はてなキーワード: 上品とは
その日、仕事が長引いて終電に間に合わなかった私は先輩に車で家の近所まで届けてもらった。
ここで大丈夫ですよ、と送ってもらったお礼も伝えて下りた場所は家までまだ少しある。
いつもの駅はちょうど反対側だったから最近あまり通っていない道だ。
川づたいに延びる土手をテクテク歩く、昔はよくこの土手で遊んだなあ。
坂の上から寝っ転がってクルクル回りながら「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」とかしたっけ。
小さいの頃のことを色々思い出してノスタルジックな気分になる。
時刻は深夜、昔と何一つ変わらない場所に、夜ハイな私、水面は街頭を反射してキラキラきれいだ。
辺りをぐるりと見回してみたけど誰もいない、今がチャンスだとばかりにバックを置いて横になる私。
と、こんな風に書くとまるで生粋の頭の悪い子なのだけど、もちろんそこに至るまではためらいもあった。それもおおいに。
でも子供のころ楽しかったことが大人になるとできないのは何か嫌だというか、もう半ば意固地になってしまい暴挙に及んだ。
つまり「あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!あ、あ!」である。
いざやってみると恥ずかしさもあったけれど、童心に帰れた気がして少しの満足感もあった。
河原の部分まで転げ落ちる。
そしてふと顔をあげ。
あ、人がいる。
寝転がる私とそれを見る男性というのは遠くからシルエットだけ見てみればさぞシュールな光景だったろう。
私は光の速さで服を整えさっと起き上がったが何もかも手遅れだった。
どこかのスナイパーみたいに全身に草を散りばめた前衛的なファッションの私にその若い男性は明らかに笑いを堪えている。
もういっそ川に飛び込みたい、走って逃げたい。でもそうもいかず足の指先から頭の先まで真っ赤に染まった私はそこから動けずにいた。
いっそトコトコとすぐ側まで歩いて来たその人を川に突き落としてやろうかとも考えたけど、たぶんご近所さんだろう足が付く。
気まずい空気が流れる。
笑いながら通りすぎていってくれれば良かったものを変に律儀なのか
その男性は立ち止まって、さっきまでの吹き出しそうな顔はどこへやら今にもごきげんようなんて言いだしそうなポーカーフェイスを装っている。
髪に絡まった葉っぱをできる限りの上品な仕草で取り除きつつ私は「こんにちは、お散歩ですか、じゃあさようなら」なんて
適当に会話を済ませて一刻も早くこの状況から抜けだしたいと頭の中で会話をシュミレートしていた。
が、
「楽しそうですね」これが男性の第一声だった。
後から考えればこの人なりのフォローだったのだろう、でもこのときそれを言われた私は正直恥ずかしすぎて涙ぐんでいたと思う。
大の大人がスカート履いてああああ言ってればそれは楽しそうに見えただろう、でもそこは武士の情けでしょう。
毛を逆立て顔を真っ赤にしながら押し黙ってしまった私に
少し挙動不審となった男性は、昨日引っ越してきたばかりで近所を歩いていた、そこの建物に住んでいる、近くにコンビニはないかみたいなことを身振り手振りで聞いてきた。
コンビニはあるけど駅の近くなので私の帰り道と同じ方向だ、ゆっくりと腕を上げ向こうの川岸を指して、私はあっちとまるっきりデタラメを言ってしまった。
そのままバックを拾って振り返らずに家まで帰ったけれど、あの人は橋の方までUターンして行ったのだろうか。
後日よくよく思い出してみると相手はいいお年頃の男性だ。恋愛上手なお嬢様ならこれも出会いのひとつにしてしまうのかもしれない。
でもやっぱりあんな出会いは嫌だなあ。
白っぽい猫を殺した時の話。
庭に入ってきては家庭菜園を荒らすクソ猫に業を煮やしたので殺す事にした。
買ってきた猫用のエサを食わしている間に近づいてなるべく頑丈な麻袋に入れてから、
