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はてなキーワード: 教会旋法とは

2022-10-31

[]空気公団の「歩く」と「田中さん日曜日ダンス

作曲アラフォーこどおじ増田

カテゴリー付けました

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現況報告

なんか他の人が曲作ってたね

ねえねえ、いま俺すげえかっこ悪い感じになってね?

俺が作ってやんよ、みたいに大言壮語吐いてからの、そのやり取りしてる間黙々と作ってた人にハイこれ、ってさらっと先越されてるよ?イケメンしか勝たんくね?

しか普段から作曲してる人っぽいよ?めちゃくちゃクオリティ高いよ?

これ大丈夫

いや別にやましい気持ちはこれっぽっちもないか大丈夫だよほんとにほんとに

俺は誰と話してるんだ

SoundCloudに垢作った

ついでに昔持ってた歌ってみた垢を探してみたら見つかってしまった

メアド死んでるはずなんだがぁ?なんでお前は生きてんの?

とりあえずフォローしてみた、ちなみに歌ってみたは消えてた、俺が消したんだっけ、覚えてないぞぉ?

9年前に更新したプレイリストけが残ってる

我ながらちょっと偏ってるけどリミックスとかマッシュアップとかタイクラシックとか色々入ってて曲選が好み、やるやん?

そしていくつか聴けなくなってる

あの頃はサブスクなかったんだっけなあ

垢、暇な人は探してみてください

ちなみにこどおじで検索したらお仕事関連の音源がいっぱい出てくるよ、現実に突き落とす罠だね

ついでにりゅうおうのおしごとも出てきたけど見なかったことにする

さておき、コード進行には大いに迷う

スマホアプリコードを聴き比べながらスケールとか調べだしたらいつの間にか無調性とか教会旋法とかWikipediaの沼にずっぽしハマって抜け出せなくなった

歴史面白えなあ、そして下らねえなあ

ともあれ、作曲はまだまだ掛かりそうな予感

記事タイトルについて

すげえ好きなのにSpotifyで聴けないんだよなあ

「旅をしませんか」のキリンジ弟がヴォーカルで入ってるバージョンはある、ヨシ!

キーが高くなってて良き

作曲できたらアウトロ空気公団のなんかの曲をワンフレーズくらいくっつけようと思ってる

オリジナル曲著作権フリーですって言っとき問題ないよな、よな?

だめかな、不安になってきた

2011-01-14

酔っぱらいながらぶちまける

近親調以外の転調を遠隔調への転調と定義することで、調性圏内の和声は飽和した。広い意味での調性、あるいは無調、またそのようなものの連結は、厳密には定義されず、慣習として認知されるにはま歴史の積み重ねが足りない。

もともと、教会旋法があり、そこからの選別を経た結果として残ったIonian、Aeolianが一時は主導権を握り、和声的連結ももっぱらこの二つを考えたものだ。

ところが19世紀、ドビュッシー教会旋法を再評価する。(厳密にはドビュッシーに限らず、かのリストや数々の音楽家から群発的様相をもって現れてきたものだが、代表はドビュッシーである、ということは異論はないはずだ。)そのドビュッシーの「帆」は、全体にわたってMTL1、すなわち全音音階が散りばめられ、幻想的な雰囲気を醸すことに成功している。後にも先にも全音音階が効果的に使われたのはこの曲のみといっても過言ではない。

この時期は、既存和声の崩壊が随所に現れる。トリスタン和音、神秘和音といった概念はこれまでの和声に衝撃を与えた。型破りな進行と、限定的、効果的なものが共存したそれは矛盾をはらむことなく組み込まれていくこととなる(もちろん、穏健的な層からの反発はあった。今でこそ評価の高いドビュッシーの作品すら「誤用」と声を挙げるものもいたのだ。)

SomethingNewを求めた先に、過去歴史の再評価があったとはなんとも興味の惹くところだが、この時代の印象主義に限らず、あらゆる作曲家は新たな音楽観の萌芽を享受し、育んでいったのだ。

また、クラシック音楽界隈以外にもJAZZ誕生など、別方面からムーブメントが起こったのは見逃せない。巨大な市場が成立すれば、作曲家も無視するわけにはいかなかったのだ。JAZZ史を俯瞰するだけで何十万字という文章が書けるが、今回は省略しよう。とにかく、新たなアプローチが産声をあげ、互いに影響されたのだ。

そのなか、新規性が斬新さを持ち過ぎて受け入れがたい空気が醸成されたのもまたひとつ事実であるストラヴィンスキーの「春の祭典」は、初演当時そうそうたる作曲家――ドビュッシーサン=サーンスなど――が席を同じくしただが、その結果は賛否両論がふさわしく、それ以前「ペトルーシュカ」まで彼を評価していたドビュッシーすら、この演奏以降をもってアンチポジションを取るようになるほどのものだったのだ(もっとも、ニジンスキーのあの振り付けを初めて見て冷静に評価しろというのもなかなか難しい注文だと思うが)

これを期にして、というわけではないが、今後の音楽シーンは「クラシックな」ところから乖離していく動きが目立つようになる。シェーンベルクがドデカフォニーを確立し、システム的な面が強調されるようになる。後のセリー技法に直結するこの動きは、今日穏健派から黒歴史認定されている。

時系列的に和声の展開を捉えれば、それは不協和音程の和声的獲得である現在パワーコードやモーダルクラスターなど、ごくごく当たり前に用いられるのも、こうしたプロセスを経たものである

では、この先どうなるのだろか。

すでに一部急進派は、微分音を積極的に導入し、1オクターブを何十分割にもしてきた。穏健派も遅れながら、限定的な用法で微分音を導入しつつある。十二音を崩壊させてどこへ行こうというのだろう。

和音連結が微分音を獲得するときはくるのだろうか。

 
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