はてなキーワード: ハンバーガーとは
食べ物屋を相手にしてる話だけに、俺は彼女の言ってることの方が正しいと思う。
「金払ってんだから、取り置きしておくぐらいのこと、手間でもなんでもないじゃん。自分のハンバーガーが冷めようがどうしようが、店が気にすることじゃないよ(笑)」ってみんなは思ってんだろうか。自分の扱う品物にその程度の気持ちしかそそがないで仕事してて虚しくないのかね。虚しくないんだろうね、きっと。
彼女は「作ってくれた人の気持ちを大事にしたかった。それを踏みにじるような真似をしてごめんなさい」って話をしてるんだろう。それに対して「そんなこと気にしてたら疲れるだろ」とか「彼氏が正しいよ」的レスがつきまくる状況ってちょっとどうよ、と思う今日この頃。
伊豆諸島なんかで暮らしてたら、漁業最高!ってなるんだろうか。デッカイのも普通に取れて、そうなるんだろうなぁ。
いやぁ、羨ましい。
それでもやっぱり地の食物最高ってところだろうか。僕のなんのソースも無い思考によると、きっと海より大地の方が相対的な栄養度では勝ってるんだろうなぁ。
やっぱ大地も凄い、いや、大地が凄いから海が凄いこともわかるのである。
海も凄い。どう考えても海凄い。
サンマとかマグロとか今どれぐらい海にいるのだろうか。重さにするとどれぐらいなんだろう?何千トン?もっと?もっといくだろうなぁ。凄いわ。何匹いるんだろ。君の家の浴槽何杯分なんだろ?
人間より多いかな?人間より重いかな?でもそう考えると人間も凄いのか?
いや、人間は凄くない、凄いけど、そんなに凄くないことに気づくんだ。
そう、人間を支えているのは海と大地だ。それを人間は消費してる。
てことは、どう考えても、帰結としては海と大地凄いってことなんだね。
生態系凄い、それを支えてきたこの星は凄い。どんだけ母なるなんだよ。どんだけー
なんかこんなこと考えてたら、最近それに反しているのがマクドナルドやその他の企業なんだなぁって思った。
それはなんでかっていうとさ、聞いてくれる?ありがとう。
それはなんでかっていうと、僕が思うに、マクドナルドのハンバーガーは加工されちゃってるじゃない、原形が見え難い、そして同時に、完全契約で食材を調達している。
これってさ、なんか人間の土台の上に立ってるみたいで、アレなんだよ。自然軽視っていうの?なんか頭が回らないから各自で考えてよ。
あんまり自然の事考えなくなってるでしょ、君たち。でもね、自然はやっぱり凄いんだよ。そんなアレゲな話だったわけ。
恥ずかしいからさらにお茶を濁すけど、うんこして、それを8秒間見つめて、あぁ自然だわ。って自然回帰しようね。都会人もたまには自然とも触れ合わないとね。
さらにさ、全然関係ないけどさ、マグロとか飼えるんだよ、水族館だよね、もうそれは水族館。でも、水族館で出来るんだから、自宅で出来ないはずもないよね。だからマグロは飼える。そうさ、マグロだって飼える。
家にマグロ飼ってるんだ、見てく?そんなことが気軽に言えちゃう。凄い、これって凄いこと、ファンタジーだよね。君もファンタジスタ!
当該の商業施設の事業者は無線LANサービス事業者と異なるのだから。
(まさかYahooがハンバーガー作ってると思ってる馬鹿はさすがにいないだろ?)
買わないことが追い出していい理由には(規約上)ならないんじゃないのか
無線LANサービス側に対象商業施設に対する利用規定が明示されてないなら、
その利用規定は商業施設の管理者が決定していると考えるのが自然だろう。
そこでその商業施設に「商品(サービス)買わなくても利用できますか?」って聞けばすむことでしょ。
確認せずに思い込みで「利用できないのはおかしい」と居座るのは馬鹿のすること。
不満なら双方の事業者に改善要求をするのはもちろんかまわないが、改善されたとして
収支の健全性を確保するために利用料が500円→5000円になってもしょうがないよね。
おかわりを自由に何回でもできる100円のコーヒーで半日つぶしてもいいかな?
またそういう喩えをするし。
「テーブルの上に、高級フランス料理や和風家庭料理、たこ焼きやハンバーガーなどのファーストフード、そして普段口にしないようなちょっと特異な食材を使った料理がそれぞれ皿に盛ってあって、どれか一つ好きなものを食べてもいい」という状態だ。
じゃあ、多対多の恋愛になるとどうなるか?