猫が暴れるので袋の表面が波打つような感じで、悲鳴っぽい鳴き声も聞こえた。
ばしーんばしーんと20回ぐらい叩きつけると猫は鳴かなくなった。
それでも溜まった鬱憤が腫れないので続けて30回ぐらい繰り返すと腕が疲れてきたのでやめた。
袋の口から中を覗くと、原型をとどめたままの猫が死んでいた。
がっかりである。
もっとクリーミーな感じにぐずぐずに崩れているかと期待したのに。
袋の口をぎゅっと固く縛り、クリーンセンターに赴いて燃えるゴミのところに放り込んできた。
気分は最高にすっきり。
その晩は気持ちよく眠れた。
それから一週間ぐらいが経過して、よくいくコンビニの窓に猫探しのポスターが貼ってあった。
俺が殺したのがこの猫だろうが、そうでなかろうが、「だから何?」って話だ。
そういう連中が髪ボサボサの無駄毛まみれの女が好きかと言うと違う。
スキンケアしっかりしていてデパートで買ったファンデーションを下地からお粉までしっかり仕上げた上品な陶器のような肌が好きだし、
ムダ毛を永久脱毛で根こそぎ処理され、日焼け止めや日傘やアームカバーで紫外線対策バッチリのシミ一つない色白ツルツル肌が好きだし、
素の瞳より黒コンで大きくなったパッチリ黒目が好き。
磨かれた外見を持つ人の方が好まれているのは事実。
男でも女でも関係なく。
芸能人の美しさは普段からの念入りな手入れの賜物。
結果、大勢に好かれ応援されている。
でも「外見を磨く努力が無駄」って言う男たちはその事実を受け入れようとしない。
というかそういった努力でしか得られないレベルの美しさを女に「天然で叶えて欲しい」と思ってる。
毛穴の存在しないすっぴんであって欲しいし、無駄毛にはそもそも生えないで欲しいし、ガツガツ食っても太らないで欲しいし、
薄着で無防備に日差しの下を走り回っても色白うるうる肌でいて欲しいし、元々大きい黒目であって欲しい。
無理。そんな女居ない。奇跡的に居たとしてもお前の相手はしない。お前が奇跡のイケメンになってから言え。
髪ボサボサで無駄毛ボーボーで眉もゲジゲジで食いたいだけ食うから小太りで腕や鼻や頬がいつも日焼けで赤くなってるような女と付き合ってる男だったら
色白で、華奢で、本当に無口な子だった
そんな子が、当時の俺にはよく話しかけてきていたので、
「もしかしたら僕の事好きなのかな?」といつしか思うようになった
内部進学で中学生になってしばらくすると、彼女は突如不登校になった
教室を掃除する際、俺がその子の机とイスを移動させるとヒューヒューとはやしたてられる
今にして思えば同類と思われていたんだろうな
その後ある日、「俺の名を呼ぶ子供」から電話があったが、電話に出た糞親父はベロベロに酔っていて相手の名をろくに覚えちゃいなかった
俺はもしや、と思い電話をかけたが、彼女の母には上品な物言いで否定された
外部の高校に進学してから、俺は彼女の家を訪ねてみようと思った。最初の同窓会でいい話を聞かなかったからだった
こう書いてて、ほぼ思い込みだけで動いた当時の俺は本当にキモイと思う
案の定、帰って!!と物を投げつけられて退散する事になってしまった
それから15年以上
ミッシングリンクの原因になった糞親父は会社を潰して姿を消し、大学を辞めた俺は一年ほどのニート暮らしの後にかろうじて地元の工場に潜り込めた
ストリートビューが出現して真っ先に検索した、JR線沿いの彼女の家があった場所には、分譲マンションが建っている
もう同窓会には行けない。彼女が今どうしているかなんて聞けやしない
「平凡な日本のサラリーマンは子ども手当を不正受給しようとしたら良心が痛むが、貧乏な国の外国人にはそんなヤワな良心はない」とすでに主張してることを踏まえると、上記引用部分は「貧しい地域の犯罪率が大きいのは、貧しい地域の人達には良心がないから」という主張だと読んでいいのか?
