はてなキーワード: (Ryとは
http://anond.hatelabo.jp/20090120003918です。色々なご意見や忠告、ありがとうございます。
まず、科学、技術、宗教、哲学、思想がごっちゃになっていることについては、本当にすいません。勉強してきます。
それと、私の視点がとても狭いものだったと言うことに改めて気づかされました。
コメントや紹介された記事から、もう少し自分の考えを整理したいと思います。
(改めて、と言うのはこのエントリーを書いているときに自分でも「?」だったからです。)
あといくつか言い訳など。
「極端に言えば・・・」の部分は、恥ずかしい話ですが「俺うまいこと言ったwww」的な何かを感じ取ってしまい、そのまま載せてしまいました。
すいませんでした。極端どころか間違(ry
自分が言いたかったのは、いいことだけじゃなくて犠牲にしたものたくさんあったんじゃないか、ってことです。
(それも反省すべきところの多い考え方ですが)ネットの下りは、はい、黒歴史がまた1ページ。
私自身は工学系で、科学的なものの考え方(反証可能性とか、多くの人と認識を共有できるかとか)は有用だと思います。
と言うか、それが出来ないと飯を食っていけません。食えていけるのか不安です。
話は変わりますが、文章を書くのも他人に分かってもらわないとダメなわけで、勉強して他の人の理解に近づけるって事は大事だと実感しました。
最後になりましたが、こんな低レベルで昔から何回も書かれているネタにコメントしてくださってありがとうございました。
「!!」と気づかされるコメントや、紹介された記事は、私にとって宝の山です。
これからまた、他の人が似たようなエントリを書いたときにも、どうか暖かくコメントしてあげてください。
直接的に恥をかかず、おいしいところ(良コメントや記事紹介)だけを得られるのがいいことなのかどうかは分かりませんが、
もう少し増田でやっていこうと思います。
よく女性が感情的・感覚的であるさまを「子宮で物を考える」と侮蔑的に言うことがある。
子宮と言えば性的なものなので、この言葉は女性が性欲に流されるさまを指しているように聞こえる。
それから、食欲とも関係している。性欲を司る脳部位と食欲のそれとは隣接しているから。
性欲や食欲に支配される自分に嫌気がさしたことは誰にでもあるはず。
だから、性欲や食欲に支配される馬鹿だと言われると頭に来る。
知らない人も多いようだが、本来は「子宮で考える」というのは女性の神秘的な第六感を褒めて言われていた言葉である。
子宮→性欲
という連想ではなくて
その結果、あたかも女性的思考が悪いことであるかのような認識が生じてしまう。
これに類似した例を考えてみよう。
痩せた男を「ヒョロ男」と言うことがある。
痩せてるのには良い面と悪い面があるが、ヒョロ男というのはむろん、悪い面を指している。
だから、この言葉を使うことで「痩せてる男は良くない」という認識が生じてしまう。
なるほど、明らかに痩せすぎな男をヒョロ男と呼ぶのは妥当なのかもしれない。
しかしながら、程よく痩せてる男にもヒョロ男と使われることがあるのが問題なのである。
例えば、フィットネストレーニングをしている友人達がいるが、彼らは「60kgの男なんてダサい」といった世間一般からはズレた価値観を持っている。
彼らの輪の中にいて60kg近くの男性がヒョロ男と呼ばれるのを繰り返し聞いているうちに、いつのまにかあたかも
このように悪い面だけを強調していると、いつのまにか対象を悪く判断するようになってしまうという現象がある。
こんな例もある。
悪いことではないのに、オナニーばっかりしてる男はダサいという認識が多くの人に共有されているという現実がある。
彼女いるいないに関わらずオナニーというのは多くの男性が多かれ少なかれするものである。
それにオナニーの悪い面がよく指摘されるが、それも医学的には不確かなものが多い。
逆に良い面もある。
オナニー中の脳の活動が非常に活発だったという研究結果があるし、性機能が高まったり、セックスの擬似訓練ができたりする。
それなのに悪い面だけが強調されて「オナニー」という言葉が使われることが多々ある。
こんな書き込みが2chにあった。
「>>26 俺が一番、他の人は糞メソッドですね分かります。オナニー乙」
良い面もあるものが、こんなふうに悪い意味で使われるのは残念なことである。
これと同じ現象が「子宮でものを考える」の件でも起きている。
学問のような理性的とも言える知能活動ですら、時には論理をすっ飛ばして物事を直観するからこそ偉大な業績につながる。
また、「机上の空論」という言葉があるように、優れて理性的で抽象的な思考であっても現実に即していなければ役に立たない。
現実に即した行動をとるためには、「具象的思考=感覚的思考」を合わせることが不可欠なのである。
なのに、「子宮で(ry」という言葉によって価値が貶められるのは暗澹たる思いがする。
ところで、「ダブルバインド」をご存じだろうか?