「好きな風に食べてもいい」という状態になる。
と書けば意味が変わってきちゃうよね。
1つしか選べないなら高い物や普段食べられない物を選ぶ。
でも複数選べるなら、今日はフランス料理の後でたこ焼きも食べたくなる、ってな風になる。
何が言いたいかっていうと、そういう比喩には意味がないってこと。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/higepon/20070411/1176302811
ここにあったBIG MAMOUというハンバーガー屋に行ってみた
ホントうまかったよ
もっと早く知ってたらなあ…閉店とは残念だ
ちなみに20日まで開いてるらしい
事実である部分もあるけど、違和感を感じる部分もあるので取り上げてみます。
神話その1
膨張した世界人口を養うだけの食糧が足りない。だから食糧増産が必要だ。
これは確かに神話だね。世界には60億人強の人口を養うには十分な食糧が存在する。
でもそれを供給システムがちゃんと整っていない。
先進国のアメリカでは、3,000万人が充分な食糧を確保できず、アメリカの子供たちの8.5%がお腹をすかせており、20.1%が飢餓に面している。一方、代々アメリカ政府と農家は過剰生産に頭を痛め、1995年にアメリカ政府は300万トン以上の穀類を海外に輸送するのを援助している。
よくアメリカに対するステレオタイプな批判で耳にする台紙だけど、
いくら貧富の格差が激しいアメリカでもこれはないって・・・。
マクドナルドのハンバーガーだって1ドル以下で買えるわけだし。
これは事実だね。先進国はもちろん新興国や途上国でも出生率は減少傾向にある。
女性の地位向上はもちろん重要だけど、避妊などの教育だって重要。
世界中で進む環境破壊が食糧生産のための資源を脅かしていることは確かだが、その逆は必ずしも真ではない。森林破壊の主な原因は大企業にあり、季節はずれやエキゾチックな野菜と果物、または熱帯の木材で先進国消費者を魅惑し、その需要を受けて企業や大地主が途上国で大儲けをしている。
これって欧米(日本もかも)の左翼的というかマルクス主義的な考え方の典型例だね。豊かな人達が「季節はずれやエキゾチックな野菜と果物」を求めて何が悪いの? そういった需要に答えることで新たなビジネスを作ることができるじゃないか?
一分間ごとに6人が農薬中毒にかかり、毎年22万人が農薬のため死亡していると推測されている。
これも確かなデータは無いから何とも言えないけど、ちょっと疑わしい。
だって農薬によって農業生産効率を格段に向上させることが出来るようになったのは事実なんだしさ。
確かに農薬の問題はそれはそれとしてあるけど、でも農業に農薬が使われるようになる前と後では、後のほうが明らかに生産者にとっても消費者にとっても良かったことは疑いないわけで。
神話その5
新しい種の開発で穀物の収穫は確かに増えた。しかし増加した食糧と富を手にしたのは経済力を持った少数という構造は変わらなかった。そのため「緑の革命」の成功例であるインドやメキシコ、フィリピンなどでは穀物生産量と穀物の輸出量は増加したけれど飢餓人口は減らず、むしろ貧しい人々が食べる食糧を栽培する農地が奪われてしまった。
基本的に食糧生産の増加は善で、最終的には全ての人の生活水準を上昇させることにつながるんだから、これもまたステレオタイプな考えだと思う。
神話その6
一般的に国が工業化すればするほど農業従事者の人口に占める割合は減るわけで、それでも食糧生産を増加させなければならなくなる。
そうなると農業従事者1人あたりの生産性を向上させないといけない。
そうなると農業の大規模化を進めなければならなくなる。
民営化が手段であって、それ自体は善でも悪でもない。
民営化をあからさまに賛美したり、拒否したりするのはどちらも正しいとは言えない。
その8 自由貿易が解決策だ
自由貿易だって万能じゃないけど、一般論として自由貿易はそれを行う両国にとってメリットがあるわけで。
ただ敵対的貿易になると危険だけどさ。
例えばブラジルが大豆の輸出を急激に伸ばし日本やヨーロッパに家畜飼料を供給していたとき、ブラジル国内の飢餓人口は3分の1から3分の2に増加した。
「ブラジルの飢餓人口がは3分の1から3分の2」って本当かよ。すげー疑問。
NAFTAやGATT(現在ではWTO)などの貿易振興政策は、世界中で最低の賃金・最悪の労働条件・最低の環境基準の競争をしかけ、労働者たちに国境を越えた「奈落の底へのせめぎ合い」を強制する。
こういう議論は世界中の「富」が一定量しか存在しないという前提でしか成り立たないわけで。ここでいう「富」というのは、人がお金を払って欲しがるもののことね。「価値」と言い換えてもいい。