平凡な日本人が失うものに比べて大きいものかな?
母国が貧しければ貧しいほど大きい。
平凡な日本人から見れば彼らの失うものが小さく見えるかもしれないが、わざわざ海を渡って「貧しい国の外国人」を歓迎しない日本にやって来ているということからも分かるように、彼らにとって「日本での在留資格と日本での収入」ってのは大きいんだよ。
「不当に養子証明書を得る方法」について日本国の財源の心配をしなければならないほど詳しい、と思ってるなら偏見。
貧乏な国の外国人と常習犯罪者の犯罪傾向をざっくり同視してから論を進めているのを自覚した方がいいよ。
俺はお前は既に差別主義にかなり侵されていると判断して、
・自覚してないなら、自覚するきっかけとして
それがね、もう2日に1度以上の確率で遅延するの
5分とか10分とかは可愛いほうで、たまに15分や20分遅れる
もちろん、
アナウンスで言うのは「混雑の影響で」なのね
あのな、朝の通勤電車なんか混雑するのが当然だろ
毎朝同じ量の混雑をしてるだろ
そんな理由で納期をランダムに遅らせていいなら仕事なんか楽しくてしょうがねえよ
今日は「○○駅で車両接続に手間取りました関係で遅れが出ております」だってさ
「混雑の影響で」ってのはさりげなく乗客に責任押し付けてるわけだからさ
結局、京急の職員、現場かシステム作ってるやつか知らんけど、京急の職員が、
そうやって細かい不手際をほぼ2日に1ぺん以上の頻度で
とやってるわけですよ
全ッ然改まらないし頻度が減らないのは京急も職員もそれでいいと思ってるからでしょ
これやっぱり乗客が物分り良すぎて上品過ぎるからじゃないのかなあ
災害による遅延で交通機関の職員に食って掛かってる下品なオジサンが良く顰蹙の対象になるけど、
京急みたいに災害でもなんでもなく常態的にダラダラ遅れるような交通機関の職員には
そういう下品なオッサンがガウガウ言ってくれたほうが皆のためになるんじゃないのかな
ガウガウの直接的対象になる職員がその事態に責任を持つかはわからないし、無関係のことも多いと思うけど
そういうことをやってれば「頻繁に遅れちゃいかん」「だらけちゃいかん」ていう空気は作られるでしょ
何の世界でも、文句や叱責が無さすぎる職場が緩まないことなんてないんだから
朝の時間を頻繁にランダムに10分20分削られたら出社時間の調整もスケジューリングもありゃしない
「混雑の影響で~」というアナウンスが流れるたび、
目を血走らせた下品なオッサンが運転席や車掌席の壁をガンガン蹴っててくれればいいのにな
と思う
トラバありがとう。
すごく言葉遣いが乱暴な子と付き合ったこともあるんだ。
(乱暴っていうか、訛りらしい。たしか東北出身)
だから、乱暴な言葉遣いに対してショックを受けたわけじゃなく、
ナチュラルに二面を使い分けていた事にショックを受けた。
誰でも外面内面、ってのはあると思うんだけど、
そうすると俺にはずっと外面のままだった、って事だし
俺に対して内面になったらなったで、外面の彼女もまた見ていくことになるんだろうし
将来的に…って事も、考えなかった訳じゃないから
外がどんだけ綺麗でも、内と違いすぎる人ってのは
それが好きだった分、不信に変わっちゃったんだろうな。
大人しくて上品な所とか、俺に不似合いなくらいでちょっと嬉しかったんだよね。
元カノは今時、ちょっと珍しいくらい奥ゆかしい子だった。
もっと崩してもいいよ、って感じで態度も言葉も丁寧で一歩下がってる。
そういうのは性格的に、無理だから、と言う。
笑い方も擬音にすると「ふふ」って感じで
ちょっと上品だなって好ましく思ってた。
けれど、元カノとデートしていたある日、急に彼女が嬉しそうに手を振って叫んだ。
突然の事で面食らった。
視線の先には同い年くらいの女の子。
なんでも、小~高校まで一緒だった腐れ縁の友達らしい。
「おい」って呼びかけも、相手の名前を呼び捨てにするのも、
俺の知ってる彼女とは全然違ってて
あっけに取られていると、「久しぶりだな」みたいな会話をしながら、
彼女が笑った。
それは擬音にすると「がはは」って感じの笑い方だった。
友達と別れると「がはは」笑いは引っ込んだ。
何時もの彼女に戻った。