これは心理学用語であり、暴力を与える側と暴力を受ける側の相互の依存関係を指す。
例えば、暴力夫を妻が黙認するどころか、暴力をついふるってしまう夫に対する同情をしてしまうと、
互いに抜け出せないDVの泥沼にハマってしまう。
こういうのをダブルバインドと呼ぶ。和訳すれば「二重拘束」。
夫が暴力で妻を拘束するのと同時に、妻も「夫の暴力を黙認し止められなくしている」という意味で拘束しているというわけだ。
男性が「これだから女は」と言うのを女性が黙認してしまうと男性は言葉の暴力を止められなくなる。
それどころか、横柄な男を「男らしい」と思ってしまう女性さえいる。
そのような間違った男らしさがもてはやされることで、本当の男らしさが見えなくなってしまう危険性もある。
例えば、「ケンカの強い男がカッコいい」と思う女性が存在することで、需要と供給の関係じゃないが、
「ケンカが強い男」や「ケンカが強いのをカッコいいと思う男」が生産されてしまう。
言うまでもなく現在の少女漫画や女性向け小説の登場人物には、九州男児のような古き良き男らしい男性はあまり登場しない。
それどころか、今の少女漫画には「兄萌え」や「ご主人様萌え」もあるらしい。
そういうメディアの影響はきっと計り知れない。
総じて言えば、女性はM化の方向に動いているという面が間違いなくある。
SMを長くやっている友人も最近M女性が増えてきたのは嬉しいが今までとは毛色が異なる、と言っていた。
曰く、「昔のM女性は内気な人が多かった。今はほんとにMかと思うような闊達な女性までもがM。それに自己中心的で娯楽気分なMが増えた」。
そう、娯楽気分で男らしさを求めているという表現がしっくりくる感じがする。
メディアに踊らされているという意味では、今の「男らしさ」は歪んでいると言わざるをえない。
そして、男性どもはモテるためにその歪んだ男らしさに合わせて歪んだSになろうと努力するというわけだ。困ったことである。
この男女の構図は明らかにダブルバインドと類似している。
女性が男性の暴力を許すのみならず、一部の女性がカッコいいとさえ思うことで、男性は暴力を止められなくなる。
女性脳の良い面をきちんとアピールすれば、事態は少しは改善するはずである。
悪い側面だけ言われるのを許してはならないが、そのためには悪い面ばかり言ってるのを叩くだけでは、
図星を突かれて憤慨してるようにしか見えない。
なので、自らの良い面も主張する必要がある。
ところが、2chの男性論や女性論のスレをみる限りでは、女性は自らの良い面を主張するのにあまり成功していない。
女性脳の良い面を主張するよりは、男性の悪い面を叩くことで自己防衛してるふしがある。
そうすれば議論には打ち負けないで済むが、結局「女性脳に対する不当評価」を汚名返上出来ないままになる。
だから、議論が終わったあと、男性は「やっぱり女性は子宮で物を考える」と思うことになる。
もっと良い面を女性達が自覚するようにメディアが働きかければだいぶ違ってくるだろう。
生あずまん見てきたよ。
講義にもぐった理由
・ネット☆スター見て興味を持ったから
・著作読んだら、えらく面白かったから
読んだ本
『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』
ホントは先週行こうと思ってたんだけど、腰が引けてた。
んで、行かないで家でぼやーっといつもどおりネットしてたら、はてなでなんかもめてた。
↓こんな感じで
東浩紀問題、または歴史修正主義問題について(開かれた学問・知識について:前編)
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20081213/1229172460
ああ、こりゃ早めに行っとかないとモグリ禁止もありうるなということで今日行ってきた。
講義に出ていろいろと思ったこと・感じたこと
1.
