はてなキーワード: 自慰とは
共産主義だから当然。
その代わり、どんだけ努力してたくさん稼いでも、まったく努力しない奴の稼ぎと同じになるけどな。
創共協定(公明党の横槍でつぶされた)というのがあったから、未来永劫同じ図式とは限らんがな。
どうでもええようなことのような。
共産党の一党独裁になったら、今以上の警察・官僚国家になるような。
なら、なんで拉致問題の調査をしていた兵本氏の査問なんかやったんだろうね。
「完全再現!北朝鮮拉致…25年目の真実 消えた大スクープの謎!! 」
なんてのが、あるけど。
・アンチ中国(60年代、中国から工作活動を受け、中国共産党と大喧嘩→断交
それ以来中国からの内部工作に一番敏感に拒絶する政党。中国共産党も日本共産党だけには工作はもう不可能だと思っている)
これはどうでもいいな。
どっちも、大した力がないことには変わりないし。
派遣会社自体は、多様な働き方を認めるためにはあっていいんじゃないの?
これは、派遣会社を禁止したところで、解決するもんでもないだろ。
質問しただけで何か変わるん?
少なくとも、「反戦平和」を掲げている今の共産党とは矛盾するよな。
あと、
日韓両国は、九八年の新日韓漁業協定で竹島の領有権問題の決着を事実上棚上げし、周辺海域を「暫定水域」とし、日韓の入りあい操業をおこなうことで合意しました。日本共産党は、この新協定を現実的な解決策として賛成しました。
だそうだけど?
だいたい、今どき領土問題こじらせても、何の得になんのよ。
自衛隊が軍隊であると主張することは、即ち違憲であるということ。とても容認してないんじゃないの。
容認してないけど?
今度の綱領は天皇制、自衛隊を容認したの?
いいえ、違います。「容認」って「よいとみとめて、ゆるすこと」(『広辞苑』第五版)ですよね。日本共産党は、天皇制や自衛隊を「よい」ものだとは考えていないし、民主主義の精神や人間は平等という精神から、天皇制をなくす、「戦力はもたない」と定めた憲法九条に違反する自衛隊もなくすという立場に立っているんです。
天皇制について、綱領は、「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではな」いと書いています。そのうえで、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」という方針をうちだしています。
共産党自ら、容認じゃないと言ってるが。
しかも、廃止を目指してるし。
レイシストのヘイトスピーチは、もう放置できんところまで来てるしな。
もちろん、法名にふさわしいように、表現の自由の過度な制約にならないようにすることは当然だけど。
ま、釣るならもっといい餌にしてくれよw
男の人生は、悲しい時も嬉しい時も寂しい時も、オナニーと共にあります
ttp://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20090314/p1
オナニーというのが、セックスできないときの代用品だと思っている方が多いのですが、オナニーは男性にとってセックス以上のものです。
女性と関係を持つ何年も前から、男の子はオナニーを覚え、なんだか訳もわからずオナニーにふけります。気持ちいいから、というのはもちろんですが、男の人生は、悲しきときもうれしいときも、さびしいときもオナニーと共にあります。
例を挙げれば、北極を犬ぞりで横断した植村直己さんが言っていますが、彼はその旅の途中、テントの中で毎日オナニーをしていて、極論すれば.「オナニーなしに北極圏横断は無理だった」と・・・。これは、性欲解消という意味より、極限状態におかれたとき男は自慰をすることで理性的に行動できるということ*1です。精神医学的に考えて、この話はものすごく説得力がありますし、男にとって自慰とは何か?を考える場合の、大きなヒントになると思っています。
結婚するずっと前から、男は自分の手と付き合っています。うれしいとき、悲しいとき、さびしいとき・・・ 男は自慰とともに大人になるのです。
思春期の男の子をお持ちのお母さんが、自慰というものを理解しないと、自分の子供が自慰を始めたとき、慌てふためき対処を誤ると、子供が性的な異常者になることさえありうると思います。
http://anond.hatelabo.jp/20100322070125
まあいろいろあっても本音はそんな感じだよね、って思いながらブクマ開いたらちょっとくらくらしてしまったので、わたしも増田になってみたよ。
「友情」と簡単に言うけれど、そもそも「友情」って、どういう感情のことをそう呼ぶのか、自分の抱いているこの気持ちは本当に「友情」なのか、もしかしたら何か他の気持ちをごまかしてそう呼んでいるだけなのではないか、そういうことを少しでも考えたことはある?