俺はなんか白昼夢を見ているような気分だった。
実は彼女は俺が家に行くのを少し渋っていた。
弟は鬱気味のニートで、彼女の給料だけが頼りという家庭だと聞いた。
周りの人と比べても、全然遊んでいる感じがない彼女の理由はこれだったんだと知った。
まあ俺も多少は分かるし、話も合うかなとか思いながら
「汚い家だから…」と口ごもる彼女に、気にしないからと言って半ば押しかけた。
家は小さかったけど、別に汚くなかった。むしろ、小さい中でよく綺麗にしてるな、って感じだった。
弟君も、暗いけど、異様な感じは受けなかった。PCも普通に触らせてくれて、接続状態は良くなってお礼を言われた。
お母さんは酷く恐縮した感じだった。その日は元気そうだった。
でも、態度まで、家だと親父だった。
母親や弟に呼びかけるのはやっぱり「おい」だったし
「XXしろよ」とか母親や弟に命令口調だった。
それでいて、俺との会話は何時もの彼女なんだ。
結局彼女とは別れた。
別れた後、「増田君、彼女の家が色々問題を抱えてるの見て分かれたんだって?」と元カノの友達からすごい嫌味を言われた。
俺は「別にそうじゃない…」とかなんとか口ごもったと思う。
だって、「おい」なんて他人や肉親に呼びかける彼女を想像できる人なんて、周りに一人もいなさそうだったし。上手く説明できなかっただろう。
今だに、俺も信じられないくらいなんだから。
お前だって親父がおふくろ相手にオメコして生まれてきたくせになに上品ぶってんだよこのクソがw
最近ネット上で「昔の女性は品があってやさしくて、男を立ててくれたというのにおまえらときたら……」と言っている男性(?)をよく見かける。
ダメダメな現代女性の典型例である私は「サーセンww」とは思うものの、彼らの望む大和撫子になろうとは思えない。
昔の女の人は男に従わなければ生きていけなかったし、「女は男に従い、おしとやかにふるまうもの」と教え込まれてきた。
だからずっと猫をかぶっていたというだけのことであって、基本的に女の本質なんて今も昔も変わってないと思うのね。
かつていた素晴らしい大和撫子たちも、もし現代風の教育を受けていたなら、その大半は残念な女になっていたこと間違いなし。
しかし、古い映画や小説の中に出てくるような、いかにも上品な女性を見かけたときなどは、
さすがの私もガサツでだらしないわが身を省みて「なんてみっともないんだろう……」と思うことはある。
自分を抑圧し、臭いものには蓋をして生きるのはもちろん窮屈だけれども、
本能のままに醜い自分をご開帳して平然としてるのもそれはそれでどうなんだ?
そう思うと、
「男尊女卑だの、人権を踏みにじってるだのと、散々に言われてるかつての教育にも、いいところはあったのかもしれないなあ」
なんてことをぼんやり思うのでした。
とはいえ、散らかり放題の部屋で夜食を食べながらネットしてマンガ読んで、
女の人が猫をかぶらなくてもとりあえず生きていける、今の時代がやっぱり楽でいいよなあ、と思ってしまう。
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回はクレーム処理で目指すべきゴールについて書いた。
そこでの結論は、
(クレーム処理の)ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
と言うことになるのであり、心構えとして、
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
もしクレーム処理をする局面に突入したら、レインボーブリッジを封鎖しながら、ぜひとも叫んで、気合いを入れて乗り切って欲しいところである。
トヨタのリコール問題はABSに問題がないことを告げ、お客を怒らせてしまったところにあることは既に書いた。しかしこのように書くと、なんでもお客さまのいうことが正しくて、それを全面的に受け入れなければならない、と読んでしまう短絡的な人が現れてしまいたいへん困るのである。
もちろん問題がないのであれば、それをあえて「問題がある」という必要はないのは当然だ。ただ、「問題がない」=「問題があるのはお前だ」となってしまうのがまずいのである。
この差が分かるであろうか?