教室が小さい
講義に出る前は、てっきり大教室でやってるもんだと思ってた。
テレビに出てるくらいだし、そこそこ名前が売れてる批評家なので。
ところがどっこい、かなり小さい(と言ってしまうと失礼に当たるのかもしれませんが)教室です。
ふいんき(ryも、講義する人と学生の間に「関係」があるのを感じさせるアットホームな感じです。
簡単に言ってしまえば、人数多めのゼミみたいな感じ。
なので
次は、トラメガを持って東工大に行きます。
こんなこと書かれたら非常に迷惑だし、普通は怒るだろうなと。
確かに大学は開かれている「べき」だけど、mustではない。
時と場合によるし、あの「規模」だと開かれていなくてもしょうがないかなと。
歴史云々について
授業の前半30分くらい使って説明してた。
別に難しいことは言ってない。(以下はワタクシの解釈)
自分が体験したわけではない「歴史」というものは、物語でしかない。
その物語の「強度」によって人は「真実」であるとか「捏造」であるとか判断する。
常に更新可能であるし、閲覧した時点での記述が閲覧者にとっての「真実」となる。
また、「ソースがwikipedia(笑)」って感覚は「ソースが歴史学者(笑)」に通じるべきだ。
少なくともポストモダンな人は。
ってあずまんは考えてるんじゃないかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA
南京大虐殺論争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89
id:toledって人は、wikipediaで言うところの「ノート」で議論して、
らちがあかないから「みんなで編集合戦しようぜwwww」って言った様なものなのかな。
以下は生あずまんを見た後の、著作その他にかんする感想。
2.
http://watashinim.exblog.jp/8879908/
大塚 その話を聞いてしまったら、ポストモダンっていうのは、何もかもから距離を取れて、すごく楽な思想だっていう話になっちゃうよね。
東 楽と言えば楽ですが、楽じゃないと言えば楽じゃない……(苦笑)。
あずまんはポストモダンの「判断の不可能性」についてわりと謙虚な立場。
それは『波状言論S改』にもよく現れている。
ただ、それは「批評家」としてはどうなのかなーってのは確かに思う。
まぁ、「ずるい」と言われてしまってもしょうがないかなと。
(ただ、「ずるい」と言ってしまえる人ばかりだとまずいので「逆張り」している可能性もある)
宮台氏とか大塚氏は「イエネェっつっても世の中良くするためには何か言わなきゃ」な人たち。
東氏は「なぜか」そこには触れたがらない人。
(『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』の序章で「生と実存の問題には触れていない」とはっきり書いてある。触れろよ!)
東 この議論は続けても仕方ないんじゃないかな。今、大塚さんはぼくの人格を批判しているので、
それはやめたほうがよろしいんじゃないかと……。
大塚「なんで自分の人格(判断)を晒さないの?馬鹿なの?死ぬの?」
あずまん「それは人格攻撃じゃ・・・」
んー、たぶん、「政治学」が好きじゃない?から言わないのかなぁと。
3.
あずまんって、『リアルのゆくえ―おたく/オタクはどう生きるか』で明言している通り、
「政治学」に興味ないから(「僕は政治がわからない」発言より)あんまり「政治学上の定義」とかにこだわってない。
だからたまーに何言いたいのかわからなくなる。
「政治」っつっても、ウェーバーの「政治」とアリストテレスの「政治」とぜんぜん違う。
ロバート・ダール
の『現代政治分析』(岩波書店, 1999年)第1章「政治とは何か」とか読んでみればいいのにーって思う。
あずまんが言うところの「共感」とか「正義」って、ダールの言うところの「規範」かな。
デモクラシーって経験主義的に「正義(善)」とされてるから、そこは政治学では脱構築?しなくていいんだよね。
そこさえ乗り越えちゃえば、宮台氏みたいな「行動」をすることができるんじゃないかなぁ。
コントロール(支配力)control,影響力influence,権力power,権威authorityをかなりな程度含む人間関係の持続的なパターン
4.