たとえば高校生とか大学生の男女間でしばしば交わされるこの約束。
「男とか女とかそういうの抜きにして、お互いに一人の人間として仲良くやっていこう」
別にこの言葉が青臭いと言って否定はしない。
でも、もしあなたに、この言葉が含む矛盾を拾い上げることができないのなら、「男女間の友情」を語る資格などないとわたしは思いますよ。
だって「男であること」「女であること」も含めて、一人の人間でしょう。
「男であること」「女であること」を抜きにしたら、その人はその人でなくなるし、あなたもあなたではなくなるんだよ。
たとえ思春期・第二次成長期を迎える前の、一緒にお風呂に入っててもおかしくないような小さな子ども同士であっても、この約束は成立しない。
だって、生まれたときから男性は生物学的に男性なのだし、女性は同様に女性だからだ(ただし性同一性障害の方についてはこのように単純に断言することはできないが、あくまで自己認識としての性をイメージしていただけたら、と思う)。
ああ、思春期以前の子どもにはエロ衝動がないなんて思ってる人がいたら大間違いだからね。
知識がないだけで性欲はあるんだよ。
そりゃ現れ方は大人よりダイレクトだったり、大人よりかわいらしかったり、いろいろあるけどね。
また、同性愛者についても相手が同性に変わるだけでおおまかな話は同じだ。
いつから同性愛者だったのか、生まれたときからなのか一年ぐらい前からなのか、それもあんまり関係ないと思う。
で、上記約束によってマブダチとなった男女、何しろ波長が合うので話しても話しても話が尽きない。
他の男の子には話せないけどこいつにだけはなぜだか何でも話せる、みたいなそういう関係ってありますよね。
んで、今度いっそのことパジャマパーティしようよ!夜を徹して語り合おうよ!って話になります。
もちろんエロい展開になどなろうはずがない。
だって「男とか女とか抜きにして」仲良くしてるんですから。
相手はお互いにとって男でも女でもないニュートラルな存在なんだから。
さて友人A子がそういうことで今度そのマブダチのB太郎の部屋に泊まりに行くと聞かされたあなたはどう感じますか?
「まあ正直ちょっとだけ心配だけど、B太郎も信頼できるやつだし、普段の二人を見てる限りそんな間違いなんて起こらないよね。本人同士がそういう関係って認め合ってるんだし、それを尊重するべきだよね」
ぐらいなもんでしょうか。
なぜ「正直ちょっとだけ心配」なの?
あるいは
「いくら男女関係ないって言っても、それとこれとは別だよ。A子だけじゃなくB太郎のためにもやめといたほうがいいよ」
と忠告しますか?
あるいは
「またまた友達とか言いながら、もうB太郎のティンティンもフラグもビンビンじゃん!お幸せに☆」
と勝手に二人が「男女の仲として」結ばれちゃう想像をしますか?
そして、泊まりに行くのが同期の女友達「C美」の部屋だったときは、あなたは同じように心配したり忠告したり妄想したりしましたか?
しませんでしたね?
この場合、B太郎、A子、C美は全員異性愛者と仮定してください。
同性愛者を登場させたい場合はその人のところを別の性に差し替えて読んでみればいいと思います。
それともそもそも、A子はB太郎とのパジャマパーティなんて企画しないのでしょうか?
なぜ?
同期のC美とはやってるんです。
マブダチのB太郎とならやったっていいはずですが。
なぜ?
さらにB太郎視点でも考えてみます。
仮にB太郎がA子の提案に「いいよ、おいでよ」と、もちろん下心などなしに(ここもわたしとしては疑問符がつくところですが、まあそれはいいです)快くA子を招いたとして、A子がしゃべり疲れて先に寝ちゃって寝返りを打った拍子におっぱいが露出したときに、B太郎は欲情せずにすむのですか?
「うわっ!!あああやべー、変なところが元気になってきたあああ!!俺は何欲情してんだ!相手は大親友のA子だぞ!最低だ俺!最低だ!」
と、アスカで自慰をしたシンジ君のように自己嫌悪に陥るかもしれませんが、まあとにかく欲情はします。
しますね?
たとえA子が恋愛対象になるのはあまりにアレな外見だったとしても、無防備なおっぱい露出を前にしてまったく変わりなく平然としていられますか?
その自信はありませんね?
これがもしB太郎と同期の男友達D男だとしたら、寝返りの拍子にその逞しい男性器があらわになったとしても、せいぜい大笑いしながらぞうさんをマジックで書くぐらいでしょう。
これがA子のおっぱいなら、いくら仲が良くてもA子がたとえマツコデラックスであっても、乳首部分を中心としてマジックで目玉おやじを書くことなどできないはずです。
なぜですか?
あるいは最初からA子の提案を飲まない可能性もありますね。
なぜ?
いきなり「C美」とか言いながら詰問されても、某有名大御所はてなーの名クイズシリーズをパクってるみたいで相当印象悪いと思いますが(ごめんなさい)、答えは言うまでもなく「A子とB太郎が互いに異性だから」ということです。
つまり、男女間の「友情」と同性間の「友情」は、違います(繰り返しますが、同性愛者の場合もまったく逆の意味で違います)。
どう違うか?