クレーム処理とはお客さまに対話の機会を提供する事であって、どちらが正しいかを議論すること、ではないのだ。
昨今、ちまたにお客さま至上主義という言葉があちこちに溢れている。
お客さまによいことはなんでもしようという立場を取ることは、たいへん危ういというか、ほんとうに理解しているのだろうかと訝しがって眺めてしまう。
これには論点が3つある。
1.利益になるなら/なったならお客さまによいことはなんでもしよう。
(ただし、コストが合う範囲で)
2.お客さまの言うことはなんでも聞く(ただし聞くだけ)という態度は改善点を呼び込みやすくなる。
3.わたしたちは、お客さま至上主義に最適化した事業を構築した。
1.の論点は非常に分かりやすいと思う。お客さまの言うことを聞きはするが、それは利益の出る範囲でしかやらない、と言う観点だ。たとえばそのお客さまが既に商品を購入していて、そのアフターケアとしてお客さまの言うことを利益が出る範囲でやるのであれば、それは当然に当たり前の事だ。また、そのお客が見込み客として将来利益を生む源泉となるのであれば、当然に営業活動の一環としてやるべきだろう。
しかし、こうみてくれば、当たり前の観点で、利益どころか損害になるお客はわざわざ大事にする必要はないし、単にたかるだけのDQNなら、放り出して、塩でもまいて、二度とのれんをくぐらせないぐらいの覚悟は必要になる。問題は、そのお客が利益になるのか、ならないのかの見極めであり、当然に利益になりそうなお客と、損害になりそうなお客ではこちらの態度を変える。問題はその目利きとしてのお客を見る目であり、逆に言えばすべてのクレームは金にならないと考えるのは、商売人失格と言える。
2.の論点は別の要素も含むので、若干説明が難しい。基本的にクレーマーは、問題点を改善し二度とそのような理不尽な思いをしないこと、そして、その理不尽な思いをしたということにたいして、なんらかの手当をしさえすれば大抵引き下がるものなのである。そのなんらかの手当が、菓子折であるか、おいしいお茶と1時間の会話であるか、懇切丁寧な初動対応であるかは、お客によって変わってくる。しかし、少なくとも精神的な苦痛を受けたので慰謝料を払えというレベルで迫られるのは、よほど対立が激しくなって、大喧嘩に発展させてしまった場合か、相手がDQNな場合だけだ。
また、この論点は、こちらの改善点がお客さまの観点から見えてくる、という部分でも重要である。クレーム処理は懇切丁寧にお客さまが遭われた状況をお聞きするだけで、解決することが多い。そしててきぱきと問題の解決をしてあげる事で、安心するものなのである。
この点は後ほど書く。
3.の観点は、かなり特殊なケースでありレアケースとして、まれに無差別的お客さま至上主義を導入して成功する例があるという話だ。
お客さま至上主義を掲げる企業として有名な所と言ってどこが浮かぶだろうか?