実際には近代に入って以降、地域によって大きな不均衡はあったけど、世界中の富は一貫して増大し続けている。
だいたい今21世紀初頭に生きてる人間のほとんどは、先進国人であろうと途上国人であろうと20世紀以前の(それぞれの地域の)どんな時代よりも豊かな暮らしをしているわけで。
メキシコとアメリカにその一例が見られるだろう。NAFTA以来アメリカでは25万人、メキシコでは200万人が職を失い、両国において飢餓人口は増え続けている。
確かにアメリカの格差は拡大したかもしれないけど、一方でほとんどの人が今までのどんな時代よりも豊かな生活を享受しているのもまた事実。アメリカで失業者が25万人って、人口3億人のアメリカでは0.1%以下なわけでその程度の失業率の変動なんて市場経済が存在する以上当然存在するんだよ。
メキシコにとっても世界最大の経済大国アメリカと経済関係を深めることは経済成長をする上で重要だ。
ここにも「強いもの=悪」という単純な二元論が読み取れるよね。
確かに先進国からの援助がムダ使いされたり、もっと悪いと被援助国の状況を悪化させてしまうことがあるけど、それでも「先進国からの援助=悪」と単純に決め付けるのはおかしい。
例えば第2次世界大戦後アメリカがヨーロッパ諸国に対して行ったマーシャルプランは大成功したわけで。
結局のところ援助の内容と目的が問題なんだよ。
おいおい、これは全然別物だろ。前者はやばい。後者はやるべき。
俺たちから見ればこんなのはゴミです!と表明するのと
俺たちが一番好きなのはこれだ!と表明するのは全然違う。
俺の住んでいるところには「あからさまな中国料理屋A(シェフがカタコトで味が日本人に全くこびていない)」と「なつかしい日本の中華料理B(味が日本人好み、シェフも日本人)」があるけど、どっちもにぎわっているし、どっちもおいしい。片方で見た客をもう一方で見たりもする。どっちが正しい現代の中華人民共和国料理かといったらAで、認定されるなら絶対Aだ。で、認定されたとしても両者のビジネスに全く問題はない。
認定制度に反対するのは、Bとしての自信がなさすぎるからでしょ。反対した時点で「俺の料理は底が浅いです」と言っているのと同じだ。
ある日私は気が違った。世界の方が変わったとのだと思いたいが、常識的に考えると、やはり私の気が違ったのだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。私の気が違ったのではなく、皆の気がすでに違っていたのではないだろうか。私は今でもそのように思っている。
私の家にかわいい女の子がやってきた。名前はみい。照れ屋で少しはにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。彼女は人見知りをしたが、私には特別懐いてくれたので、私と彼女はよく遊んだ。場所はもっぱら近所の草原だった。なぜかうちにはハンバーガーがたくさんあった。父が何やらツテがあるらしく、私も大好きだったので、それをお昼ご飯に持って行き、ピクニック気分で毎日のようにでかけた。そこで私と彼女は二人で寝転がりながら、いろいろなことを話した。最近あったこと、そしてこれから先の将来のことを。私はかわいいお嫁さんになりたいな、と照れながら言った彼女の横顔が今でも忘れらない。
しかし、そんな幸せな日々は終わりを告げた。朝起きて、彼女に会いにいくと、そこに彼女はいなかった。家の中も、近所中も、そして彼女が大好きだったあの場所も探したけれど、彼女はどこにもいなかった。私は両親に彼女の居場所を聞くと、彼女は売られたと言う。今朝早くに、車に乗せられ。私は泣いた。そして怒った。どうして彼女を売ったんだ!?と。両親は仕方がないだろ、と私をなだめた。しかし、私はますます怒り、そして焦った。彼女の身にもしものことがあったら!?両親につかみかかり、彼女がいる場所に連れて行け!早く!一刻も早く!両親は諦めたのか、悲しそうな顔をして承諾した。お前も家を継ぐんなら早く知っておいた方がいいからな、と。
車で1時間30分程の道のりだっただろうか。しかし、彼女のことが心配で気が気でなかった私には何時間にも感じられた。その場所につくと、私はまたもや叫んでいた。彼女はどこだと。両親が大きな白い建物を指さすと、私は脇目も振らずに駆けだした。彼女は!彼女は無事なのか!?それだけしか頭になかった。両親が電話で話をつけていたらしくその建物から出てきた白衣の人は私を見つけると案内してくれた。彼女のことを想うと殴り殺してしまいそうだったが、彼女がいる場所がわからないので、それまでは素直に従うしかない。途中、白衣を着せられ、3分程歩いただろうか。工場の内部の広い空間につくと、ほら、あそこらへんですよ。白衣の人が言ったので、私は指さされた方を見ると、彼女がいた。いや、彼女とおぼしきものがいた。無数に。数え切れないくらいに。首を切られて、解体されて、内蔵を取り除かれ、肉塊となったものが逆さにされて、数え切れないくらい吊されていた。あまりの状況に、呆然とした私は立ちつくした。肉塊と成り果てた数え切れないくらいの死体を眺めながら。