性的対象となるかどうか、に決まってるでしょ。
相手が「自分にとって性的対象になる性を持つ存在」である場合、そうでない存在と同列に考えることはできません。
お泊まりの話はそのひとつの例ですが(勢いだけで殴り書きしたのではっきり言って蛇足ですが)、何より冒頭に書いたように、男性であること、女性であることも含めてA子であり、B太郎という人だからです。
で?だから何?という話ですが、ではそのように、異性間にある「恋ではない(と当人は思っている)のだけれど親密な感情」は、同性間の「友情」と同じように「友情」ということばで括ってよいものなのか?とわたしは思うわけです。
つまり、性的要因による互いへの配慮、あるいはそれによるある種の葛藤が不可避である(別に不可避ではない、そういう状況にははじめから遭遇しない、との反論も予想されますが、厳密にはやはり不可避です)男女の親密な関係を「友情」という言葉で定義するのは、あまりに乱暴なのではないか?それは人間関係を自分の中で熟成させるうえでひとつの精神的怠慢と呼ぶべき事態なのではないのか?ということです。
ここであの「友達以上 恋人未満」という魔法のキーワードが出ます。
しかしこれはほとんどの場合、いずれ恋愛関係に発展することが見込まれている関係です。
よって、これは「友情」という言葉の定義にかかる問題とは切り離していいと思います。
では「お兄ちゃんみたい」「お姉ちゃんみたい」「弟みたい」「妹みたい」といった家族愛に似た親密さはどう扱うべきか。
これは「相手を異性とは認識しているが性的欲求は感じていない」ということです。
しかし異性として認識しているのなら上記のようにおっぱいに目玉のおやじの落書きをしたりすることはできませんので、ていうかそんな落書きをするような人がこの世にいるかどうか知りませんが、注目すべきはあくまで「みたい」どまりで、本物の家族ではないことです。妹のように純粋にマスコット的にかわいがっていたロリ美少女が寝返りの拍子に意外とたわわなおっぱいを露出させたら、やはり一瞬でも吸い付きたい衝動に駆られてしまうのが男なのではないでしょうか。これが実の妹に同じような衝動を感じてしまうのであればちょっといろいろ人として違うと思うのですが、良識的なはてな村民にそんな人はきっといないと思います。
とにかく男女の関係とは多重的で、ひとつのことばでビシッと定義できるものではないように思います。
自分の話になりますが、わたしには学生時代からずっと連絡を取り合っている友達が何人かいますし、彼らのことを「人間的に」大好きです。
男も女も。
しかし、ふとした拍子である男子と図らずもエロい雰囲気になってしまい、その場はなんとか未然に取り繕って今はまた前と同じように仲良くしていますが、それ以降、ふたりの間に「例の件はタブー」との暗黙の了解ができ、同時に、再発を避けたい気持ちと、何かこう、アバンギャルドを互いに期待する空気が混在して変にややこしいことになってしまっています。
付き合いが長くなればなるほど、そして関係が密なほど、こういうハプニングで意識せずもがなのことを意識せざるを得なくなります。
これでもわたしと彼の間にあるのは「友情」と呼べますか?
わたしたちが「友情」と言い張れば、そうなるのでしょう。
しかし、本当にこれが「友情」ですか?
わたしには、これを「友情」と呼ぶだけの図々しさは持てません。
でも、仕方ないと思います。
男は女に性欲を持ち、女は男に性欲を持つようにつくられている以上、こういうきっかけは世の中に無数に転がり続けているのです(くどいですが、同性愛者については読み替えてくださいね)。
あるいはわたしのように生々しい性欲でなくても、相手を「異性であるがゆえに」親しく感じたり、大切に感じたりする気持ちも、性欲に由来するものです。
恋だってもちろん。
それらがほんの少しでも混じってしまうと、その瞬間から二人の間にあるものは「友情」ではなくなっていきます。
異性に、明らかに恋愛とは異なるのだけれども好意的な感情を抱くことがあります。
たとえば「尊敬」とかです。
でも「友情」とは、違いますよね。
両立することはあります。結構よくあると思います。
しかし、イコールではありません。
じゃお前にとっての「友情」って何?って話ですが、「愛」の一種だとわたしは思っています。
相手の存在を大切に思い、相手の幸福を願い、ともに過ごす時間を大切に思う、簡単に言うとそういうようなことで、性欲さえなければ男女間にも十分に成立する余地はあると思うのですが、やはり性欲がある以上、男女間でこういう関係を長期間育んでいくのは難しいというのがわたしの考えです。もう眠いので寝ます。
自分が何を言っているのかわかってるのかな?
「ぼくはモテない」
「自分は本当はオナニーしたくないけど『せざるを得ない』」という猿の反省ポーズと、「規制されたらオナニー『できない』」という被害者面。
本当にマスターベーションしたくないんだったら規制されたほうがいいはずだよね?