真っ先に思い浮かぶのが世界最大の小売りチェーン、ウォルマートであるが、このウォルマート流の「顧客は常に正しい」をそのまま導入してしまおうとすると、たいへんな目に遭う。なんといってもウォルマートは、この顧客至上主義に特化して、自社のあらゆるものを構築しているのであるから。
ウォルマートでは、顧客からの返品はいつでも受け付けているが、その返品はそのままサプライヤーへ送られ、この損害はサプライヤーが受ける。つまり、この顧客によいサービスでウォルマートは一切の損害を受けない。
また、非常に安い賃金で従業員を雇い、徹底的にマニュアル化された顧客対応をする。
ウォルマートは、経営方針から、会社のシステム、社内ルールに至るまで、すべてを顧客至上主義に特化しているのである。これを、なんの備えもない普通の企業がまねたからと言って、損失を出してしまうだけに違いない。もしくは最下層の従業員にしわよせが行くだけになる。
日本の企業であればディズニーランドを運営するオリエンタルランドだろうか。
しかし、オリエンタルランドも、その顧客サービスはあの管理しきられたディズニーランド内のみでおこなわれている。たとえばディズニーランド内のゴミをせっせと拾う話は有名だ。ゴミ1つ落ちていない状況を作ることによって、お客にゴミを捨てにくい状況を作るのだという。同じように、ディズニーランドではDQNのような乱暴なお客が出にくいように、楽園的な雰囲気を維持している。それが抑止力になり、顧客至上主義を展開しても、お客が無茶なことを言い出しにくい環境を作り上げているのだ。
もし手軽にディズニーランド気分が味わいたいのであれば、Apple Storeを訪れてみてもいいだろう。確かに店員は親切にしてくれるのではあるが、店内は店員であろうと顧客であろうと親切で上品に振る舞わなければならない雰囲気に満ちあふれている。
このように、顧客至上主義を唱えて成功する企業は、同時に顧客がめちゃくちゃなことを言わないような、幾重もの施策を打ち、まるで要塞のように守られた環境で、その顧客至上主義を実現しているのだ。
もし一介の一社員がそれを1人でおこなおうとすればどうなるか。
それは、経営の問題であって、全社的にそれが上手く回るように取り組むのであればわかるのであるが、たった1人でおこなおうとして、出来る代物ではないのだ。まず、ここを押さえておきたい。
クレーム処理とはどんなものかと聞かれて非常に的確な言葉は、危機対応であると思う。自社のサービスを受けていたお客さまが理不尽な思いをする。そのときの危機対応を的確にすることが出来るか、これが的確なクレーム処理が出来るか否かであると思うのだ。
しかし、そのような危機というのは、頻繁に発生してもらっては困るものである。
たとえば、スーパーにやってきて買いものをしたら、その牛乳から異臭がする、腐っているのではないか。
このようなクレームが入ったとする。
しかし、よく考えてみれば分かるように、そんなことが頻繁に起こっては小売業失格であるし、だいたい洗練された鮮度管理を徹底した売り場でそのような事が起こるはずもない。それでもこういったクレームは必ず、ちらほらと発生する。
この場合、大抵その原因はそのお客の勘違いであるのだ。
店側に問題があることはほとんどない。
けれども、どうであろうか。お客さまはそう思い込んでいるのだ。牛乳が腐っていると。
このとき、クレーム対応者はこう思うとよい。
これはお客さまからの抜き打ちテストだ。
もし万が一、そのような事態が発生したときに、そのお店の人間は適切な危機対応が取れるであろうか、それをお客はテストしているのだと。それは避難訓練みたいなもので、もし万が一が危機が起こっても、そのお店は的確に対応できるとお客さまを納得させる、これをゴールとして考えるのだ。
お客さまは、普段はそのお店で信頼して買いものをしている。
すくなくとも卵が腐っているかもしれないとびくびくしながら買い物をしていないことは間違いないと思う。しかし、あるとき、ひょっとしてと、その信頼が揺らぐときがある。そしてお客はそれをお店に突きつけてみるのだ。
ほんとうに、このお店は鮮度管理がしっかり出来ているのだろうか、と。
もし、この危機対応テストで、いや、腐ってませんよ? などと言ったら、お客さまは確実にテスト結果に落第点をつけるだろう。そして、もしほんとうに腐っていても、同じように言い訳をするのであろう、と思い込み、店の信頼はがた落ちになる。
初動としてどんな対応がいいのだろうか。
こんなのはどうだろう?