さいごに
あずまんは笑顔がかわいい人でした。
男に好かれるのは判る気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20081215232602
ブクマを見てるとどんだけ「いい人」と「バカ」の集まりかと感心する。
素直に稲葉氏を「いいひと」と(皮肉交じりではあれ)ほめるか、「おためごかし」「偽善」とそしるかのどっちかじゃん。
まず後者から行くと、仮に「おためごかし」「偽善」でも、これをきっかけに常野やNakanishiBが奮起して少しでもましになればその方がいいはずなのに、それを否定するってのはつまり、ここで稲葉をdisる連中は、常野やNakanishiBが今よりましになり、かつ稲葉の子分になるより、今のまま駄目なままで自分らの味方でいるほうがいい、ってことだろ。どんだけ常野たちのことをバカにしてんだよ。稲葉の良い影響は受けつつ、悪い影響はカットする、って可能性は考えないのかよ。
それから稲葉を素直にほめるやつ。これだって馬鹿だろうが。つまりこういう甘やかしこそが相手を一層スポイルして駄目にするんだろうが。なぜそれを誰もきちんと指摘しねーんだよ。これこそお前らお得意の「地獄への道は善意で舗装されている」ってやつだろうが。しょせんどっちにもいい顔したいだけなんちゃうかと小一(ry
そりゃそうだ。だが、他愛のないメールでも返せって感じならアポなしで突撃されるような圧迫感みたいなのがあるんだ
むしろ他愛のないメールだから厄介なわけで、後回しにしていたら「なあ、なんでメールかえってこおへん?」みたいなメールが来るとかだな
一行なら一行で「なあ、なんでメール一行(ry とかなる奴もいるんだ。すぐすねるなら強要されているように思える点ではほぼ一緒だろう
「○○なら」とか、「○○とかなる奴もいる」とか、なんか関係あるようなないような話を色々書き込んでご苦労さんだが
ひとこと言っとくと、俺は「どっちもどっち」と書いた。彼女(元増田)が一方的に悪いとは書いてない。
彼氏の方にも改善できるならしたほうがお互い(=元増田と彼氏な)のためにいい点はあるんだろう。多分な。
で、何を必死になってるんだ?
お前、オナニー中に押しかけてくる女とかどうよ?
ある意味そういう考え方もできる。男の方がどんくらいか知らんけど、下手するとこのくらいのうざさかもな
アポなしで押しかけてくるとは書いてないぞ
そりゃそうだ。だが、他愛のないメールでも返せって感じならアポなしで突撃されるような圧迫感みたいなのがあるんだ
むしろ他愛のないメールだから厄介なわけで、後回しにしていたら「なあ、なんでメールかえってこおへん?」みたいなメールが来るとかだな
一行なら一行で「なあ、なんでメール一行(ry とかなる奴もいるんだ。すぐすねるなら強要されているように思える点ではほぼ一緒だろう
ボロアパート1棟。5から10室程度のもの
生きのいいニート数名
当面の運転資金
アパートにニートを住まわせ、その生態をインターネットで公開するサービス
ニートはニートハウスに居る限りにおいて居住と生命の安全を保証されるものとする
原則として各部屋のニートはそれぞれ持ち寄りの企画に基づいた生活を営む
企画としてはできるだけ人目を引くものが望ましい。電波少年や黄金伝説などで採用されるようなものを想定する
生活、活動の様子は人間としての最低ラインを除き、すべてインターネット上で公開する
各部屋それぞれにブログ、twitter、Ust、チャットや掲示板などを設営し、更新を義務付ける
1週間など適当なスパンで閲覧者による投票や各メディアへのアクセス状況などを集計し、成績が悪い入居者はニートハウスを追放される
部屋に空きが出た場合は新たに入居者を募集する。
入居者の募集に際しては、志望者およびそれぞれの持ち寄りの企画でコンペを行う。
生命に危険が差し迫った場合などは入居者と相談の上、企画の中断、退居を実施できるものとする
懸賞ニート:ネットの懸賞に応募し、獲得商品で生活を営むニート
株ニート:企画開始時に融資を受け、株やFXで生き抜くニート。資金ゼロで強制退去
イラストニート:ネット経由のリクエストに答えてイラストを描き続けるニート