要はオナニーしたいんでしょ?
正直に言って欲しいな。「ぼくはオナニーを楽しんでいる」「少女を犯す妄想で女性への復讐を果たしている」って。
というと今度は開き直りな逆ギレ君たちが「二次元と三次元を区別している」とか言うんだろうなぁ。
あれ?二次元と三次元を区別しているのなら「モテないから合意の上でのセックスなんて想像できない」「モテないから強姦やロリでオナニーするしかない」は成り立たないはず。
なぜなら二次元と三次元を区別しているなら「二次元の成人ポルノ」も「二次元の和姦」も想像可能なはずだから。
「最低限文化的な生活」には性欲処理は含まれません。「オナニーするしかない」といっている人は「オナニーをする権利」をその中に含んでしまっているよね。
非モテの一部が言っていた「男に女を1人ずつ分配」「承認配給」と同じ論理。非モテが保守的な規範を言い訳にしていたように「オナニーするしかない」の人もまた「射精欲」を言い訳にしている。まるで「オナニーしなければ死ぬ」とでも言いそうな勢い。射精欲は他の排泄欲(排尿、排便等)に比べるべくもないほど弱いのは常識だよね?
「本当はオナニーしたくないんだ」
?
フェミニズム的に言えば女性の身体を見て欲情し、自慰により精液を噴出させるのは、男性自身の主体的行為。
「本当はしたくないんだ」「罪悪感に苦しんでいる」なんて宇野常寛の「反省の身振り」そのもの。
本当にしたくない、罪悪感に苦しんでいるなら止めているはず。または止めようと努力しているはずだよ。
それをせずに「罪悪感に苦しんでいるのだから少女を犯して愉しんでもいい」なんてロリコンを再強化してみたり「ロリでオナニーするしかない」なんて被害者面してみたり「規制されたら三次を犯す」なんて脅迫してみたり「二次と三次を区別してる」とか嘘ついてみたり。
「規制派は感情的で対話をしようとしていない!」なんて言ってる人もいるみたいだけど、一体「対話」を端から蹴ってるのはどっちなのか、自覚しといたほうがいいと思うよ?
非実在青少年問題について思ったことを書いてみる。
1「エロ=悪」ではない。
思春期になれば性について興味を持つのはごくごく自然なことである。
性とエロは深く関わっている訳で、それを悪と見なすのはおかしい。
興味を持った子供が12-18くらいの6年間をどう過ごすか。
教科書で性や自慰について知ったとし、興味を持ったその次がないならば、それは多大なストレスとなる。
義務教育3年・無償になった高校3年。男女が毎日顔を合わせるのだ。
数多くのコンテンツで規制されようモノなら精神が病むかもしれない。
であれば、どうするか。
成人向けという分類があるのだから、あまりに過激だと判断されればそちらに分類すればいい話。
それ以外は12才以下禁止くらいをつくり、他は通常通り販売すればいい。
ただし、コンビニ等で目に触れないような物理的ゾーニングも当然必要だ。
(小説は規制されないような話も聞いたが、それは実際読まなければわからないというのを見かけた。
つまりは物理的に隠せば問題ないことと等しい。)
18才未満に見える非実在青少年を扱うモノの規制についてだが、、、
たしかにあまりに幼いと問題だが、思春期以上が自分たち以上の年齢のエロ話を読んで何の問題があるのか。
何の問題もない。
仮に変な性性癖の話だとしても実際犯罪行為をしなければ問題はない。
その中でコンテンツに影響を受けて実際に犯罪行為をする人間はさらに少ないのだ。
一般人が楽しむのを阻害するほどの問題ではない。
表現の自由もある訳ですし。(あまり持ち出したくはないですが)
性を遠ざけて変な人格を生み出すよりは、性について教え、(変なことも含め)知識を得て、
業務終了まで、まだ少しばかり時間が残る午後3時半。眠気の霧が晴れ上がり、また仕事に集中し始める頃合い。
契約職員という立場上、部署で一番下っ端の私には、毎日茶具の後片付けがある。
あわ立ちの悪い洗剤をスポンジにたっぷりと垂らす。カップの底に僅かに残るコーヒーを、蛇口から出るぬるま湯で薄める。
流し台の中で泡塗れになる様々な形のカップと、コドモのような私の手。
家でも職場でも毎日手洗いで食器を洗っているから、油分が失われてかさかさに乾いて、そこだけは大人のように見える。
手馴れたコトは手慣れた身体に任せて、頭で別のことを考えていればいい。
そうすれば、時間は案外早く過ぎ去っていく。
私には好きな人がいる。とても素敵な人のように私の目には映る。
人当たりがよく、部署内での人間関係は良好のようだから、多分他の人からも好かれている人だろうと思う。
妙に緊張をすることもなく(好意を自覚してすぐの頃は流石に心臓がいつもより大きく動いていたけど)、自然に会話を交わせる。
好きかもしれない。何となく、何となく、好きかもしれない。
いや違う。
とても好きなんだ。すごく好きなんだ。
この人とお付き合いが出来れば蕩ける様な幸福に包まれるんじゃないかと錯覚するくらいに。