しばらくして私は彼女を捜した。肉塊を丹念に見ていきながら。しかし、やはりそれは肉塊なので、彼女かどうかはわからなかった。呆としながら歩いていると、切られた首が山積みになっている場所を見つけた。見つけた私はそこに駆け寄り、無念そうな顔、恨みがこもった顔、痛そうな顔、いろいろな顔をした血まみれの首を必死に掻き分けた。彼女の首がありませんように、彼女が肉塊に成り果ててませんようにと祈りながら。途中、両親や白衣の人が止めに入ったけど殴り倒した。そんな場合じゃなかったから。一刻も早く。一刻も早く彼女が無事であることを確かめなければならなかったから。そして、何十の首を掻き分けた頃。それは見つかった。悲しそうな、かわいいお嫁さんになりたかった彼女の、悲しそうな顔が。
その後、私は取り押さえられ病院に連れて行かれた。そして気が違っていると診断された私は入院することになった。入院中は悲しみで何もする気が起こらなかった。両親が会いに来てくれてもほとんど話さなかった。彼女のことを思うと、そして彼女と同じように処分されていた彼女たちのことを思うと、とても話せる気分じゃなかったから。しかし、少しして私は気づく。どうして彼女は、彼女たちは、首を切られ、腑を取り除かれ、並べられていたのだろうか。あんなことをされていたのだろうか。翌日、両親が来たときに私は2週間ぶりに言葉を発した。両親は驚き、そしてとても喜んだが、私の問いを聞くと、また沈んだ顔をして、静かに答えた。そして私はようやくわかった。彼女たちが何だったのか。
その後、以前のように振る舞った私は2週間で退院することになった。そして帰りに確かめにいった。彼女たちが行き着く先に。
明るい店内。賑やかな雰囲気。にこやかな接客に、綺麗な包装。その包装を丁寧に開けると、私は止まった。包装の中から彼女が。彼女たちが。大好きだったそれが、やっぱり現れたから、現れてしまったから。病院で何度もシミュレーションしたはずなのに私は止まった。止まった体が動かなかった。そして彼女との思い出が甦る。大好きだった、彼女との思い出が。何分経っただろうか。彼女との思い出を全て思い出した私は、静かに息を吸い、心を決めた。心を決めた私はかぶりつく。彼女に、彼女たちだったものに。大好きだったそれに。泣きながらかぶりつく。泣きながら、吐き気を抑えながら、拒絶する体を押さえ込みながら、ぐしゃぐしゃの顔でかぶりつく。そして数分後。私は食べ終えた。彼女を。彼女たちを。大好きだったハンバーガーを。
やはり私は気が違っているようだ。あの出来事以来、彼女のことを思い出し、全てがそのように見えてしまう。だから、スーパーなんて地獄だ。首を切られたり、バラバラにされたり、あるいは生きたまま(といっても瀕死に近い状態だが)の彼女たちが店中に陳列されているように見えるのだから。しかし、だからといって、ベジタリアンなどを薦めるつもりはない。幸か不幸か、私にも野菜はそのようには見えないが、それは他の人には見えないような光景が私には見えているように、他の人には野菜が私と同じように見えているのかもしれない。なぜなら、それらは皆、全て生き物だからだ。
だから、私が、気が違ってる私が言いたいのはそうではない。確かに私は気が違っているが、その一点、魚や肉が人間に見えるという一点において、気が違ってるだけだと思っている。だから、それ以外の点では、特にある一点ではむしろ私の方が正しくて、皆の方が気が違っていると私は思っている。それは、私がこの話をすると、バカじゃん?あれは肉や魚じゃん?と言って生き物であると認識しない人間だ。昔の私のように、それは肉や魚、ハンバーガーという名の食べ物であって、何で出来ているのか、何の命だったものなのか、それを生き物だったと、考えない人間だ。自分は生き物の命を奪うことで生きながらえてるにもかかわらず、食べるために生き物を殺す行為を忌避し(例えば生きてる魚を捌くのを嫌ったり)、そして素知らぬ顔で食べ物を貪る人間だ。
モスバーガーを知らなければマックのハンバーガーがおいしいハンバーガーだと思って食べ続けるだろうし、CDなんてなければカセットテープで満足できていただろうし、インターネットがなかったらいまでもテレビばっか見ていただろうし、ワープロがなかったら今でもペン持って字を書いているだろうし、童貞だったならば自分の右手だけで満足できていただろうし。
こうまで大量の情報と広告に埋もれていると、気になるなって言う方が無理だろうと思うんだけども、気にならないようになるんですか。悟り開けますか?
