小判、といっても当然本物ではなくレプリカだ。
おもちゃの小判だったり、アクセサリーのような小物まで、探せば小判を題材としたものはたくさんある。今では趣味のようにそれらを集め、出先で小判のおもちゃを見つけてしまえば思わず買ってしまうほどだ。
こうした習慣は数年前から始まった。
猫に小判。
それは無用の長物。そんなことしたって意味はないよという意味だ。
本当だろうか。いいや、嘘だ。
現に私が実家の愛猫に小判を差し出すと愛猫は小判を不思議そうに見つめ、それが鞄につけるような小さなキーホルダーの場合、愛猫は小判にじゃれつき、遊び始める。ふふっ、楽しそうだ。
以前には小判型のぬいぐるみをプレゼントしたこともある。彼はそれを気に入り、夕方にはそれを抱きしめるようにして寝ている姿だって目にしたことがある。
そんなことはない。諺は嘘つきだ。
いいえ、諺じゃない。正確には言葉だ。
言葉は嘘つき。私はそれを証明したくて、猫に小判をあげているのかもしれない。
中途で入ったSちゃんは私より三つ年下で、まだ学生のあどけなさが残る、可愛らしい子だった。
いつも礼儀正しくて、畏まっていて、お酒の席でもずっと敬語を崩さないような。
Sちゃんは度々私を頼ってきた。分からないことがあればまず私に聞いてくる。彼女は私の説明を熱心に聞き、毎度「ありがとうございます」と少し照れたような、はにかんだ笑顔を私に向けてくれた。
なんだか妹みたいでかわいいな。
いつからか私はそう思うようになって、自分の仕事が一段落つくと率先してSちゃんの仕事を手伝うようになった。
彼女は頑張っていたと思う。前職とは職種が違うため、不馴れなことも多いように見て取れた。それでもいつもちゃんとメモをして、必死に仕事を頑張っていた。
Sちゃんのためになればいい。そう思って、私はSちゃんのために今の業務に関する詳細な資料を作り(もちろん、プライベートに)、翌日、それを彼女に渡した。Sちゃんは最初、少し驚いたような顔を見せたものの今では随分と解れ、人懐っこい笑みを見せて「ありがとうございます!」とそう言ってくれた。
嬉しかった。
その後も私は仕事に関する資料を作ってはSちゃんに渡し続けた。Sちゃんはいつもそれを満面の笑みで「ありがとうございます!」って、受け取ってくれた。
それから少しして、彼女が退職届を出したことを知った。そのことを知ったのは私が人事部から呼び出しを受け、その席でのことだった。
彼女、本当は嫌だったんだって。とそのとき初めて聞かされた。重かったんだって。いつも渡されて、それが重荷だったんだって。
間接的にそう告げられたとき、私は唖然としてしまってその場では何も答えられなかった。
ありがとうございますって言ってたじゃん。
すっごい笑顔で、「ありがとうございます!」って。
私はそのあとトイレで泣いた。
嘘じゃん。ありがとうなんて、言うなよ。なんで「ありがとうございます」なんて言うんだよ。
悲しくて、悔しくて、声を出さずに私はただ泣いた。
ワイは馬の耳に念仏唱えてるやで。