2023-03-19

袴田事件から考える検察改革

袴田事件再審開始の機運が高まってきたので、改めて「検察はどうなってるんだ」という世論が盛り上がっているように思われる。以下、「ぼくがかんがえたさいきょうの検察改革」を書き連ねてみる。

無罪判決への上訴の禁止

無罪判決に対する検察官の上訴は禁止するべきだ三審制は弱き国民に対して裁判を受ける権利保障するものであり、国家権力無罪判決になった一般市民に対して重ねての裁判要求する根拠にすべきではない。一審無罪判決が出たら諦めろ。それによってたとえ100人真犯人が刑を逃れるとしても、1人の無実の人を解き放つ方を優先するべきだ。

再審開始判決への特別抗告禁止

再審は「裁判のやり直し」であり、開かれたとしても確実に無罪になると決まるわけではない(理屈の上では「再審の上でやっぱり有罪」というのもあり得る)。ではなぜ「再審開始=無罪」になるのか? それは再審開始判決に対して検察特別抗告をして再審の開始を妨害しているため、「検察いくら妨害しても再審開始の決定が出るほど無罪であることが明らかな事案しか再審対象にならない」からだ。

しかしそれは再審という制度の意義を揺るがすものなので、裁判所による再審開始決定への検察特別抗告禁止されねばならない検察が本当に「被告人真犯人である」と確信するのであれば、再審の場で被告人いかにクロであるかを訴えればよい。結果として「再審有罪」になる事件が出てくるかもしれないが、再審までたどり着けないより遥かにマシだ。そして当然ながら再審の決定においては、平野母子殺害事件の「被告人犯人でないとしたならば合理的説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)」という基準をきちんと適用させていくことを求めたい。

拷問無罪

現在でも違法収集証拠排除法則というのがあり、拷問などの違法捜査によって得られた証拠無効ということになる(実際に違法薬物の事件なんかでは「唯一の証拠違法収集されたものなので無効となり、有効証拠がなくなったので、真犯人だけど無罪」という判決はある)。しかしこれは「違法証拠のみを排除」するというものであり、違法証拠に加えて合法的に集められた証拠があれば被告人有罪となり得る。

拷問を根絶するためには、

とするほかないように思われる。仮にそれが加藤智大宮崎勤であったとしても、捜査段階で一度でも拷問を受けていたと立証された場合無罪判決が出るように法改正すべきだ(虚偽の拷問の訴えがあるかもしれないので、拷問の有無が争点になったら本筋の裁判を一時停止して別の裁判を開いて拷問の有無を審議する形でもいいかも。拷問特化裁判で「やっぱ拷問はありませんでした」という判決が出たら改めて本筋の裁判を再開するとか)。

証拠隠しは無罪

検察証拠を隠す。いくら弁護士が「証拠を見せろ」と要求しても、どう考えても被告人はシロでしょ、という証拠を平然と隠して有罪判決を勝ち取ろうとする。

これを根絶するためには、

というふうに法改正しなくてはいけない。仮にそれが加藤智大宮崎勤であったとしても、弁護人からの求めに対して証拠を隠したと判明した場合無罪の言い渡しをするべきだ

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