同研究やってるくらいだから)自社の研究にあう方面をやってるから安心感がある。というか、共同研究で主に手を動かしていた人がそのままその企業に入って同じことしてるって可能性も。ある意味インターンw
ほかにも、卒業生が求人に来るとかもあるし、研究室選びがすでに就職活動というのもあながち間違いではない、というか、それを言い出すと、学部を選ぶ時点で進む方面を決めるような所がある、とも。
http://anond.hatelabo.jp/20070821000854
博士が就職難で、その理由はコミュニケーション能力や協調性欠如などと新聞に踊っているが、
新聞はなんで根拠も無しにあんなことを書いているんだろうか?
完全に名誉毀損だろう。
博士の就職が難しい理由なんて、普通の会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。
終身雇用前提だから、社員は一生その会社で人生を過ごすことを想定して仕事してる。
年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。
天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。
そんなんでも会社は余裕でまわる。
(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)
中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、
そんなところに、やる気と知性に満ち溢れた博士課程の学生が入ってきたらどうなるか・・・
mixiのコミュに乱入する日下部さんを想像してもらえばいい。
ほとんどの博士は、大学受験を勝ち抜き、修士博士の5年間をたった1人で戦い抜き、
世界に通じる業績を捻出してくるやつらなわけよ。
そんなやつらが「僕、新入社員です」とかいって入ってきたら、お前らどうするよ?
部活で例えれば、後輩にスタメンとられちゃった先輩は、その後輩にどう接しますかってこと。
だけど、それと引き換えに失うものがある。そうプライドさ。
どんなに言ってることが正しくても、結局会社なんてmixiコミュと一緒。
馴れ合いが大事。
だから会社村に、天才は必要ないんです。
だからね、博士はおろか、そもそも優秀な社員なんて恐くてとれません。
中の人が自慢してました。
でも、最近は事情がちょっとかわって来ました。
あんまり温いことやってると、本当に会社が傾きかねないです。
今後はどうなるかはわかりませんが、まあ会社なんてこんなもんですよ。
1人で世界にチャレンジしちゃうような博士課程の学生とサシで勝負できる社員なんてほんの一握りです。
そういう人が会社支えてます。
以上、ネタでした。
A. アメリカで就職するには、ネイティブ並の英語力が必要なので簡単ではありません。ですが、待遇は給料にすると3倍から5倍以上違うとかなんとか。また、修士や博士で外資系企業に行く率は高いです。特に優秀な人が外資にかなりの割合で流出しているのが現状です。ただ、外資にいく場合、年功序列のかわりに人種差別がある可能性があります。給料などは暗にそういう基準に従います。
Q. 博士卒は全員優秀なのか?
A. ピンキリです。ですが、うんこジャーナルでさえ論文を掲載することは簡単ではないですし、うんこ国際会議でさえ英語で論文を投稿し、査読を通過し、英語で発表するのはとても大変なことです。従って、底辺でもそこそこのレベルです。一方、上は果てしなく頭の良い人が多いです。修士の上位層が博士に進んでいると言っても過言ではありません。中には金銭的な理由で修士で卒業する人もいますが。
Q. 博士に進んでもいいですか?
A. 分野によります。数学や物理のような産業とはほぼ無関係な研究をする場合、アカデミックポスト争いに敗れた時のリスクは計り知れません。一方、工学系で就職できないケースはほとんどありません。いずれにせよ、肝に銘じて欲しいことは、研究は手段であって目的ではないとういことです。あなたが博士過程に進むということは、10年以内に人類に大きな影響を与える研究成果を叩き出すという契約であって、あなたが研究人生を過ごすためのプロセスではありません。研究がしたいだけなら、趣味でどうぞ。
A. 3年間、自由に研究ができることです。企業に入った場合、あなたの行動は制限されます。あなたがどんなに有望な技術だと感じていても、その研究に企業がリスクを感じていたら、取り組むことはできません。一方、「研究してる自分が好き」なだけであれば、企業に入った方がいいでしょう。そういう人は企業にいっぱいいます。大学にもいっぱいいますが。
Q. 博士に進むとコミュニケーション能力が鍛えられないんですか?
A. いいえ、1人で戦うからこそコミュニケーション能力が必用です。会社と違い、あなたを助けてくれる人は極小数です。一方、社会とは1人で生きられる程甘くはありません。ですから、常にコミュニケーション能力を磨く必要性に晒され、嫌でも対人能力を磨かざるえないでしょう。少なくても、群れから出たことのない羊や、決まったプロトコルでしか会話できない端末のような人に比べれば、力強く柔軟な対話能力を身につけることができるでしょう。その分、苦労は計り知れません。
2007年08月25日 kiya2014 コミュニケーション能力があったら打算考えるから博士なんて行かない。対偶をとると、博士に行くやつはコミュ能力欠如
Q. 「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」またはその対偶の、「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」は真実ですか?
A. もし上記が真実であれば、「コミュニケーション能力があるならば、成績が悪い」そしてその対偶の、「生成が良ければ、コミュニケーション能力がない」が成り立ちます(既に書きましたが、博士課程に行く人は、主に学力で上位に位置する人です)。これは現実と照らし合わせる間違っていると思われます。従って、「コミュニケーション能力がある、ならば、博士に行かない」がそもそもの誤りであり、その対偶である「博士に行く人はコミュニケーション能力がない」も誤りということになります。対偶は証明の手段ではないのであしからず。
対象は国内MBA、若いうちと言うのは20代半ばまで。
(1)メリット
1)頭が凝り固まらないうちに、経営学を体系立てて学べる。
2)同期が年長者だと可愛がって貰える(人脈の構築に役立つ)。
(2)デメリット
1)実務経験年数が短いと、議論に付いていけない。
(3)その他
1)さすがに学部卒ですぐMBAってのはどうかと。
ベンチャーで長年インターンしてるとか、会社やってるならば別だけど。
2)若い人はおおむね2パターン。
1つは野心的なイケイケ系。プレゼンとかは上手い。年長者の反応は好きと嫌いでハッキリ分かれる。
もう1つは謙虚な研究者系。普通の修士課程でも良いんじゃないかと思う。気配り上手多し。
…なんか愚痴っぽくなってきたのでこの辺で。