そんなにまで好きならば、告白すればいいじゃん、と思われると思う。自分でだってそう思う。
だけど、4月に入社しこの部署に配属されて、もうすぐ1年、告白などという甘くも苦くもなる言葉は遥か遠くにある。
自分のありのままの感情を打ち明けるのが怖い。正確には、打ち明けた後に拒絶されるのが酷く恐ろしいのだ。
何を子どものようなことを、とは自分自身でも思うが、しかし今まで誰にも告白したことはないし、告白されたこともない。
生まれてきてから今に至るまで、誰かの恋人であった期間は一瞬たりともない。
世の中の恋する女性の行動力には感服するばかりで、自らの気持ちをオブラートに包むことなくそのまま手渡せる行動力が羨ましい。
毎年如月は14日、甘い陰謀の日の有無を言わさぬ流れに乗って、私も思いを打ち明けてみようかと、少し高めのチョコレートを買ってはみたけど、
結局渡せずに私と家族の胃袋の中に消えた。私の気持ちはどこかに行くことはなく、私の中に再び溶け込んでこの日は終わった。
詰まるところ、私はただの臆病者だ。成人して数年経つのに自分の言いたいことが言えない。もどかしい。
私は私の好きな人のことの、どこまで知っているのか分からない。
側面、あるいは切り取られた一部分だけを見て、好きだ好きだと思っているだけなのかもしれない。
とても滑稽なことのようだけど、実際に一部分しか見えていないのだから、仕方ない。
私の更に滑稽なところは、その一部分を妄想の水で膨らませて楽しんでいるところだ。
いつもご苦労様ねとか、片付けしてもらって悪いな、とか色んな人から詫びるような言葉を時々頂く。
詫びられることなど何もない。スポンジから生まれる泡と、捻った蛇口から止め処なく流れるぬるま湯。
そして沢山のカップと戯れながら、あの人の付き合うことが出来たら、と考える時間はとても楽しい。
あの腕に自分の腕を絡ませ、引っ付きながら歩くことが出来たら素敵だろうな、とか、
一緒にご飯をお腹いっぱい食べれたらそれだけで幸せかもな、とか、そういうくだらない妄想を延々と考える時間はひたすらに楽しいのだ。
そこにいる好きな人は、私の想像上の産物であって本物ではない。だからこそ楽しく感じるのかもしれない。
多分付き合うことのない人が、私に優しくしてくれる妄想。都合がいいにも程がある。こういうことも自慰と言えるのだろうか。
好きな人とも、あとひと月もすればお別れ。この妄想ともそれくらいでお別れが出来ればいい。
穏やかな春の日差しの中で融けて消える残雪のように、このどうしようもない恋心もなくなってしまえばいい。
だけど最後の日に何かないかと期待するこの心はへたっている。少女漫画の読みすぎだ。
奇跡みたいに都合のいい出来事など起きるわけもなく、そして何もなくこの恋は終わる予定だ。
それでいいのだ、たぶんね。
ショタ犯したくてたまらない。
毎晩妄想する。というか真昼間から妄想してる。夜は自慰もする。この衝動を慰めながら生活している。
強い男の人が弱い男の子を強姦するやつが好き。なにも知らないような子をヤっちゃうのが好き。
おねショタは嫌い。気持ち悪い。
キャラ×私もノーマルカップリングもありえない。セックスさせないで。汚さないで。汚れる。
レンきゅんは一生童貞。非処女。それが一番理想的。つまりレンきゅんは受け。
もし私が男だったならやおいにはまることはなかっただろう。
わざわざ腐男子にならなくたって、女という弱者がごろごろ商品化されている。ショタやロリである必要も無い。
踏みたい。レンきゅんの股間踏みたい。
レンきゅん愛してる。
暴力的欲望を捨てられない。認めるしかない。悲しい。でもどうしても萌える。
強姦が一番萌える。犯したい。自分のものにしたい。依存させたい(依存「される」のは面倒だな。攻めに依存していてくれればいい)。
自分は陵辱を欲している。ということは物語の中で陵辱を肯定しようとする。
美しい関係であってほしい。見た目もストーリーも麗しくなければいけない。
痴漢うざいね、最低だね、しね。
でも同人誌の結末は、「だってそれって彼らの愛なの」、こうでなくちゃいけない。
レイプされたくない、したくもない、セカンドレイプも撲滅したい。
やおい同人誌欲しい。描きたい。発行したい。ペニスで屈服させたい。
誰か私の欲求をわかってください。
無い事は無いものを好む者です。男性向けも買います。
なんというかあと一歩先進化してくれればなって感じがするな。
結局婚活ビジネスの仲介業者は就活においてのリクナビみたいなものだよね。
でも登録者は言葉は悪いが基本的には結婚したいけど出来てない人がメイン。
必然的に恋愛市場での価値が低い人たちの割合が高くなるわけだ。
これはつまりリクナビでいうと小中企業の中でもさらに人気が低めな企業が多い状態と一緒。
でも基本登録してない企業のほうが優良だってなると、そりゃスペックの高い人はあまり利用したくないよね。
そのうち登録すること自体が人気がない烙印みたいになると、それこそ結婚仲介ビジネスが廃れていくんじゃないかな。