「ちょっと、この牛乳腐ってるんじゃないの? 変なにおいがするのだけど」
「はい、変なにおいがしますか。不快な思いをさせてしまいたいへん申し訳ありません。当店は鮮度管理は行き届いておりますので、そのようなことがあるとはにわかには信じがたいのですが、万が一と言うことがございます。たいへんお手数ですが、いつお買いになられたのか、などをお聞かせ願えますか? 至急調査したいと思います」
この対応のポイントは、お客さまが変なにおいがしたという不快な思いに対してのみ謝罪している、という所だ。まずお客さまの主観を一切否定せず、主観的に不快な思いをした点にはのみ謝罪している。牛乳が腐っているとはみとめておらず、万が一があるので、調査したいと切り返している。
顧客にしても、このケースはでは牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
顧客がみているのは、ほんとうにこの店は大丈夫なのか? と言う部分なのである。
このような観点でトヨタのリコール問題を振り返ってみると、トヨタはこのお客さまの抜き打ちテストに落第してしまったために、何か問題があっても嘘をつくに違いないと思われてしまったところに敗着がある。
クレーム処理は危機対応の抜き打ちテストみたいなもので、そんな危機にどう対応するかがみられているのである。牛乳が腐っているかどうかはどうでもいいのである。
(つづく)
最近は、材料に凝った店をよく目にする。厳選された塩、とか選りすぐった肉とか。
ラーメンやらでも一つ一つの材料を吟味してよい物を使ったというふれこみの店が多い。
残念である。
これは一見手の込んでいるように見えて安易なことだ。ラーメンならラーメンのそのほかの料理ならそれのフォーマットはそのままで
優れたパーツをそろえることで美味を追求する。
ここには新しい味を創りだそうという気概がなく、あるものを整えて気の利いた作品とすることしか見えない。
私は日本人で、この国の文化が好きだが、たとえば韓国の幾種類もの材料を組み合わせて新しい料理を生み出すこととどれだけかけ離れていることか。
もちろん、日本の料理にも独創性の素晴らしいものも、新しい味の発見もふんだんにあると思う。
ただ、そこらへんの「厳選食材」の山で作ったさして評判にもならない店は、ただ上品なだけで陶酔するような旨さも無く、
食材の説明(効能書きとすら言える)からどれだけ旨いものが!と期待してもそれは缶スープと出来合いの麺による
昔ながらのチープでジャンクな中華そばの延長線上にしかいない。
最後の方からネトウヨと同じにおいを感じた。
うんざりするのは分るけど、人の意見を否定するなら根拠を示すべきだと思う。相手に嫌な思いをさせるだけで不毛だから。
意見が違うんだから、増田にとっての正解や常識とネトウヨのそれは違う。「恥ずかしい」とか「外人の目から見たら」とか、だからなに? って話になる。「こういう奴らに考え方を変えろだなんて言ったって変わらないだろうから、勝手だろうが、言わせてもらいたい。」って、ネトウヨも思ってるんじゃないかな。言うのは構わないんだけど、理屈にはあってない。
むかし私目線でいう「朝鮮人を差別するネトウヨ」にその理由を聞いたら、朝鮮人の悪事を書いた記事のコピペや荒らしばかりで、お前には分んないとか日本の恥だとか、朝鮮人乙wwwとか左翼教育の犠牲者だとか、散々言われたよ。質問には答えてもらえず議論にもならない。
増田は彼らよりずっと上品だし意見も近いのだけど。うまく言えなくて、ただの中傷になっていたら申し訳ない。貶したいわけじゃないんでマイルドな感じに読んでもらえたら嬉しいです。
あの美しい鼻濁音の「が」を聞く度に俺は昇天しそうになったぜ。
それに真麻はアナウンス技術が高いだけでなく、歌も上手いんだぜ。
一時期すげー痩せちゃったけど、最近は少し元気そうになったんだぜ。
本当にまじいい女だよ、真麻。
真麻ぁぁぁぁぁ!!!!!!