通常のアフィリエイトのほか、各部屋の企画に基づいてスポンサーを募る
(株ニートであれば使用している証券会社、料理系のニートであればレシピサイトや使用食材卸、クリエイト系のニートの場合は使用機材メーカなどとのタイアップを図る)
外国で似たような企画があった気がした。もろパクリにならなければ大丈夫だろ
企画がパクリぽい場合は訴えられないようにアレンジすればたぶん大丈夫
ニートハウスポータルサイトTopにアパートのイラストを置いておき、各部屋の部分に入居者の顔写真を貼るなどして一覧性を確保する
炎上すればpv的においしいのでポータルサイトTopのイラストで該当の部屋から火の手をあげたり、ブログの背景を真っ赤に染めるなどして煽る(企画中断時は遺影に)
マンネリ化してきた場合は入居者間でケンカさせたり、ブログでの不謹慎ネタ、犯罪自慢などあらゆる手段を用いて各部屋を同時多発的に炎上させ、最終的にはニートハウス全体が火柱に包まれ爆発。壮絶な最後を遂げる
痴漢の話は一例。
リストラだと
こんな感じに突っ込めるって言いたいんだろ
http://anond.hatelabo.jp/20081211150016
ネタによる誇張表現だよ。
頑張っている奴とか保護されるべき奴は口を開かないのに対して保護があまり要らない奴とか自己努力を怠った奴は声を大にしやすいという印象が強く残りやすいって事さ。実際、正社員目指して頑張る奴も派遣でいいやって奴も立ち上がる奴は立ち上がるだろうし、立ち上がってない奴は自己努力の有無に関わらず奴は立ち上がってないのかもしれない。でも、印象の度合いは違うよねって。
http://anond.hatelabo.jp/20081130034946
上の無い知恵絞って必死に適当に書いたまとまりのない文章がなんか様々な反響と参考になる意見を沢山もらっていたので
これを元にもうちょっと掘り下げてチラシの裏に自己分析(診断?)してみます。
*
「長所は短所の裏返し」とのことなので、じゃあ短所を長所に昇華すれば(ry
もうこういう発想の時点でダメな気がする。気休めの捏ね繰り返しにすぎないと思うけど。欠点は欠点だし。
まあ「どこを見ても努力の証が見えない能無しだから」とかだけ言ってしまえば
それで俺は大満足だし皆も言うことないだろうからそういうのは自重する。
一番短所だと思ってるのは、学生時代からずっとコミュニケーションが苦手なこと。
その要因は「滑舌が悪い」「話が面白くない(笑える、興味深いという両方の意味でも)」「声質が変」「声が小さい」「自分の顔が嫌い」「無神経で失礼」
といろいろ。「面白くなくてそれで人間のつもりか」なんて思っちゃってるから、自分からコミュニケーションを取ろうとすることもなく、
克服するために路線バスを利用して料金を払う際に声を出して「ありがとう」と言ってみたり、声を使う仕事に就いてみようとしたり、
「話し上手」なんて無理だから「聞き上手」になろうと聞き手としてどんなアプローチが望まれるのか研究してみたり
ネット上の文章投稿で訓練とばかりの怠惰をしながら「コミュニケーション能力上がらないかなー」みたいなことは思ってたけど
それらが実ることはもちろんなく。そもそも努力ってレベルに満てないから。
そういうこと言ってるけど、実際の所は他人の、主に無神経さによく腹を立てたり憎しと思っていたりで、別に博愛主義者ってわけでもなく。
その辺は、子供の頃に人をからかって遊んでたことは隠せないと思った。
俺はこの短所はどうしようもないと思ってるけど、それでも長所に混ぜ返せるものなのだろうか。
*
そんなこと考えずに一心不乱に努力しろってのが正解に近い答えだとは薄々気づいているのだけど。
そもそも自分には実になる努力は無理、ってのは非建設的なのでやめておくとして、
目標を達したとしてもコミュニケーションが怖いからとか、目標に先立つ自信がないから動けないとかで。
*
自分を好きになれるというか、自信を持つこと、その理由を能力か他人以外にどうしても見出せない。
そういう理屈じゃないとは思うんだけど、誰かうまい自信の持ち方とか教えてくれないだろうか。
自信について、充実した人生送ってる母とか、能力生かして世渡り上手でリア充やってる姉とかに聞いてみたら