人間だもの、じゃないけどくだらない比較でくだくだ悩んだり自己嫌悪に陥った方が自然だし、それをblogなりここなりにぐだぐだ書いて、そういう誰もが持つ感情があちこちで読めるようになると、なんだぐだぐだ悩んでるの俺だけじゃないじゃんとかもっといろんなことを感じたり次のことを考えたりできるようになる素敵なウェブになると思う。わお!Web3.0!
なので、そんな変に無理して達観しなくてもいいじゃない!汚くて醜くてどうしようもない自分の発露がたくさんあることはそれはそれで素敵だ!増田は匿名なんだしみんなもっといろいろ書けばいいと思う!読まれなくたって下手な文章だってなんだって構わないから、どうしようもなくやりきれない感情をぶつけたような文章をもっと読んでみたいと僕は思うよ!
先程、何となくテレビを見ていたら『マジック革命』という番組がやっていた。あの街なかで看板からハンバーガーを取り出して食べちゃうマジックが有名なセロが出ている番組だ。
その番組の中で、ゴルフ場を舞台にセロがマジックをする場面があったのだが、これにモロにCGだと思われる映像の乱れ(画像のブレ、解像度が微妙に違う)が見受けられた。「これに対して視聴者はどう思っているんだろう?」僕が、テレビ番組を観てる最中にそう思ったときは、2ちゃんねるの実況板を覗くようにしている。大方の予想通り「どう見てもCGです。本当に(ry」との意見が目立つ。そんな中にも「CGとか言ってるやつキモい」「セロのマジックはCGと思わせるほどに凄い」との意見もある。
あれが本当にCGかどうかは別として、僕はテレビ番組でCGを使って視聴者を騙す様な作りは別に良いと思っていた。それは観る側にメディアリテラシーがある、と僕が思っていたからである。夕食を食べた後、緩〜い編成の垂れ流しテレビ番組を見ながら、「これはねーよw」「今のはさすがにCGってバレバレだなw」とか言いながら、お腹を休める。これが現在のゴールデン番組の立ち位置だと僕は思っていた。
先程から過去形を頻出させてるのは、現在改めて考え直さざるを得ない状況にあるからだ。それが、今巷を賑わせる『あるある大辞典』の問題だ。僕はほとんどあるある大辞典という番組を観なかったし、例え観たとしても「納豆でやせるだ?有り得ねーだろw」とケチつけながら、ガキの使いが始まるまでの時間つぶしとして観ていただろう。
しかしこの問題で浮き彫りになったのは、あるある大辞典の情報を信用している人が結構居た、ということである。それでまた、ねつ造をしていたことに対して「怒っている」人が居るってな始末である。近頃の炎上ブームに乗っかって、ただ単にお祭り騒ぎがしたくてあるあるを批判している人も大勢いるとは思うが、あれだけスーパーから納豆がなくなる事態が起きたってことは、そういう人も少なからず居るのである。
さてここでセロの話に戻る。僕が今思うことは、あるある大辞典の情報を鵜呑みにしてしまう層の人々が、「マジック革命」を観たらどのような反応をするのだろう。ひいては(セロのマジックがCGで加工されていたと仮定して)セロのマジックがCGだったと週刊誌が報じた場合、どのような反応をするのだろう。この場合ややこしいのは、「マジック番組でCGを使ってはいけない」というルールが存在しないことだ。しかし、CGを使うということは、加工前の映像を撮影しなくてはならないので、出演者(セロのマジックに驚く役者)もマジックに共犯的に加担している。これをやらせと呼べるかどうかは限りなくグレーである。
しかしこの風潮だと「やらせだ!騙された!」という論調が通ってしまいそうな気がしてならない。
あるある問題で、関西テレビが謝罪番組を放送した。ここでの「放送局の信頼を裏切る行為。視聴者、関係者の皆様。誠に申し訳ございませんでした」との発言が引っかかる。僕は、まず前提として「放送局への信頼なんて1ナノも持ってね〜よ!」というスタンスである。だからこそ、CGを使ったマジック番組も鼻で笑って観られるし、エセ科学とねつ造情報の番組も時間つぶし程度に観られるのだ。