--------------
ここまでは、みんな分かってる話。
でどうすればいいかって、そりゃ結婚仲介に登録したくなるような環境を作るしかないよね。
ってことで結婚仲介業者のみなさん、営業しろよ営業。
なに「結婚したいけど出来ない人きてくださーい」みたいに構えてるの。
ビジネスとして成立させる気あるのかと。
全体数を増やせ、優良物件を増やせ、登録料を下げろ。
一箇所に集まるところができればさらに口コミが広がる、もっと儲かる。
・・・とここまでいいたい放題で考えたけど、実際仲介業者がどんな努力してるのかは知らなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20100128222216
これ読んで、自分の姉と、セックスできる気分になれるかどうか、ちょっと考えてしまったけれど、
うーん、やっぱりできんな。
うちの姉は、AV女優でいうと藤沢マリ似…というか、藤沢マリよりも美人だけれども、
正直、性格が…こわい。ありえないぐらい、こわい。よって、むり。
姉で自慰を試みて何度か成功したことぐらいはあるけれど、
それによって、特に姉を意識しはじめてドッキドキーとか、そういうイベントに発展したことはなかったな。
いま、姉と離れてくらしているが、とくに恋しくもならない…。
ぶっちゃけて言えば、姉と離れられてちょっとホッとしている。
タイトルの通り、そうなりかけた時のこと。
僕には1歳上の姉が居て、ちっちゃい頃は何をするのも一緒だった。
(といっても、いつも姉ちゃんとその友達に苛められてただけのような気もするけどw)
まあ、よく喧嘩して殴りあいもしたけど仲のいい姉弟だったと思う。
高校受験で、僕は九州の某進学校に合格して寮生活を送ることになった。
その学校は鹿児島にあったので、当然僕は一人暮らしをすることになった。
で、勉強を頑張りだしたんだけどやっぱり男子校って女っけが無いんだよね。
で、今までは意識したこと無かったけど姉ちゃんのこと考えるようになった。
でも姉ちゃんだし、そんな女と感じたこともないしね。
血も繋がってるんだもん。ありえねーや。
でもそんな風に考えてたのに何だか分らないけど自慰してしまった。
しかも姉ちゃんのこと考えながら。
うーん、頭がおかしくなったのかなと思って、
その事を友達に話したら、軽蔑されて落ち込んだ。
こんなことしてたら、姉ちゃんと顔合わせられないなとか思ってたけど、
地元で姉ちゃんが彼氏作ってセックスしてたら、、って思ったら何だかいてもたってもいられなくなって
せっせと自家発電にいそしんでた。
で、高校1年の夏、姉ちゃんと会うチャンス到来。
実家に飛行機で神速で帰宅。ところが姉ちゃんは語学留学か何か知らんけど
実家に居なかった。この時程、あほ学校にありがちな国際教育を恨んだことないよ。
姉ちゃんはあほじゃないけどね。
で、まあ、年末にやっと姉ちゃんとあった。
一人暮らししたことある人は分るかもしれないけど、
暫く会ってないと家族でも接し方が分らなくなってきちゃうんだよね。
つーか、姉ちゃんめちゃくちゃ可愛くなってた。
黒髪の大和撫子になってた。
ヤバイ、直視できない。
モジモジしてたら姉ちゃんに頭はたかれて何かキモいって言われた。
で、なんだとーっつったら調子戻ってきたけどドキドキしてる
その夜、
未だにこれは忘れられんことだけど気付いたら深夜洗濯機の前にいた。
そう、あれですよ。スンゲー姉ちゃんの匂いマジやばい
なんかやばい
やばいやばいやばい
で、流石にヤバイだろって思って鹿児島に帰ってから無理矢理に彼女作ることにした。
それで、まあ地元の友達(家から通ってる友達)の幼馴染紹介してもらって取り敢えず付き合った。
うーん、でもなんか違う。
姉ちゃんの匂いがわすれられんうーん。
で、夏休みになった。
再び姉ちゃんと再会。姉ちゃんは短大の推薦決まってたから
受験生独特の芋臭い顔にもなってなかった、、つーか前よりもっと可愛くなってた。
で、我慢できなくなって、夜中姉ちゃんの部屋にいってみた。
別に何にもする気はなかったまじで。ただ小学校のときみたいに姉ちゃんと並んで寝たいなて思っただけだし。
つーか、姉ちゃん寝相悪くてヘソ見えてるし。
布団直してあげて取り敢えず横に並んでみた。
すげー安心できる匂い。
姉ちゃんの寝顔まじかわいいやべえまじやべえ。
で、暫くニヤニヤ眺めてたんだけど、姉ちゃんが起きちゃった。
すげー少女マンガみたいな絵づらになったんだよね。
長い沈黙。
僕も正直どうしたらいいか分らないし姉ちゃんがこらーって殴ってくるのを待ってた。
でも何もしてこない。
なんだ?やばい?もしかして強姦魔みたいに思われてる?とか色んなこと考え始めてあせって来た。
そしたら姉ちゃんが「いいよ」ってぽつっといった。
その時の僕は子供過ぎたのか真っ赤になりすぎて固まってしまった。
マジでやっちゃうのか?それはいいのか?