「誰も自信に満ち溢れて生きてる人なんていない」って共通した回答が返ってきた。
これは才能なんだな、って思った。
自己陶酔は自信のために必要で、それを表に出すのが驕りに見られるからダメなのかな。
そうは分かっても、自分の体のどこにも自分の好きな所はないんだけど。今のところ。
*
人と比べるというのは、なんか違う気はする。確かに負けず嫌いな思いは強いけど、人の良い所だけを見ようとは思ってない。
自分の好きな言葉には「十人十色」とか「一長一短」とか「攻防一体」とかあって、
俺と付き合って損なことも一杯あるけど、同じぐらい得なこともあるよって心意気で人とは付き合いたいと思ってるけど
*
「自分を嫌いと言っておきながら結局自分が好き」という自分ツンデレは、人間としての、抗し難い最低限の防衛機制だと思ってる。
それを含めて自分が嫌いで、そこは持ち上げるには値しないと思う。ここに書いてるのは、部屋に閉じこもってばかりじゃ価値観が広がらないからで。それも怪しいけど。
*
10才の頃に何してたかなんて、そこまで分析するのはどうかなと思った。
その意味を疑問に思うし、過去からは何も生み出さないっていうし。それに絶対途中でうわあああああああああああああああああああってなるからやりたくない。
こうやって自分にクヨクヨしてるのも、そんな風に今の自分の主観というフィルタから見ているだけだからで、
そのフィルタを外すか、とっかえる方法を見つけないとどうしようもないと思う。
*
・そのパラドックスは怪しいかも。自覚が無いあたりその気がありそう。
・そもそもゼネラリストと言えるほど知識が身につくかどうか・・・
・「自分を受け入れてくれる場所」はネット上で探してるんだけど、IRCでもmixiでも2ちゃんねるでもはてなでもTwitterでもないとは感じてる。
*
あー、やっぱまとまらずに長いだけの文章になった。分析と言えるかも怪しいな。要は非モテ思考だよな俺。
そんななのでエゴグラムという、より客観的な自己分析をやってみたらこんな感じだった。
そうと言われたらそうなんだろうけど。
http://anond.hatelabo.jp/20081202130150はアンパンがシンナー(遊び)の隠語であるという前提があるからこそネタとしての面白さが生きるのに(ry
っていうツッコミを入れるのは野暮だよね。わかってるさ。
でも食パンて。
id:WiiAreTheWorldの方と、この増田を見ている連邦国々民の方には、突然のIDコールを許して頂きたい。私はエゥーゴのクワト(ry
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20081114%23p1のブ米欄より
>某総合病院に医療費削減の結果殆ど使われていない(使えない、人手的に考えて)病棟があって、そこには以前使われていたベッドとか設備がそのまま大量に放置されているんだがこれは空床に数えるべき?
答:空床に数えるべきではない
とこれを書くためだけに増田に来たのではない。こういう「空いてるけど使えないベッド」に関する喜劇をみなさんに知ってほしいのである。
以下転載(http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080516のお米欄より)
2008/05/16 13:19
以前勤務していた病院の出来事です。(実態は微妙にぼかしています)。
看護師不足のあおりを受け、勤務シフトが維持出来なくなり三階西病棟を一時閉鎖しました。
ある晩高速道路で玉突き事故があり、救急センターへ10人ばかり搬送されました。たちまちセンターのベッドが一杯で、それでも比較的軽症者は一般病棟へとなりました。センター以外の医師も急遽駆り出されました。
他の病院から急遽引き受けてもらえないので 院長が陣頭指揮をとり閉鎖してあった三階西病棟にベッドは手つかずで残っていたのでそこへ入ってもらいました。
市長も大喜び、院長もちょっぴり嬉しそう。
ところがところが 月末の保険審査でがっぽり査定をくらいました。
なまじ善意で引き受けて入院患者の定数を超えてしまったのです。
この国はアホです。
なしくずし的に残り9台のクベースが使われないことを切に祈ります。