「ノーパンしゃぶしゃぶ」ならぬ「ノーパンそば屋」のお話・・・と言う訳ではない。
そっちじゃなくて王様のほうだ。そうそう、そっち。
・・・まぁまぁ、そう言わず聞いてほしい。ずいぶん前の話で申し訳ないのだが。
いつぞやの12月に大勢でそば屋に行った。
「江戸時代からある老舗の超一流のそば屋」というふれこみだった。
言いだしっぺが誰だったか忘れたが、そば食いの自分としては行かないはずが無く、
そりゃあワクワクしながら行きましたよ。ええ。
店の入り口はこじんまりとしていたけど、中に入るととても広くて、およそそば屋に似
つかわしくは無かった。さぁ、各テーブルにみんな座って注文と思ってお品書きを見る
メニューは天ぷらそばとかというのはなく、そばはそば、てんぷらはてんぷらで別になっ
・・・。
・・・。
凄い待った。
そば屋で30分待ちとか有り得ない。既に、みんな会話も無い。
そしてようやく出てきたそばをみると・・・・少ねぇぇぇぇぇぇぇ!
ひとくち分かよ!
挙句にてんぷらはかきあげだった。これも小さい、7~8センチだった。
みんなも「さすがに上品だね・・・」とか、なんともいえない雰囲気であった。
確かにそばというのは、本来一つ一つのもりは少なく、間食としてするっと食べるもの
だ。そのため、食事としてならもりの場合ならセイロは2枚で1人前となる。
いや、通ぶってそんなウンチクを垂れながら"どこにも1人前とは書いてないから、2枚
頼まないほうが悪い"なんていうつもりは全くない。自分だって1枚しか頼んで居なかっ
たのだから。
ともあれ、ようやく出てきたそばに感謝しつつ
おいしいね! さすがだね!
と和気藹々と食べていたのだが、さすがに食った気もありゃしないので、1枚1000円
もするもりそばを追加で2枚頼んだらみんなも実は私もと言うわけでこぞって追加した。(笑)
そんなこんなで一人4000円近くも出してそばを食べたわけだ。(orz)
店を出てきて表の広場で思い思いの感想を語っていたのですが、俺が思わず・・・
「なんか、そばもてんぷらもぜんっぜんたいしたことなかったね。もう(来ること)ないね。」
といった瞬間、みんな一斉に俺のほうを見たかとおもうと、無言でうなずいた。
そしてみんなで大爆笑!
そば屋が裸であることはみんな気づいていた。老舗という権威の前に言い出せずに居た。
ただそれだけ。
「実は俺も(私も)そう思ったんだけど、言い出しにくかった。」と感謝された。(笑)
念のため言って置くと、別に「俺そば食いだから」とかみんなに言ってないし、一切仕
切ったり威張ったりしてないです。そしてこのグループ内の地位とかまったくないただ
のいちスイーツ(笑)Aです。
おそい、まずい、ぼったくり
何が老舗じゃ、そば屋の風上にも置けない。
二度といかねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20091013164917
娘の身長が143センチだ。現在21歳。就職活動中。今だにすっぴんでカジュアルな服装だと小学生と間違えられる。
スーツをオーダーして身体に合わせると、フィット感が出て、だいぶ違うかも。どの道、5号とかだと、合うサイズめったにないし、お薦め。
娘のスーツ姿がさまになってきたのは、えーと、高校卒業してアルバイト始めたときだった。仕事にまつわることはそつなく覚え、すらすらと答える。背すじが伸び(反り返るんじゃなくて、まっすぐ立つ)、両手の動かし方が楽な感じになった。化粧は薄めだが眉を細くして手をいれてるんだけど、上品にまとめるってことを覚えたようだ。つまりはいろいろなことに慣れて「よどみない動作・なじんだ服装・目立たない化粧」になってきたら、大人っぽく見えてきた。元増田にもきっとそういう日が来ると思うよ。