これはありなのか?まじなのか?
で、すげー沈黙。
そしたら、「うそに決まってんだろ!」って蹴り落とされた。
やべー腹いてー。で、その後何もなし。
僕はこれ以降完全に姉ちゃんへの思いを封印した。
でもあれは正直やっちゃいそうなくらい長い沈黙だった。
きっとあの時姉ちゃんも経験なかったんじゃねーか?
あったらもう一押ししてくるだろ普通とか今になると思う。
お互いどうしていいか分らないし動けなかっただよ。
その後、この時の話はお互い一切触れず、
まあ、今は姉ちゃん普通に結婚して子供いて、僕は彼女いるもん(年収400超えたら結婚する予定)。
でもさ、
当時はこの体験ってすげーことで、周りの友達より数倍経験積んだみたいに思ってたけど
大人になって色んな人と会っていると、親兄妹恋人関係なく、下着くんかくんかしてる奴って男女両方いるし、
妹とか姉ちゃんとセックスしたことを自慢してる奴もいるからこんなのうんこみたいな話かもしれないけど、
まあなんだろう。キスぐらいしといても良かったかもって後悔してる。
2010年も始まったって事で、2009年内の射精回数をまとめてみた。
年間射精回数:183回
年間性交回数:75回
年間自慰回数:108回
月間平均性交回数:6.25回
月間平均自慰回数:9回
月間射精回数:15.25回
平均射精間隔:47.86H間隔
年間射精精液量:549cc
(1回を3ccとして計算)
(参考)
(総括)
仕事の関係上、出張等で去年比で大幅に射精回数及び性交回数が減少しているのが分かる。
しかし、自慰行為に関しては出張先では問題無く実施可能な為、大幅な減少は見られない。
しかし、どう見積もっても3cc以上の射精が行われたケースが多々存在した。
これは、射精間隔が伸びた事による事象と判断する。
去年のエントリーはこちら
自衛厨の傾向のひとつに「ムラムラさせられたら襲われても仕方がないだろ。ムラムラさせるのが悪い」という発言もあるけれど、こういう人たちにはムラムラさせられたら自慰で発散するという発想はないのだろうか。
お腹すいてる時に焼きたてのパンを持っている人とすれ違ってより食欲が刺激されたところで普通は相手のパンを奪ったりしないだろう。
家に帰るなりどこかのお店に入るなりしてご飯を食べるのが普通だ。
そういう人の性欲は、刺激されたらもうすぐその場で相手に暴力をふるう形で発散しないとどうにもならないものなのだろうか?
家に帰るなり、家までも待てないなら近くの公衆トイレでオナニーするのではどうしてだめなのか。
ちょっとした刺激でもすぐに辛抱たまらなくなるんだとかいうなら、いろんなオカズで耐性をつけるようにして性欲をコントロールできるようにするのが自己責任なのではないのか。
けれどそうならないのは、実はそういう人たちがムラムラしている時に刺激されているのは性欲じゃなくて嗜虐欲だからだ。目をつけた弱いもの相手に暴力をふるいたいと思うから殴っているだけなのだ。
そして性欲と嗜虐欲があまりにも深く関連付けされ過ぎていて本人に区別がつかなくなっているのだろうと思う。
更に嗜虐欲は発散してはまずいけど性欲なら三大欲求のひとつなんだから諌められる謂れはないと思っているため、あんなにも堂々と「ムラムラさせられたら襲われても仕方がないだろ。ムラムラさせるのが悪い」などと言えるのだろう。
そういうことを考えている人は、自分が満たしたいと思っているのが性欲ではなく嗜虐欲であるということに気づいて欲しい。
そして、世の中は性欲と嗜虐欲が結びついている人の方が少ないか、それが結びついていることに自覚的で故に嗜虐欲の部分については(通常の暴力衝動は他人に向けないように自制するのが当たり前なのと同様)自制的であることを当たり前とする人が大半であることを知って欲しい。
「よう,性犯罪者」
歴史の授業を終えた教室で,通りがかった同級生に一言投げかけられた.