しかし頭っから信用してしまう人もいるんだな、ということ知り、更にこれからテレビ番組は面白いものを作ることが難しくなってきたな、と思う。なぜなら面白いもの作りには、作り手と受け取り手にリテラシーが備わっていることが条件だと僕は思うからだ。
かわいそ
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/aruaru2/index2.html
なんか、もう完璧信じきってしまってる人とかいるのね。
両方とも「健康の追求」が至上命題なんだが、まぁ医者が出てるだけ後者がましか?よくわからん。医者っていってもいろいろだし。
まぁ、あんだけ壮大な捏造するくらいだし、この掲示板の書き込みも本物かどうか…げふんげふん。
とか流行りませんかそうですかそうですね。
まぁあるあるばかり叩いてもね。公共放送のアレは平気なのかね。あとズバズバいう中のひとの番組とか。
それにしても国民の多くが健康オタク化してませんかこのごろ。中年くらいのひとを中心に。
数年まえまでは、一部のひとだけじゃなかったか。ここまで健康を信仰するひとは。
意識が高くなったのか、洗脳されやすくなったのか。BSE問題からはじまってる気がしないでもない。思い込みかも。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070120-00000032-jij-int
115歳か。この年で自然死ってすごいな。印象だけど、高齢になるほど病気で亡くなる気がする。やっぱり年を取ればどこかはわるくなるんだし。
健康なんて意識したことあるのかな、こういう人は。
カナダに住んでいた経験では、ベジタリアンも多いけど、そうでないひとは肉食べまくるよ。
ああこの人はケベックの人か。じゃあちょっとおれの知ってるカナダ人とはちがうかもしれないな。
というネタを思いついた。
100年続くことはないので確認できないとかなんとか。
ありふれてるよね。つまんなくてごめんね増田。もう寝る。
先日、友人と二人でとあるハンバーガーチェーン店に行った時のはなし。
その日は大晦日の夜。店はかなりの賑わいをみせていたので、オーダーは友人にまかせて私は二階へ席の確保に向かった。
案の定満員に近かったけれど、窓際のカウンター形式の丸椅子が運良く二つ空いているのを発見した。
私は左端に座り、横の席を確保すべくバッグを置いた。しばらく友人を待っていると、横から女性の声が聞こえる。
「ねー、超ムカつくんだけどー」 隣の誰かに話しかけているようだが、明らかにこちらにも聞こえるほどの大きな声だ。
「この席取ろうと思ってたのに、先にとられちゃったー」
えっ、と思い右を向くと、その声の主は一つ右隣の若い女性で、相方らしき男性に話しかけていた。
ああこの席の事かと思い、
「どうぞ、使ってください」とバッグを引き上げ、席を譲った。
さて席をどうしようか、とりあえず一つだけ確保しといて連れだけでも座らせようかと思案していると、横からその女性の声が。
「ムカつくよねー、先に来てたのに」
確保するなら何か置いとけばいいのに、なんだこいつはと思い、思わず睨みつける私。そして、相方らしき男性。
「まあいいじゃん、譲ってくれたんだから」
私と目を合わせた彼は、苦笑いしながら軽く頭を下げていた。
その後すぐに、入り口付近の席が二つ空いたので、私はそちらに移動した。
・・・・・・
文句があるんだったら直接言えばいい。直接言えなければ、その場は我慢すればいい。
しかもその後。「席が取れて良かった」ですましときゃいいのに、なぜ蒸し返そうとする。全く意味が分からなかった。
これは、そのひと個人の性格であり、一緒くたに「これだから女は」と言うのは間違っていると思う。
けれど、これがもし男性だったら直接言ってきただろうし、席を確保した時点でその話は終了したのではないか。
なんだか女性特有の嫌な部分に触れてしまったようで、後味の悪い出来事だった。
・・・でも、こんなとこに書いてる私も私だよな、どっちもどっちか。