開始のチャイムが鳴り終わるまでに眠りについた僕には何も理解出来なかった.
性犯罪以前に性という単語に意識を持つには少し早いかもしれない中学1年生((今の子達はもっと早いのかな))では,セックスという言葉さえ直感的にどういう作業を指しているのかもわからない.
おっぱいのことを考えたら勃起をするなという認識に留まり,自慰さえもしたことがなかったのだ.
真意を尋ねたところ,先の授業中に先生が何かの話題から脱線して,服の色とパーソナリティの関係の話を始めたのだという.
その話の中で,性犯罪者の服装の色には赤が多く含まれていると12,3歳の僕たちに向かって宣ったのだそうだ.
当然生徒達は周りを見回し,赤い服装の人間を探すだろう.ちょうどその日,カッターシャツの下に赤いシャツを着て深い眠りについていた僕は性犯罪者として祭り上げられたのだ.
犯罪者って何か格好良いから別にいいかと思っていた僕は母をモンスターペアレントに進化させるなり,子ども電話相談室に電話するなんてことは思いつかなかった.
その話と因果したのかはわからないが,その日僕は初めて自分の精液と相見えることになった.
夕方,部屋での暇をベッドで過ごしていた.寝た状態から足を頭の方へ持って行くように腰を曲げるなどして,自身の体が割とやわらかいことを楽しんでいた.
気づいたのは自分の性器が顔にとても近いことである.このまま口で触れられるのではないかと好奇心を持ち,ズボンを脱ぎ捨て,再度その体勢を取った.
くわえられたのだ.
味はよくわからない.尿の臭いも感じず不快感がなかったので,吸いついてみたところ,
何とも表現し難い寒気が背筋を走った.
次の瞬間,放出寸前の尿意と同じ感覚が訪れ,僕は真剣に焦りを感じた.
しかしこのレベルの尿意では部屋を出て,トイレに辿り着くまでの5秒でさせも足りると思えなく.
やむを得ず自身の口で受け止めることを決心した.
尿道を走る液体は,まるでマックシェイクとコーラの差だと感じる程に固体感を持って,僕の口へ向かって走ってきた.
全て口の中に含んだ.焦りを落ち着ける為に僕はまずズボンを穿いてベッドに座った.
僕は病気なんだろうか.これは血尿というやつかと考え,口に含んでいるものを見るのが怖くなった.
そういえば液体を出した直後に性器を直視していない.しかしそれを改めて直視するのも恐ろしく感じ,3分程佇んでいた.
とりあえず吐き出そうという結論に至り,部屋を出てトイレへ行こうと立ち上がるその瞬間.
母が部屋へ入って来たのだ.
飲み込んだ.
出ていた液体がどんな色をしていたのかもわからないまま,無味だった精液は僕の体へと返されていった.
その夜,母が作ってくれた夕飯のまぐろ丼に乗った山芋おろしの食感がひどく鮮明に覚えている.
さっき飲んだのって山芋と似てんなって不安に思っていたが,その白ささえも似ていることを知るのは歴史の授業で自慰について先生が次に話してくれた後であった.
精通がセルフフェラ,口内射精,ごっくんとフルコース.但し一人.
今でも銜えられる度にその最初のことを思い出して,射精から遠ざかる.
皆最初から擦ることを編み出せてたの?
それは性器主観論の押し売りだ!
右手主観派の見解によれば、自慰とは「本来ならパートナーに与えるべき快感を自分にだけ与えている」ものだから、自己満足のそれとなんら違わない。
自己満足の話にしたって、逆に「本来なら関係者から与えられるべき満足を自分からもらう」と捉える説もあるのではないか。
要するに「自ら与え自ら受ける」というプリミティブな部分は共通しているのだから、ええじゃないか。
http://anond.hatelabo.jp/20091114164532
確かにオナニーは自分を性的に満足させる行為だ。自己満足も、性的とは限らないけど自分を精神的に満足させる行為だ。
でも自慰と自己満足、それぞれ「自」がついている意味は正反対だよね?
自慰に「自」とついている意味は、「本来ならパートナーからもらうべき快感を自分からもらう」ってこと。
自己満足に「自己」とついている意味は、「本来なら関係者に与えるべき満足を自分にだけ与えている」ってこと。
【↑】を【↷】にしたから「自」なのか【↓】を【↷】にしたから「自」なのか、意味が反対なんだ。